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『失われた三時間/乗り継ぎのための三時間』を読む

本日取り上げるのは、フィッツジェラルドの短編小説『失われた三時間』(村上春樹訳)/『乗り継ぎのための三時間』(野崎孝訳)です。


フィッツジェラルドとの出会い

アメリカ文学史上に残る小説家、スコット・フィッツジェラルド(Francis Scott Key Fitzgerald, 1896/9/24-1940/12/21)の名を知り、人物と作品に興味を持つようになったきっかけは、村上春樹氏の著作です。

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村上氏が翻訳を担当した『マイ・ロスト・シティー』(中公文庫1984 絶版?)の”フィッツジェラルド体験”の冒頭で、ある作家が読者を魅了するパターンの解説をしています。フィッツジェラルドについて、

読み終えて何カ月も何年もたってから突然、まるで後髪を掴むように読者を引き戻していくタイプの作家がいる。僕にとってはスコット・フィッツジェラルドがそういう作家であった。他には誰もいない。彼だけがそのように僕を捉えた。(P10)

と評しています。村上氏がフィッツジェラルドについて書いたこの章は大変優れたもので、私と同じようにこれを読んで”フィッツジェラルドの短編小説”を読むようになった人もいることでしょう。

村上氏は、本書には未収録の『冬の夢 Winter Dream』と『バビロン再訪 Babylon Revisited』に特に影響を受け、それぞれ二十度ずつは読んだと書いています。

村上氏にとって重要な作家であるフィッツジェラルドの傑作短編を独自に集めた『マイ・ロスト・シティー』を読み終え、もっとフィッツジェラルド作品を読みたいと思って出会ったのが『フィッツジェラルド短編集』(新潮文庫1990)でした。

こちらは、アメリカ文学研究家で、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて The Cather in the Rye』の翻訳も手掛けている、野崎孝氏(1917/11/8-1995/5/12)が翻訳を担当しています。

私は初版本を所持しているので、おそらく発売されたばかりの1990年に購入しています。こちらには、村上氏が強く影響を受けたという二篇が収録されています。

両書に共通して所収されている作品は二篇あり、一つが『氷の宮殿 The Ice Palace』、もう一つが今回取り上げる『失われた三時間(村上訳)/乗り継ぎのための三時間(野崎訳)Three Hours Between Planes』です。二つの訳を読み較べて、味わいの違いを楽しむのも一興です。

フィッツジェラルドの短編小説への向き合い方

フィッツジェラルドは、傑作長編小説『グレート・ギャツビー The Great Gatsby』(1925)の大成功により、一躍人気作家の地位に上り詰めました。1920年代後半には我が世の春を謳歌していたものの、1930年代になると人気は下降し、”既に終わった作家”のようになっていきました。精神病を患った妻のゼルダと幼い娘スコッティーを養うため、晩年は金策に追われる生活を送り、44歳の若さで亡くなっています。

フィッツジェラルドは、自身の小説家としての強みは長編作品にこそあると考えており、短編小説は日々の豪奢な生活を維持する為の手段、いわば副業と割り切っていたと言われます。稿料目的で、あらゆる媒体に玉石混交の大量の短編小説を書き残しています。

自身の短編小説については、「歯医者の待合室で待たされる三十分の時間をつぶすには恰好な作品」と自嘲気味に語っています。私は、ストーリー、メッセージは十分に練られていなくても、卓越した文章技巧と描写でさらりと読ませるフィッツジェラルドの短編作品が好きです。

軽妙に読める…でも今読むと切なくて滲みる話

この作品は、フィッツジェラルドの死後、雑誌エクスワイア(Esquire)1941年7月号に発表された最晩年の作品です。10頁程度のかなり短いものです。

ドナルド・ブラントという32歳の男が、飛行機の乗り継ぎで故郷の町に久々に降り立ります。電話帳で、少年時代に惹かれていた少女で、今はギフォード夫人になっているナンシーを20年振りに探し当て、連絡します。

夫が出張で不在のナンシーは、突然のドナルドの来訪を喜び、自宅に招き入れます。二人でお酒を飲みながら昔の思い出を語り合う内に、お互いに惹かれていた過去を告白しあい、いい雰囲気になっていきます。

しかし、話を進めるうちに記憶の細部が微妙に食い違っていることにお互いが気付きます。ナンシーは、ドナルドのことを、同じファーストネームのドナルド・バワーズと勘違いしていたことを悟ります。そのまま気まずい雰囲気になって、二人は別れます。

最後のシーンは、ふるさとの町から飛び立った飛行機の中でのドナルドの独白となっています。一人称の村上訳と三人称の野崎訳を対比して読むと印象が変わって面白いです。

俺はこの飛行機を乗り継ぐたった三時間のあいだに実に多くのものを失ってしまったようだ。でも、それがどうしたというんだ? 俺のこれからの人生なんて、結局は何もかもを切り捨てていくための長い道のりにすぎないじゃないか? どうせそれだけのことなんだ、きっと…。(村上訳)

この度の飛行機を乗継ぐ間の三時間のうちにドナルドは、多くのものを失ってしまった。しかし、人間の後半生というのは、いろいろなものを喪失してゆく長い過程なのであってみれば、今度の経験も格別どうというほどのことではなかったのかもしれない。(野崎訳)

大切に大事にしまっていた思い出の崩壊…… それをシニカルに笑い飛ばす悲哀が感じられるラストに、ちょっと切ない気分になりました。



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