亡くなっていた、隣家のお爺ちゃん
久しぶりの投稿。
20代の頃、アパート暮らしをしていた時期に体験したお話。
木造の築40年にはなろうかという古いアパート。
そのわりに部屋数も多く、眺めは最高で、家賃も激安だった。
隣の部屋には元僧侶であるという、デイケアに通うお爺ちゃんが住んでいた。
ある日、仕事から帰宅すると、そのお爺ちゃんが裸同然の姿で玄関先に意識朦朧の状態で倒れていたので、慌てて介抱して救急車を呼んだ。
後日、回復して退院したお爺ちゃんが、僕の部屋を訪ねてくれて丁重にお礼の言葉を述べてくれた。
それまで挨拶を交わす程度だったのだが、この日を境に仲良くなった。
玄関先で言葉を交わしていると、お爺ちゃんは僕の部屋にある大量のCDに目をやり、「君は音楽が好きなのか?」と興味津々の目で語りかけて来た。
「そうなんです、僕はバンドマンなんですよ」
「へぇー、どんな音楽をやってるの?」
実は、このお爺ちゃん、若い頃から音楽が大好きなようで、今でも若い人が聴くような流行りの音楽から、ちょっとマニアックな音楽まで幅広く聴くような、かっこいいお爺ちゃんなのだった。
以降、お爺ちゃんはしばしば我が家を突然訪ねて来て、「この作品は素晴らしいから是非、聴いてみなさい」などと言って、お勧めのCDを置いていくという、程よい距離感のご近所付き合いが始まった。
お爺ちゃんは、やんちゃな人らしく、デイケアでも女性職員を口説いたり、セクハラまがいの行為をするなど問題行動を起こし、施設の人が怒鳴り込んで来るなどは度々で、そうしたトラブルも僕が両者の間に入って諌めるなど日常茶飯事だった。
元僧侶の肩書、今は孤独にアパート暮らし、デイケアのトラブルメーカー、そして無類の音楽好き。お爺ちゃんを見るたびに「ロックだな〜」と思ったものだ。
訳ありの人生を送って来たのは、見るに明らかだったが、深い事情を聞くことが出来ないでいた。
アパートの壁は薄く、隣の部屋でお爺ちゃんがどんな行動をしているかがすぐに分かる。
夕方になれば、茶碗の音が聞こえ、夕飯だと分かる。
咳き込む声が聞こえると、体調が心配になる・・・
こちらも、床に何か物を落とそうものなら、お爺ちゃんが壁を叩いて「うるさいぞ!」と怒鳴って来る。
それも、気心知れている一つのコミュニケーションだ。
お爺ちゃんの部屋がいつも以上に騒がしい日があった。
1人で何かを呟いているような声がする。
元僧侶なので、お経を読んでいるのかもしれない。
しばらく、その声が続いた後に、壁を叩く音がする。
こちらは何も物を落としていない。
お爺ちゃんは、寂しいのかな?
様子を見に行こうか。
だが、これから仕事に出かけなければいけない。
気にはなるが、そのまま出かけた。
帰宅をすると、玄関前が騒がしい。
よく見ると、アパートの管理会社の社長がいた。
事情を聞くと、お隣のお爺ちゃんが部屋で亡くなっていたという。
出勤前に聞いた声や、壁を叩く音は、僕に助けを求めていたんだ・・・
と、愕然とした。
すぐに、お爺ちゃんの元に駆けつけていたら、助けてあげられたに違いない。
しかし、その後の管理会社の社長の言葉に息を呑んだ。
遺体の状況から、亡くなったのは、一週間前か、それ以上前だという。
では、出勤前のあの声、あの音は・・・
いずれにせよ、私に気付いて欲しかったのは間違いない。
そう思うと、胸が痛くなった。
(恐らく)身寄りもない、お爺ちゃんは、僕を頼りにしていたのだろう。
今になって気付く。お爺ちゃんの名前すら知らないことを。
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