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ハナちゃん ハワイへ行く 〜私の婚活漂流記〜 ⛵️#8

⛵️Sailing 8 : あとがき


父が天国に逝ってしまった。マリリンが1歳になってまもなくのことだ。
父は3年前から病気を患っていて、入退院をくりかえしていた。
あともう少し生きてくれるだろうと思っていたが、容体が急変してしまった。

コロナ禍だったので、入院中はお見舞いに行けず、会うことができなかった。
危篤になってから、やっと病室に入ることが許された。

父はすでにほとんど意識はなく、時折反応はあったものの、変わり果てた姿になっていた。こんな状況になる前に、もっと早く会って父と話がしたかった。

看護師さんが、耳は最期まで聞こえている、特に慣れ親しんだ家族の声はよく聞こえていると教えてくれた。

「今まで本当にどうもありがとう。お母さんのことは心配しないでね」
と私が大きな声で伝えると、父がうなずいてくれたように見えたことが、せめてもの救いだ。

もともとは65kgあった父の体重は、最期は42kgにまで減り、痩せこけて骨と皮だけになっていた。でも、それでも生きることをあきらめず、自ら主治医の先生にお願いして、新しい治療法を試みていた父は、私に身をもって『最後まであきらめるな』と教えてくれたように思う。

父は入院中、看護師さんに、
「家内が心配だから、元気にならなあかん」
と何度も言っていたらしい。それを後で知った母は号泣して、
「お父さんが死ぬ1日前に私は死にたかった」
と言った。

母はお見合いで父と結婚した。結婚式前夜は、イヤでたまらず酔っ払って吐いたらしい。そんなにイヤな結婚だったのに、どうして父のことを好きになったのかを、初めて教えてくれた。

母は私と同じように、1人目の赤ちゃんを流産している。病院に入院した時、父は毎日仕事が終わった後に病室を訪れ、母の手を握り励ましてくれたそうだ。
その頃は今のように病院に付添人用の簡易ベッドがなかったので、床に布団を敷いて寝泊まりしてくれた。
その出来事があってから、父の優しさに気づき、好きになったと泣き笑いながら教えてくれた。

私はふと、自分も1人目の赤ちゃんを死産した時のことを思い出した。父の行動は、私の夫とそっくりだった。
私はもしかすると、知らないあいだに父と似た人をパートナーに選んでいたのかもしれないな、と思った。

結婚って、何だろう?
父が亡くなってから、よく考える。

まだ結婚して5年目の私にはよく分からないが、まぎれもない事実が2つある。

1つ目は、父と母が出会ったおかげで、私が今ここに存在しているということ。
そしてマリリンが存在しているということ。

2つ目は、父は幸せ者だったにちがいないということ。赤の他人同士だった2人が出会い、縁あって結婚した。そして50年近い年月を共に過ごした。

母が「まるで魂の半分が死んでしまったようだ」と泣いている姿を見ると、そこまで愛された父は、たとえ出会いがお見合いだろうが恋愛だろうが、幸せな人生だったのだろうと思う。そして、そんな人に出会えた母も、また幸せだろう。

たった1年と少しだったが、父にマリリンを会わせることができて、よかった。
一緒に過ごすことができて、よかった。

マリリンが成長した頃、きっとおじいちゃんの記憶はないだろう。
だから私は、マリリンをとても可愛がってくれたこと、おじいちゃんとおばあちゃんがとても仲良かったことを、伝えなければと思う。

お父さん、いつも味方になってくれて、ありがとう。
守ってくれて、ありがとう。
私や家族みんなの防波堤になってくれて、本当にありがとうございました。
これからは心おだやかに、天国からみんなを見守っていてください。

2022年2月 テイト 椛


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