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読書日記*生きることは恥ずかしいこと『小泉今日子 書評集』

とつぜん告白してもなにも変わりませんが、わたしは小泉今日子さんをずっと尊敬しています。リアルタイムでずっと見てきてわたしの理想だと思える女性は、樹木希林さんと小泉今日子さん。(別格で山田詠美さま。詠美さまは神です)

共通する項目は”オトコマエ”
そこらへんの男子よりずっとオトコマエでw、潔くて、
そしてなにより”じぶんを生きてる

わたしの”オトコマエ”の定義は
『だいじなものを知っていて、守る。
だいじなもののために命をかけて戦える。
だいじなもののために広い視野をもって行動する』
イイオンナの定義もあるのですが、それはまたの機会に。

話を戻して、小泉今日子さんは10代の頃から、じぶんのだいじなものを知っているのではないかと思って見ていて。
この本は2005年から2014年に読売新聞の書評欄に書いたものを、まとめたものです。本を紹介するだけなのに、彼女の、だいじなものを大事にしていることが伝わります。

本を読むのが好きになったのは、本を読んでいる人には声を掛けにくいのではないかと思ったからだった。忙しかった十代の頃、人と話すのも億劫だった。だからと言って不貞腐れた態度をとる勇気もなかったし、無理して笑顔を作る根性もなかった。だからテレビ局の楽屋や移動の乗り物の中ではいつも本を開いていた。どうか私に話しかけないで下さい。そんな張り紙代わりの本だった。

『小泉今日子 書評集』-はじめに-(P9)

じぶんの中の価値観で本を読むこと。だれもができるようで、だれでもが、できるわけではないことだ。それを、さらっと書いてふふっと笑っていそう。

この書評集を読んで、買いに走った(または図書館に走った)本は何冊あるかわからない。本の中の書評の数を数えたら97冊だった。
まだ読めてない本のほうが多い。

ツナグ 辻村深月 2011・01・16

誰に会いたいか?本を閉じてから考えた。父親、恩師、十代で逝った幼なじみ。いろんな人の顔が浮かんだけれど、会いたいとは思わなかった。あの世とこの世に別れてからの方が、ずっと近くに感じているからだ。でも、もしも動物でも可能なら、幼い日を一緒に過ごした白い猫に会わせて欲しい。オプションで人の言葉を喋れるようになっていたら、尚嬉しい。

『小泉今日子 書評集』(P157)

『ツナグ』をわたしは読んだあと号泣して、放心しただけだったのに、彼女のこのオトコマエっぷりに、「姐さん、一生ついていきます」と誓った。

その本を読みたくなるような書評を目指して十年間、たくさんの本に出会った。読み返すとその時の悩みや不安や関心を露呈してしまっているようで少し恥ずかしい。でも、生きていることは恥ずかしいことなのだ。私は今日も元気に生きている。

『小泉今日子 書評集』-はじめに-(P11)

本棚を人に見られるのはちょっと恥ずかしい。
(ちなみに図書館は捜査令状がないと、警察にも容疑者が借りた本を教えてはいけない。個人情報は厳重に守られている)
だれかの本棚を見て、じぶんの中でまたちがう本の味になっていくのを感じるのが、たまらなく好きなわたしは、きっと恥ずかしいまま、きょうも元気に生きている。

◆オトコマエだと思えるこの方のこんな本もどうぞ


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