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禁止が窮屈、そしてネット

なぜか禁止が幅を利かせている。
不倫がダメ。◎◎がダメ。★がダメ。

それはsnsやインターネットの影響なんじゃないかと思う。
オフラインでの会話や発言は自分の生身の体と名前と経験全部をかけることになる。
インターネットでの会話や発言は、自分の素性がかくせる(隠れる度はツールによる)ので、隠せれば隠せるほど、何を言い返されるかとか、どんな反応をされるかとかそういったことを考えなくてよいコミュニケーションになる。
みんながそういったコミュニケーションに慣れ、少なくとも当たり前のこととして世の中に浸透している現在、反応や具体的な相手像への配慮がいらないインターネットは普段口にしたら衝突や問題が起こるようなことを吐き出す場所として機能していて、普段のリアルなコミュニケーションの場ではよい顔をするという分離が起きているのではないだろうか。もしかしたら、インターネットによって衝突を避けることができてしまうから、衝突や問題に対して耐性がなくなったのかもしれない。
また、年々インターネットやスマホは人々の生活に欠かせないものになってきているように思う。人々の生活になじめばなじむほど、オフラインのコミュニケーションとオンラインのコミュニケーションの分離は進むのではないか。
コミュニケーションの分離が進むにつれて、リアルの場では(リアルの%にもよる)、正しくて美しくてスムーズなコミュニケーションが推奨されてきている、というかむしろそれに限定されてきているんじゃなかろうか。
オフラインの会話では、正しいことしか言えない。発信源の明らか度によって、断れない。怒れない。断るのも配慮がいるから、返事をせずに放置。避ける選択肢があるから、喧嘩すれば仲直りじゃなくて別れが来る。向かわないコミュニケーションだな、と思う。

顔を出したときに公になってしまうということなのだろうか。
最近は殴り合いのけんかなんかあまり聞かないし、私も家族以外の人と最後に喧嘩をしたのがいつか、思い出せない。とにかく角を立てないのが偉い!
‘私‘の関係が縮小しているし、‘公‘に吸収されて行っている。

インターネットだけでなく、不景気だからだろうか。
資本主義が幅を利かせて、商品化が激しいからだろうか。

とにかく、‘私‘の関係では正しくないことを言える。それがどんどん小さくなっていて、本音が知り合いと共有できなくなっているような気がする。
そしてそれはマズイことなんじゃないかと思う。

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