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逆カルチャーショックと先延ばし癖:vitkastella, viivytellä, lykätä

先延ばしする:procrastinate、vitkastella, viivytellä, lykätä

逆カルチャーショックってまさしくこんな感じ

いい記事を見つけた。逆カルチャーショックの時ってまさしくこんな気分なのだ。

「『ここは日本だよ』を何度言われたらこの違和感を拭えるのか。」(記事より引用)

私はフィンランドで交換留学を終えたおよそ4年前、特にそう感じていた。

この4-5年くらいの日本社会は特に変だ。その特異さは一度日本を外から眺めるということをしないと気づけないと思っている。日本社会を外から眺める方法は、読書でも誰かとの会話でもいいし、海外に長期滞在することでもいい。でも、一度国外に出るほうが、日本社会を客観視する方法として一番手っ取り早い。とにかくそうやって自国を客観視した結果、その問題点に気づいて「しまう」、というのが逆カルチャーショックの正体なのかなと個人的には思っている。

そしてこれはあくまで個人の感想なのだが、逆カルチャーショックは一度味わったらもう乗り越えることはできないと思っている。逆カルチャーショックは、私の中では「飼いならす」ものだ。一度日本社会の異変に気付くと、それを知らなかった頃にはもう戻れない。上記記事にもあるように、一度逆カルチャーショックを経験すると「空気が堅苦しくて息ができなくて、溺れそうな思いしながら」生活する機会が増える。増えてしまう。私は今フィンランドにいるが、フィンランド(日本国外)にいても、ちょっと日本のニュース記事などを読んだだけで逆カルチャーショックを受けてしまう。もうそういう体質になってしまった。

でもこのままでは心身の健康に支障をきたす。そこで、そういう「溺れそうな思いをしながら」生活している自分を客観的に見つめられると、逆カルチャーショックの症状が緩和されていくかなと思う(※個人の感想です)。これは非常に対症療法的だ。でもとりあえず自分の怒りや葛藤を客観的に眺めて「飼いならす」と、それは日本社会で生きるうえでの延命措置くらいにはなるんじゃなかろうか。「飼いならす」とは、「ああ…今私これが原因で腹立ってるな…」「私は今これが気に食わんのだな…」とぼんやり思うことだ。なおかつ必要な時には社会がよくなることを願いつつ、その葛藤や怒りを思いきり適切な場所にぶつけるということでもある。

どうせ、原因の根本を直す(例えば、業務のありえないくらいの非効率さ)には相当時間がかかるだろうし(日本社会は非効率的だから)、日本で生活する以上これから何度でも理不尽な目に合うのだ。これを前提にして生きていかないとしょうがないんだ…と、自分に今必死に言い聞かせている。私も逆カルチャーショックの長期罹患者だ。そういう言葉があるのかしらないけど。

逆カルチャーショックの人のトリセツ(※個人の感想)

また、これは逆カルチャーショック罹患者(そんな言葉あるのか?)…つまりそれに苦しんでいるかもしれない人が近くにいる方に、逆カルチャーショックの達人である私から特にお願いしたいことがある。

1)急かさない

少なくとも帰国から1-2カ月くらいは、本人を急かすようなことを言わないであげてください。「急かすようなこと」とは、例えば、将来の進路等の決断を本人に迫るような言動です。「将来どうするの?」「就職活動は?」等々です。
逆カルチャーショックを受けている人はそんなこと言われなくてもわかっています。ただ、自分の生まれ育った環境が今までと全く違うものに見える、その違和感を受けいれるのに必死なのです。傍から見ると少々のろまかもしれませんが、本人はああ見えて頑張っているのだということを知ってください。
それでもいずれ、将来について話す必要も出てくるでしょう。その時はできるだけ慎重に話を始めるようにしてください。何を言われてもしっかり包み込むような、大らかな気持ちで。

2)比べない

他の海外留学経験者や日本にいる当人と同世代の人たち…彼らの華々しい経歴や(主に就活に対する)血のにじむような努力に比べたら、逆カルチャーショックを受けている人の言動なんてただの甘えに聞こえるのかもしれません。ただ、「当たり前にあることを疑う」という力は、社会を変えるうえで必須の力です。それを「他のあなたの同世代はあんなに頑張っているよ」なんていう陳腐な応援でかき消すことのないように。(時と場合によってはそのような応援も有効なのでしょうが、少なくとも帰国直後の逆カルチャーショックの人に言っても効果はないでしょう。むしろ逆効果です。)

3)とことん話を聞く

いろいろ意見したくなる気持ちはわからなくないですが、ひとまずじっくり本人の気が済むまで話を聞いてあげてください。逆カルチャーショックで苦しむ人たちは、ちゃんと「私の気持ちはだれにもわかってもらえないんだろう」ということをわかっています。わかっていて、なぜ他でもないあなたにその気持ちを打ち明けるのだと思いますか?

4)なんなら逆カルチャーショックの人に影響されてみる

逆カルチャーショックの人の話を聞くコツとして、とにかく素直に逆カルチャーショックの人の意見や視点を面白がってみてください(結果『やっぱおもしろくねえな』でもいいので。)「そんな見方があるんだ」「おもしろいなあ」と、ちょっと思ってみるということです。極端かもしれませんが、あなたは今「言葉がめちゃくちゃ通じる外国人と話している」のだと思ってください。
ここで、「よそはよそ、うちはうち」「郷に入れば郷に従え」という考えを押し付けてはいけません。(大事なので太字にしました)というか、今の日本社会がこんなに変になってしまったのは、「よそはよそ」的な考えを我々日本人が先祖代々盲目的に信じ込んでいたからではないですか?
この際ですから、今までの自分の「当たり前」が揺らぐような体験を、逆カルチャーショックの人との触れ合いを通して得てみてください。無料の異文化体験だと思えば、安いものです。

5)さいごに

逆カルチャーショックの人は、自分の気持ちを理解しようとしてくれる人が周囲にいればいるほど、その気持ちをはやく「飼いならす」ことができるようになります。話をちゃんと聞いてくれる人がいるのは逆カルチャーショックの人にとってはとってもとってもありがたいことなのです。
反対にここで周囲の人に頭ごなしに否定されると、逆カルチャーショックの人はすぐに心を閉ざしてしまいます。大事なことを何も相談してくれなくなります。

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なんかトリセツみたいになってしまった。本当は別の内容の記事を書こうと思っていたんだけども。

本来書きたかったこと(今日のまとめ)。読みたい方はどうぞ。

大学院の2年間でちゃんと修論書いて勉強もちゃんとして、かつ将来のこともちゃんと考えて決めるなんて無理だ。少なくとも私には無理だった。私が日本人じゃなければ(EU出身なら)大学院の在籍期間を延長していただろうに。

フィンランドの高等教育機関(大学・大学院)は非EU出身者に対して2017年から学費を徴収することになった。ただ幸い、大学支給の学費免除制度が適用されたので、修士最低年数である2年間は学費ただで勉強させてもらえている。それだけ聞くとフィンランド教育は良いように見えるかもしれないが、周囲のEU出身の学生がのびのび勉強して、学費のことを考えずに在籍期間を延長しているのを見るとなんて理不尽なんだろうと思う。私だって日本に生まれたいと思って生まれたわけじゃない。

まあ、ぼんやりする時間を将来を考える時間にあてていたら違ったのかなあ。そうなのかもしれないなあ。修士の同期たちの多くは自分の進路をちゃんと2年間のうちに決めているし、私がばかみたいに不器用なだけかもしれない。あるいは先延ばしが得意なだけか。きっとそうだろう。

私は日本人だから、不利な状況も甘んじて受け止めて頑張らなきゃいけない。国籍問わず誰もがみんな同じように困難ならこんなこと思わないけど、私は自分でどうしようもないことで不利な状況になるということに対して腹を立てている。大事なことなので2度いうが、私は別に日本人になりたくてなっているわけじゃない。

それでも、自分にとっていったい何が大切なのか、何を大切にしたいのか…それと向き合うことは少々怠りすぎた。2年間のうちにもっとちゃんと向き合っておけばよかった。自分が大切にしていることを打ち明けられる人が周囲にもう少しいればよかった・あるいは私がもっとオープンに話していればよかった。私はただただ、自分が好きで大切にしたいと思っているものを誰かに否定されるのが怖かった。怖かったから、好きだって言えなかった。怖かったから、真剣に自分が大切にしていることと向き合えなかった。だからいつも笑ってごまかしていた。「好きな物なんてない」って斜に構えていた。いや、実際大好きなものはない。でも、好きなものならあった。はずだ。例えばフィンランド語とか。

趣味を聞かれたから「フィンランド語学習が好き(かもしれない)」って答えたのに、そんなの趣味じゃないって言われたことがあった。「フィンランド語の授業を修士の2年間とり続けたい」って話の流れで言ったら、ある人が「for whom?(誰のために?)」って聞いてきたことがあった。フィンランド人の彼氏や夫のために勉強してるんでしょ、と言いたかったようだ。その時私はシングルだったのに(ちゃんと「付き合っている人はいない」って言ってやった)。多くの人が、私がフィンランド語を勉強するのはフィンランドで仕事を得たいからだと思っていた。必ずしもそうではないと答えたら不思議そうな顔をしていた。「フィンランド語は誰も話さないから役に立たない」、だから勉強しても意味ないと言ってくる人もいた。

なんで、どうして、私の数少ない好きかもしれないものをそんな風に言うんだろう。せっかく好きなものをやっと見つけられたかもしれなかったのに。

きっと、私が傷つきやすいだけなのかもしれない。読者の方は「そんなに好きならいちいち傷つくなよ」って思っただろう(ごもっともである)。でも、私ばっかりが強くならなきゃいけない・我慢しなきゃいけないなんて、そんなわけない。私は悪くない。相手もそんなに悪ではないけど、ここで私の気持ちをリスペクトするべきなのは相手であるべきじゃん。なんで私ばっかり我慢しなきゃいけないの?

それでもやっぱり、多少誰かに否定されても、好きな気持ちをもっと前面に出していればよかった。私よりフィン語が得意な人なんて死ぬほどいるが、フィン語を好きな気持ちは負けない、ということでよかったんじゃないのか。

#30dryc は今日も継続できた。「先延ばしする」のフィン語をストーリーで聞いたら、交換留学時代の友人が丁寧に回答してくれた。SNSはこういうところがいい。

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ヘッダーの写真は最近noteに褒められた時の様子。ここまでくると自慢できるらしい。知らなんだ。

そんな、皆様からサポートをいただけるような文章は一つも書いておりませんでして…