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別離の日々で友達を思う、真心の愛:voikukka

voikukka:たんぽぽ

今日の#Wordoftheday  は、この間友人に教わったvoikukkaとする。直訳するとバターの花だ。この間のお別れピクニックに行く道で教わった。英語で「dandelionだね」と言ったら、友人は英語で何というかは知らなかったらしく驚いていた。

「確かにタンポポって、カレリアンパイ(フィンランドの伝統的なお菓子。おかゆをライ麦生地で包んだパイ)にのせる、munavoi(卵とバターを混ぜたもの)みたいな色だね」私は友人に言った。voikukkaなので、卵(muna)要素は皆無だが。


たんぽぽの花言葉の一つは「別離」であるという。ここ最近の道端にはもれなくたんぽぽが咲いている。フィンランドの5月は卒業シーズンだ。今日も修士課程の仲間の一人が、無事に卒業証書が届いたことをSNSに投稿していた。

また、もう一つの花言葉は「真心の愛」だという。

ここ数日は離れ行く友人や既に離れた場所にいる友人を、真心で思う日々だ。

…真心なんて、使っていて自分で照れる。

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今日の午前中、日本にいる旧い友人と電話をした。数日前に私がリスケしたことを謝り倒した相手だ。「あなたあやまりすぎよ」と言ってきた人でもある。


日本人の旧友と話すとき、私はずっと話しっぱなしだ。普段あまり自由に使えない言語(フィンランド語と、時々英語も)を使っている反動だと思う。日本語で話す私は無双状態なのだ。「これで!思ったこと!なんでも!はなせるう!自由!ふりぃーーーーーだぁむ!」という気分。

従ってそれに付き合わされた友人は漏れなく、私のカウンセラーとなってしまう。この場をお借りして私のカウンセラーこと友人たちにお礼を申し上げたいと思う。いつもありがとうございます。

以下は、友人と話した内容まとめ。友人が私に話したこと・私がここで書きたくないことは伏せておく(が、どうせ会話の8割方私のマシンガントークだったから、私が話したことを列挙しておけば会話の全容をおわかりいただけるかと思う)。

働くの向いてない、日本で暮らすのも海外のタフな暮らしも苦手。でもどこかで生きるしかないのよ。

「まりのはもう日本で働けないよ」友人が助言してくれた。私もそう思う。なんなら交換留学を終えてからの4年くらいずっと思っている。

でも、海外のタフな暮らし…就労ビザの規定と期限、貯金を毎度気にしながら生活する暮らし…あまり自由には使えない言葉を使う暮らし…これが私にあっているのか?それも怪しい。期限付きならやれなくもないだろうが、一生続けたいかと言われると…?だ。

だいぶ昔のnoteにも書いたが、私にとっては日本で暮らすことも海外の暮らしもどちらも同じくらい大変なものだ。大変さの種類は異なれど、大変さの度合いは変わらない。

日本の年功序列が苦手。相手の顔色や文章の行間、空気を読むのが苦手。建前が使えない。形式ばったことが苦手。合理的でないことが耐えられない。社会的弱者を蔑ろにする今の社会の風潮や政治が許せない。一体いつまで日本は女性蔑視を続けるの?

海外暮らしも大変だ。(就労)ビザの規定は?いつビザがおりる?それ以前に仕事が見つかる?現地語で生活していける?日本の家族に何かあったらどうしよう。日本で何か起きたらどうしよう。日本にいつでも帰れるようにお金は大切に使わなきゃ…日本にいる時以上に。

そう、私は日本での生活も日本の外で外国人としてタフに生きる生活も苦手だ(留学生として生活するのは、私の中では『タフな海外生活』には含まれない。留学生はビザ等の規定では比較的守られているから)。

だけど、どこかで生きていくしかないのだ。私は人間に向いていないことなど4年前からわかっている。続く。

**来世の進路相談:私は介助犬か細胞が向いていると思う。私は多分間違えて人間に生まれてきてしまった。

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多分私は細胞か介助犬があっていたと思う。

私は信頼する人の言うことは聞く。「えらいねえ」「いいこだねえ」と言われるのが好き。自分の大切な人の力になりたい。だから介助犬や盲導犬はあっていると思う。電車でも大人しくして、駅に着いたらパートナーを目的地まで誘導するのだ。おいしそうなにおいも、電車で騒ぐ子どもたちも、私を惑わしたりはしない。私はエリートだからね。

そんなエリートドッグ・まりのはみんなから羨望と尊敬のまなざしを浴びる。「まりのちゃんはいいこだねえ」「はたらきものだねえ」みんなから言われながら、駅構内をさっそうと歩くのだ。私は気高く誇り高く、賢くて優しく、使命感にあふれたラブラドールレトリバー(多分黒)だ。

そして晴れて引退したら、素敵な老夫婦に引き取られて幸福な余生を送る。介助犬や盲導犬は寿命が比較的短いらしい。この『短命』というのもよい。私は長生きしたくない。

このnoteに何度か書いているが、短命なことと生まれながらにして生物の体という「社会」の構成員になれるから、私は細胞になりたいとも思っている。

とにかく私は来世は人間以外がいい。私は人間は向いていないと思う。いや、やれないことはないのだが、普通に人間として生活するだけで頑張りを要するのだ。

帰国後の家族との同居が不安。なぜなら私はドラマを見ながらご飯を食べられないから。

他人に感情移入しすぎてつらくなっている時『私は人間向いてないんだよなー』と思う。そんな他人に感情移入しやすい性格のせいで、私はドラマや映画の類を見ることができない。好き嫌いの話ではない。見られないのだ。主人公に腹立つ出来事があると私もめちゃくちゃイライラするし、悲しんでいる時は私も悲しい。連続ドラマのように次週以降に続くものは展開がわかるまでそわそわはらはらしてしまう。心のどこかがずっとぞわぞわしている。

そんなわけで、食事中にテレビがドラマを放送していると、ご飯がのどを通らなくなってしまう。次の展開にどうしてもどきどきしてしまうし、主人公が苦境に立たされていると私もつらくなる。それで、ご飯が進まなくなってしまうのだ。

だけど私の両親(特に父親)は時々ドラマを見ながら夕食を食べている。それが彼らにとって生活の大きな楽しみの一つだから、私の「ドラマ見ながらご飯が食べられない」ということでその楽しみを奪えない。それで、日本にいたころドラマを見ながらご飯を食べざるを得なくなった時は、いつもかきこむようにして食事を済ませていた。今まではそれで何とかなっていたが、いつまでもこれを続けるわけにいかない。

はじめは「ドラマ見ながらご飯食べられない」話を友人になるべく面白おかしく愚痴っていただけだったのだが、話していくうちにだんだん解決策が見えてきた。多分、私の夕食の時間をずらすのがいいと思う。家族がドラマを見ながら食べている時も一応団らんの時間として、私も少し何かつまみながら同席する。で、本格的な食事はドラマの前後に済ませるのがいいと思う。それができないか家族に打診してみようと思う。

求人サイトはマッチングアプリと似ている。就活に迷える子羊はまずハローワークに行くべし。

こないだnoteにも書いた、求人サイトは恋愛マッチングアプリに似ているという話をした。友人からの賛同を得た。

で、友人はハローワークでの就活を推していた。

修士の二年間で学んだこと。私は彼氏に依存しがちで尽くしがち。家族といえど個人。

今日電話した友人に、かつて「あなた彼氏に尽くしすぎなのよ」と指摘されたことがあった。その通りである。私は彼氏に尽くすことで彼氏の視線を独り占めしようと思っていたし、そうすることで自分の自信のなさ・自己肯定感のなさを補おうとしていた。だから私は彼氏に精神的に依存しがちだった。でもそうやって私が尽くせば尽くすほど恋愛はうまくいかなくなった。

恐らく私は一生独身だろうが、仮にいい人が現れたときにその人と健全な関係が築けるよう、今は修行の時かなと思っている。一人でも(独身でも)それなりに人生を楽しめるように試行錯誤しているのだ。フィンランド語学習継続やこのnoteの毎日更新は、その一環でもある。

「だから私はしばらく独り身でいようと思っているんだ」友人にいったら、別に気にせず恋愛したら?とのことだった。恋愛における不得手は恋愛で克服せよということか。それも一理ある。ふむ…。

家族といえど個人、という話は多分一年前くらいにnoteに書いたが、要は血のつながりに甘えず必要な時に必要なだけ言葉を尽くして意思疎通を図ろうとすることだ。その大切さに1年前にようやく気付いた。

人間50年…じゃないじゃん、人間50年経ってからじゃん。なげぇー。

そんなわけで(どんなわけで?)、私は50代で死ぬんじゃないかなとぼんやり思っている。(実際は親の死を看取ったら私の現世でのお役御免かなと思っているので、もうちょっと生きなきゃいけないかなと覚悟している)。というか、人間50年以上生きて、それ以上何があるというのだろう。ただただ長いなあ…と思うだけだ。

だけど私の両親を傍から見ていて思うのは、50代になってからの方が二人とも楽しそうだなあということだ。え、それじゃあ人間50年じゃなくて、人間50年経ってからじゃん。50年経ってもまだ生きなきゃいけないって事じゃん。長いよう人生…。

(* でもこの世には長く生きたくても生きられない人もいるわけで、私の『人生ながすぎだるい』みたいなのは贅沢な悩みだとも思っている。私は明らかに健康体を持て余している。)

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今日も#30dryc は継続できた。

ここで述べた国の殆どは、交換留学中に行かせてもらった場所だ。旅行をお腹いっぱいしたので、今はそこまで観光に興味がない。でも留学は面白い。旅行と留学は別カテゴリだ。それは、今日電話した友人も賛同していた。


そんな、皆様からサポートをいただけるような文章は一つも書いておりませんでして…