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ネパールでの出来事の意味

2022年のネパールでの3か月弱での滞在で起きた出来事を通じて、
自分自身が最近感じることについて書いてみます。

2022年のネパールでの3か月弱の滞在は、ネパール語の先生のサポートがあり、実現できました。
3か月弱の滞在のうち、はじめの1週間と日本帰国前の2週間ほどは首都カトマンズに滞在をし、その他の期間はポカラという町に滞在をしていました。
ポカラには2か月間滞在しました。
ポカラに2か月間滞在したのは、カトマンズよりも自然が豊かだと思ったことと、ネパール語の先生がポカラに住んでおり、何かあった時に心強いというのがありました。

ポカラにいる間は、ネパール語の先生の友達が大家さんのアパートに滞在をさせてもらっていました。
そのアパートは日本でいうマンスリーマンションみたいな感じで、家具、家電、食器類が一通りそろっているというものでした。
アパートの家賃は通常だと月3万ルピー(日本円だと月3万円くらい)だったのですが、
わたしがネパール語の先生の生徒だということで、特別に月2万2千ルピー(日本円だと月2万2千円くらい)にディスカウントしてもらっていました。

わたしがアパートに滞在しはじめて2週間くらいたったころに、
大家さんにいろいろとよくしてもらいました。
・大家さんから野菜をいただく
・大家さんの友達の家でのバーベキューに呼んでもらう
・大家さんの家でご飯を食べさせてもらう
などです。
けれども、大家さんからいろいろとよくしてもらったにも関わらず、
その時の私の態度が大家さんを不快な気持ちにさせてしまったようで…
大家さんが何をしても、わたしが嬉しいのかが全く分からなかったそうです。
そのことをわたしがポカラを離れてから大家さんがネパール語の先生に言ったそうです。

また、ネパール語の先生は、ポカラ滞在中にご飯や買い物に誘ってくれることが多く、
ネパール語のレッスン以外にも時々会っていました。
ネパール語の先生も、わたしがネパールでの滞在が楽しいのかが分からなかったそうです。

「今回の滞在中のまりんこの態度を見ていたら、次にネパールに来た時に誰からも相手にされないかもしれないと感じた。」
「もう大人なのだから、きちんと感謝の気持ちや感情を出すようにしないとね。」
といったことをネパール語の先生から、日本帰国を2週間切ったころに言われました。

当時はとても落ち込み、
「自分がネパールに行ったことで不快にさせた人たちがいる…」
「ネパールに行かなかった方が良かったのではないか…」
と思いました。
日本に帰国しても、このことはずっとひきずり、
「ネパール語の先生とは気まずいな…」
と思っていました。
「もうネパール語のレッスンを受けるのは辞めて、ネパール語の先生との関係を断とうかな…」
と思いましたが、それはしませんでした。
日本帰国後も、
「ネパールにまた行きたい。」
とずっと思い続けていました。
けれども、
「ネパールに行って、またネパール語の先生からいろいろと言われても嫌だな…」
と思っていました。
それが、ネパールに2年以上行けないという現実を作り出していたと思います。

大家さんやネパール語の先生には、
してもらった事に対して
「ありがとう。」
とは伝えていました。
けれども、ネパール滞在中のわたしは感情が出ていませんでした。
決して、大家さんやネパール語の先生がしてくれたことが嫌だったわけではなく、
自分のことを気にかけてくれていると感じて嬉しかった…
それなのに、感情が出ていなかった…

このネパールでの出来事は
「感情を出しなさい。」
とのメッセージだったと、最近になって思うようになりました。

小中学校時代は、実家で発狂をよくしていましたが、
高校以降は、
「発狂をしてはいけない。」
と思うようになり、感情を抑えて、無表情、無感情で30年以上生きてきました。
「親のいうこと、周りの人の言うことに従わないといけない。」
「穏やかに生きないといけない。」
そうずっと思って生きてきました…

高校以降は、
「まりんこは何を考えているかよく分からない。」
と言われ続けてきました。
本当は感情を思いっきり出したかったし、
嬉しい、楽しいだけでなく、怒り、憎しみの感情も出したかった…!
けれども、それを抑えてきていました。

ネパールは心と心のつながりを大切にすることや感情を出すことを求められる文化だということをネパール語のレッスンやこれまでのネパール滞在を通じて感じています。
そんなネパールに心惹かれたのも、わたしの心は感情を出したかったからだと今となっては思います。

ネパール語の先生は、わたしの人生の恩人の一人です。
言いたいことをズバズバと言う人で、わたしとは正反対の性格です。
ネパールでの出来事以外にも、わたしの性格や態度のことについていろいろと言われましたが、それは愛があってのことだったと今は思います。
ネパール語の先生の
「沖縄はネパールに似ていた。」
という言葉で、全く興味がなかった沖縄に行きました。
ネパールでの滞在中に、北海道での農業アルバイトの経験があるネパール語の先生から、農業の話を聞いて、農業に興味を持ちました。
そして、日本帰国後に北海道と愛媛で農業体験や農業アルバイトをしました。
ネパール語の先生のサポートがあって、ネパールで3か月弱滞在できたことで、
自信がつき、北海道と愛媛の農村や沖縄の離島での生活も抵抗なくできました。
そう思うと、ネパール語の先生に対して出てくるのは感謝の気持ちです。

「自分にとって辛い、痛みとなる出来事にもギフトがある」
そのことを強く感じています。
今も、苦しく辛い中にありますが、数年後には感謝だと思えている、
それを信じて、日々精一杯歩んでいきます。
また、ネパールに行って、ネパール語の先生と会いたい
と今は思います。
その時にはきちんと感謝の気持ちや感情を出します。
今のわたしがしていくことは日々の生活で感謝の気持ちや感情をきちんと出していくこと…
これを先月の25年ぶりの発狂を通じても強く感じています。

読んでくださり、どうもありがとうございます。
素敵な日々を応援しています。

※25年ぶりの発狂について書いた記事はこちら
https://note.com/marinko_0111/n/ne205caca2930?sub_rt=share_pw

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