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循環型社会の歴史 1

みなさんこんにちは!!!

先週は考査のため投稿できませんでした🙇🏻‍♂️


今週は循環型社会の歴史について調査しました。

簡単に循環型社会とは、限りある資源を効率的に利用し、リサイクルなどで循環させながら、将来にわたって持続して使い続けていく社会のこと

今回は循環型社会の歴史ということで『江戸時代』まで遡ってみました。

太陽の恵みと植物を利用して、ほぼすべての物資とエネルギーを賄っていた江戸時代。
当時は、衣食住のあらゆ る場面でリサイクル・リユースが行われる完全な循環型社会でした。
その後、大量消費社会が発展し、循環型社会は損なわれ、
我々は環境問題に直面しています。

環境問題を解決していくためにも、一度江戸の暮らしに立ち帰り、学ぶ必要があると考え、今回はこのトピックを選びました。


我が国の歴史を振り返ると、かつて他の国や地域でもみられたように、人々は物の利用についていわゆる「もったいない」の精神と「清潔」にしたいという気持ちが自然と調和した社会を形成していました。

これを「原始循環型社会」と呼びます。


1 江戸時代と持続可能な社会のシステム


江戸時代は、地域での活動を中心とした循環型の社会であったと考えられます。
また、現代に比べて低炭素型の社会活動を営み、自然共生の面でもより深い経験を伴った生活をおくっていたものと考えられます。

持続可能な社会は、低炭素型社会、自然共生型社会、
そして循環型社会の構築に向けた統合的な推進の上に成り立つとの考えからも、この時期の取組は示唆に富んでいると言えます。

1)江戸の衛生的な循環システム

 江戸の都市は、世界に類をみない衛生的な都市であったとされます。
稲作を基調とした社会システムの中で、し尿や生ごみといった有機物が農村で肥料として土に還り、都市に残ることがなかったことがその理由とされます。

近世ヨーロッパの都市ではし尿の処理に有効な手段がとれずペストやコレラといった伝染病が猛威をふるいましたが、このような伝染病の発生は、日本では、病原体の媒介となりうるし尿等が放置されずに有効活用されていたために、比較的少なかったようです。

 新たな循環型社会基本計画で示された「地域循環圏」の考え方は、地域の特性や循環資源の性質に応じて、最適な規模の循環を形成することの重要性を謳っています。

この点を踏まえ江戸がいかに循環型の社会を実現させていたのか、地域や物の特性を活かした地域内での循環圏の構築という観点から概観します。

地域や物の特性を活かした循環圏の構築

 江戸時代には、地域や物の特性を最大限に活かすことは重要なことだと考えられていました。例えば、「三里四方」という表現が使われました
これは半径三里(約12キロメートル)の間で栽培された野菜を食べていれば、健康で長寿でいられるということを意味しています。
場所によっては「四里四方」や「五里四方」などと使い分けられ、栽培される野菜の移動距離には違いがあったようですが、こういった表現からも、地域や物の特性が重要視されていた様子が伺えます。

こうした考え方は、現代の「地産地消」という言葉の中に引き継がれているといえるでしょう。
 
江戸時代は、田畑の土作りや野菜栽培において、都市から出るし尿や灰などが有効に活用されていましたが、それらは単に農家に引き取られただけでなく、金銭や野菜と取引・交換されていました。

こうしたやり取りは、都市周辺の農家の土壌を肥沃なものとしただけでなく、都市と周辺農村地域の間の循環圏を育て、農家の自立や都市発展の一助となり、経済と環境の好循環の好例となっていました。



次回は実際に江戸の人々がどのように暮らしていたのか注目していきます。

ありがとうございました!!


出典


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