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自己啓発の危うさ

ある時期から、ひとつのジャンルとして
確固たる地位を築いていますよね。
私も数年前は、この手の本を夢中で読んでいました。
そしてある時期、ピタッと読まなくなりました。

なぜか?

こういう本って、心に悩みや迷いがあったり
そもそも弱りきってダメージ受けてるときなど
感情がネガティブなときに手にする機会が
多いと思うんです。

そんなときにこういうジャンルって
思い切りストレートに影響受けたりして危険だと
個人的には思っています。

…どうして自分は上手く出来ないんだろう?
って、かえって落ち込んでしまうような感覚。
少なくとも私は、そんな状況に陥ってました。

特に、うつ病で入院してて、退院したあと
2〜3年ほどがピークだったかな?
迷いに迷いに、迷って悩んでいた頃。

思うに、少なくとも自分自身が空っぽなときに
読む物ではないと思ってます。
その穴ぼこに、ダイレクトに侵入してくるから。

結構、本気でキツかったです。
楽になりたくて読んでたはずなのにね。

ちゃんと自分の心にブレない芯や軸があって初めて
参考程度に取り入れるのがベストだと思います。

だから、一時期ピタッと読まなくなった私は
その時点できっと、空っぽの穴が埋まり
それが必要なくなったのでしょう。

年齢と共に考え方も変わってきたのか?
そもそも辛い時期にそんな本を読んだことによって
スパルタ教育で鍛えられたのか?
あるいは両方なのかもしれませんが笑

なので、自己啓発というのは筆者や演者の意見を
そっくりそのまま取り入れることではなく
それを活かして自己を確立することが
大切なのかな〜と思っています。

なんか理屈っぽくなってしまった笑

今でも基本的には自信はなく、気持ちはグラつくし
弱音を吐きたくなるときもあります。

でも不思議と、本棚に手が伸びません。
自分の中でブレない物を手に入れたり
物事の線引きが出来るようになったのでしょうか。

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とはいえ、ときにネガティブな感情は顔を出します。
でもこれは、生きてる限り仕方がないですよね。

うっかり空いちゃった穴にあえて蓋をしなくても
その穴から芽が出て花が咲き
実りを迎えることだってあるかも知れない。

Twitterのような短文のSNSでは
弱音とかってなかなか見せられないですよね。
なのでこうして、ここでこっそり綴っています。
Twitterが表で、noteが裏みたいな?

見せられてる方は、堪ったもんじゃないかな。
そもそもこのnote、Twitterと連携してるし笑

でも同じような方、きっと少なくないと思います。
見える所には降ろせない荷物を抱えている方…
悩める皆さん、内容は違えど一緒に頑張りましょう。

そして、Twitterから飛んできてくれた方
いつもこんなメンドクサイことばかり考えたり
書いたりしてるわけではないので…笑
これからもよろしくです。

今日はこのへんで。

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