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📖#6 天皇に身も心もお仕えした乙女の打ち明け話『讃岐典侍日記』

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身も心もお仕えした堀川帝をうしなった長子ちゃんは、宮中を出て実家に戻るのでした。

それから、私は実家に戻っていました。
10月になり、先輩からお手紙が届きました。

先輩「あなたが長い間、堀河帝に立派にお仕えしたことをお聞きになった白河院が、『まだ幼い鳥羽帝には、そういうしっかりした人が必要だ。早速、お仕えせよ』と仰せですので、そのつもりでいてください」

私はあまりのことに驚いて、読み間違えてしまったかと思いました。

幼い鳥羽帝のことは、私がお仕えした亡き堀河帝の御子息でいらっしゃるので、親しみを持っておりますが、二代にわたって、私がお仕えするのは、あつかましいのではないでしょうか。
そもそも私は、堀河帝にお仕えすることも、本当は辞退したかったのですが、親や姉がすすめた話だったので断れずにお仕えしたのでした。

今回は白河院の御命令ですから、お断りは出来ません。
なにか理由をつけて出家してしまおうかしらと思いましたが、出来ませんでした。

(いっそのこと、このまま悩み過ぎて体調が悪くなってしまえばいいのに。そうしたら、それを理由に出家してしまえるのに)

そんなことを思い続けて、お返事を延ばしている私でした。

堀河帝の皇子である鳥羽帝にもお仕えするようオファーが来ました。
長子ちゃんは、本当に優秀な女房だったんですね。

長子ちゃんは控えめな性格なので、親子二代にわたって、お側でお仕えするのは図々しいことだと遠慮しています。

そもそも堀河帝にも自分からすすんでお仕えしたのではなく、親とお姉さんがすすめるから仕方なくだったそうです。

長子ちゃん自身は気が進まなかったでしょうけど、帝にお仕えする女房というお仕事は、当時の女性が憧れるトップクラスの職業。
女房になって帝に気に入ってもらえたら、皇子か皇女の母になれる可能性もゼロではありません。

そんなスーパー玉の輿チャンスが、自分の娘または妹に舞い込んできたら、「絶対やりなさい」とすすめるに決まってます!

親「長子、やりなさい。滅多にない光栄なことなんだぞ」
姉「絶対やった方がいいわ。やらないと後悔するわよ」
長子ちゃん「(そんなすごいことだからこそ、私はやりたくないのに)……はい」

……という感じに説得されてしまったのかも?

長子ちゃんは、いっそのこと出家したいと現実逃避までしちゃってますが、この後、宮中にいる先輩から催促のお手紙が来るわ、親戚からもお仕えするように言われちゃうわで、長子ちゃんはとうとう堀河帝の皇子(鳥羽帝)にお仕えすることにしました。

なんだかんだで流されやすい長子ちゃんです。

色々と迷いましたが、私は鳥羽帝にお仕えすることになりました。

元日の夕方、帝がお住まいのお部屋に参りましたところ、誰もおらずひっそりと静まりかえっていました。

以前はここに堀河帝がいらっしゃいました。
今は鳥羽帝がお住まいなので、堀河帝はいらっしゃらないと分かってはおりますが、堀河帝がたまたま別のところへお出ましで、お留守になっているだけのような気がします。

その夜は何事もなく明けて、翌朝起きてみると、たくさん雪が降っていました。

「ふれふれこゆき」

どこからか、幼い子どもの無邪気な声が聞こえました。

(他の女房の子どもかしら。帝のいらっしゃる神聖な職場にまで連れてくるなんて無作法なこと)

と思いましたが、この声は鳥羽帝のものでした。

こんなにも幼い帝にお仕えすることになんて大丈夫かしらと、私は不安になるのでした。

天皇が生活をする神聖な場所には、(基本的には)子どもはいなかったようです。

お仕えしている女房が自分の子どもを連れてくることもあったらしいのですが、それは自分たちに与えられた部屋の中だから許されること。
帝が寝起きする場所まで連れてくるのは公私混同だからよろしくないと、優秀な女房である長子ちゃんは思いました。

でも、それは女房の子どもではなく、帝本人でした。

このとき、鳥羽帝は5歳くらい。
「雪、ふれふれ~」とはしゃいでもおかしくない年齢です。
天皇も子どものときは、むじゃきなんですね!
生まれた時から清く正しく、凡人とは違って達観してるのかと思いきや、普通の子どもと変わらないかわいいエピソードでなごみます。

長子ちゃんはこれまで、自分と歳が近い堀河帝にお仕えしてきたので、「こんなに小さい子が天皇で大丈夫?」と不安そうです。

当然ながら幼い鳥羽帝が政治をしているのではなく、おじいさまの白河院が実際には国を動かしています。

つまり、「院政いんせい」ですね。

▼「院政いんせい」とは…
天皇ではなく、引退した上皇じょうこうまたは出家した上皇(法皇ほうおう)が政治をすること

鳥羽帝がまだ小さいから仕方なく、出家した白河院おじいちゃまが政治をやってくれている──のではなく、堀河帝お父ちゃまが生きていたときから、ずーっと政治は白河院がやってました。

堀河帝は現役の天皇なのに、引退&出家した父上が実権を握っていたので、ほとんど政治に関われなかったそうです。

もともと体が丈夫ではなかったことと、政治よりも勉強や和歌、楽器演奏に興味があったので、政治はパパに任せっきりな状態が彼にとってのベストだったのかも?

堀河帝お父ちゃまはそれで良かったとして、鳥羽帝は白河院おじいちゃまに実権を握られっぱなしでいいんでしょうか?

全然よくありませんでした。

鳥羽帝は白河院おじいちゃまの院政を身近で観察して、76歳でおじいちゃまが亡くなってから、満を持して26歳で天皇を引退して院政をスタート。

第一皇子の崇徳天皇(当時3歳)に天皇をゆずったものの、あくまでも政治は鳥羽上皇がメイン。

崇徳天皇が23歳になったとき、鳥羽上皇は第九皇子である3歳の近衛天皇に天皇をゆずるよう命令。
近衛天皇の時代でも、政治は鳥羽上皇がトップ。

これがのちのち、保元の乱という戦いにつながって、崇徳天皇が日本三大怨霊になった原因になります。

「雪、ふれふれ~」と無邪気にはしゃいでいた子どもが、戦いの原因と現代まで畏怖される怨霊を生み出してしまうのです!
このまま成長せずに、かわいいままでいてくれたら良かったのに。

鳥羽帝がそんなモンスターに成長するとは知らない長子ちゃんは、堀河帝のときと同じように、心を込めてお仕えします。

昼間は恥ずかしいので、日が暮れてから参上しました。

初めて鳥羽帝にお食事を差し上げることになり、私は灯りをわざと暗くして、帝のお側に寄りました。
帝は私の顔をのぞきこんで、

鳥羽帝「だれ、これは」

とおっしゃり、周りにいた人たちが私のことを説明してくれて、帝は「そうなんだ」と、ご納得いただけたご様子。
帝は以前よりも、ご成長されたように見えます。

一昨年、お会いしたときは、楽しくお話をなさって、

長子「もうお帰りなさいませ。日が暮れないうちに、お髪をとかしましょう」
鳥羽帝「もう少し、ここにいたいのに」

とおっしゃって、とてもかわいらしかったのにと思い出されて、涙がこぼれました。

鳥羽帝、長子ちゃんに気づきました。
堀河帝が存命のときにも会っていたようですが、幼すぎて覚えていなかったみたいです。
このまま成長せずに、かわいいままでいてくれたら良かったのに。


続きます。


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