📖#5 天皇に身も心もお仕えした乙女の打ち明け話『讃岐典侍日記』

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正妻にご連絡

昨日から、大勢の僧侶そうりょが大声をあげてお祈りしていますが、帝の具合は良くなりません。
そんなとき、お后きさき様である中宮ちゅうぐう様に呼ばれましたので、中宮ちゅうぐう様のお部屋に参上しましたところ、帝のお体の具合をおたずねになられました。
私はありのままをお伝えしようとしましたが、あとから他の人に「讃岐典侍さぬきのすけは、中宮ちゅうぐう様にあることないことを話した」と、うわさされてしまったら困るので、詳しくは申し上げられませんでした。

長子「私を通してではなく、帝のところにいらっしゃって、直接お見舞いされてはどうでしょうか。帝はとても苦しそうに見えますので」
中宮ちゅうぐう「では、都合のよいときに参りましょう」

夫が生きるか死ぬかの大ピンチなときでも、正妻の中宮ちゅうぐう様は簡単には帝にお会いできません。
自分にお仕えする女房に伝えて、その女房がお使いの者に伝えて、そのお使いの者がさらに他のお使いの者……といった感じに、何をするにもまどろっこしくて面倒くさい！
お后きさき様が帝にお会いしたいって言うんだから、さっさと会わせてあげてー！！

これで最期かもしれないのに、長子ちゃんは帝の様子を詳しくお伝え出来ません。
中宮ちゅうぐうは帝の奥様なんだから、帝のご様子を全部お伝えしてあげてもいい気がしますけど、長子ちゃんからしてみれば、帝も中宮ちゅうぐうも自分よりも位が高い御方なので、どちらにも気をつかわなければいけません。

「ああもう、面倒くさい！　自分で帝の様子を見に行けばいいじゃない！」
と言いたいところを、オブラートに丁寧な言葉で、それとなく伝えた長子ちゃんの対応は100点満点ですね！

自分の夫の病状を、夫に昼夜寄り添っている側近（夫と肉体関係あり）に聞かないと分からない中宮ちゅうぐうも、ややこしい立場にやきもきしていたのかもしれません。

夫婦さいごのお話

すぐに中宮様がお越しになられました。
大臣様は私に「典侍すけだけはお側でお仕えしなさい」とおっしゃったので、几帳きちょう（パーテーション）で囲まれた病床の中で、私は帝に添い寝をしました。
恥ずかしかったですが、引き下がるわけにはいきません。

長子「中宮様がおいでになられました」
帝「どこに？」
長子「ご几帳きちょうのところにいらっしゃいます」
帝「どこ？」
中宮「ここにおります」

お二人でお話をされたいだろうと思い、私は帝の足もとへ移動しました。
お二人はしばらく、何かをお話されておられました。

病気の夫をお見舞いに来たら、パーテーションの裏で愛人が添い寝をしている。
……なんだ、この修羅場は。

帝と中宮の会話を長子ちゃんは「何かをお話されてました」と、まるで何も聞こえませんでしたと書いてますが、こんなに近くにいて何も聞こえなかったはずがありません。
しかも、帝は耳が聞こえづらくなっているので、中宮は大きめではっきりとお話されたはず。

たぶん、長子ちゃんは全部聞き取れてしまっていますが、優秀な女房は何も見ていない、何も聞いていないことにするのが暗黙のルール。
だから、日記にも書いてないんですね。

中宮は、夫の足もとで大人しくしている長子ちゃんのこと、どう思ってたんでしょうか。
純粋にお仕えしているだけでなく、性的なお仕えもしている長子ちゃんを前に、夫と最期の会話をしないといけないだなんて複雑ですよね。
中宮、メンタル強すぎません？

それとも、高貴な方は自分より格下の者は空気同然で、気にしていなかったのかも？

平安時代の格差社会こわいですね！

中宮がお帰りになって、帝の容体がどんどん悪くなっていきます。
大臣たちや僧侶たちが集まってきて、仏教の儀式が急ピッチで進行します。

神様お助けください

帝「ますます苦しくなっていくよ。もう死んでしまうんだ。大神宮、お助けください」

とおっしゃり、息をつまらせるご様子です。

帝「我慢できないほど苦しい。抱き起こしてくれ」

私が抱き起こしますと、いつもよりもすんなりとお起こしできました。
乳母様が後ろにいらっしゃるので、帝のお背中を乳母様に寄せかけて、私は帝のお手を取り、腕を触るととても冷たく感じられました。これはどういうことなのでしょうか。

とても偉い僧侶ばかりが集まり、必死にお祈りされましたが、なんの効き目もありません。
帝は「大神宮、お助けください」とお念仏を繰り返してとなえておられましたが、やがて、そのお口も動かなくなってしまわれました。

帝の最期のお言葉は「大神宮、お助けください」なのが、なんともやりきれませんね。

大神宮とは伊勢神宮のこと。
つまり、天皇家の祖先神である天照大御神あまてらすおおみかみがいらっしゃるところです。
だから、天照大御神にお願いしたのですが、帝は亡くなってしまいます。

プライベートが全然ない、公おおやけの存在の帝でさえ、最期には「アマテラス様、助けて！」と個人的なお願いをするんですね。
「帝も普通の人と同じなんだ」と、恐れ多くも親近感がわきました。

この時代、神様に近いとされる天皇でも、死は平等におとずれるのだなあと思うと、色々と考えてしまいます。

私が帝を思う気持ちは……

大臣様が帝のご様子をじっと見て、「では、院にお知らせしましょう」とおっしゃり、集まっていた皆様は退出されました。

私は御枕を直して、帝をお寝かせしました。
やがて、朝日がさして、帝のお顔色がいつもよりも白くて、腫れているお顔が清らかで、安らかにお眠りになっているご様子と変わりませんでした。

一人残っていた僧侶がそっと立ち上がって退出されるとき、乳母様が、

乳母「ああ、悲しい！　どうして退出なさるのですか！　お助けください！」

と声をあげて泣くのを聞いて、お傍でお仕えしていた誰もが大声で泣いて悲しみました。
みんなの泣き声は、障子を地震のときのように揺り動かしました。

私は、帝の御汗を拭うのに使っていた紙を顔に押し当てて、帝の御遺骸に寄り添っていました。
乳母様に負けず劣らず、私も帝のことを思っていると、この時は思っていたけれど、乳母様のように声をあげて泣けなかったので、私が帝を思う気持ちは、乳母様よりも劣っていたのかもしれません。

帝がお亡くなりになってからの、みんなの反応はそれぞれ。

大臣は帝の父上である白河院にご報告しに出て行きます。
いかにも出来る忠臣のようにふるまってますけど、こいつ、絶対気まずい雰囲気から逃れたかっただけでしょ！

お祈りが効かなかった僧侶も静かに去ります。
それに泣いてすがる乳母。

長子ちゃんはというと、帝に寄り添ったまま、涙を流せずじっとしています。
「涙が出ないってことは、私は乳母様よりも帝のことを思っていなかったのかしら」
と自分を薄情だと思ってますが、いやいや、そうとも言えないよ、長子ちゃん！

本当に悲しいとき、深く絶望しているときは、涙も出ないで放心してしまうこともあるか、わんわん泣き叫んでいる乳母様の悲しみよりも、長子ちゃんの悲しみが軽いなんてことはないと思います！

このあと、ご臨終に間に合わなかったもう一人の乳母がやってきて、大声をあげて泣き、うずくまって動かなくなります。

長子ちゃんはうずくまってしまった乳母の息子に、

長子「その方（乳母）を抱いて退出してください」

と伝えますが、

乳母の息子「こんなに弱っている母をどう扱ったらいいか分かりません。助けてください」

なんとも情けないことを言う息子です。しっかりしろ、息子！
取り乱す乳母の息子に対して、長子ちゃんは冷静に、

長子「見苦しいから下がりなさい」

と突き放します。
すると、息子は怒って、

乳母の息子「なんてことをおっしゃるんですか！　母は帝が元気でいらしたお顔を見せていただけなかったのですよ！　だから、こんなに悲しんでいるのに！」

と言い返します。
長子ちゃんの反応はというと、

長子（こんなことになったのを私のせいにして、彼が恨んだり泣いたりするも無理はないのかもしれない）

と、これまたクールに観察します。

あなただけは特別

私は他にもいた乳母様たちをなんとか退出させたあと、帝のお近くでお仕えしていた因幡内侍いなばのないしと一緒に、御遺骸のお側にいました。

内侍ないし「あんなにも多くの人が帝にお仕えしておりましたけれど、あなたは他の人とは違って、帝と深いご縁があったのですね。だから、帝の最期までお傍にいられたのでしょう。よくお仕えなされました。ご立派でしたね」

と言って泣いている姿に、私も悲しみがわいてきて抑えきれない気持ちでした。

そこへ、慌てた人がやってきて、「早くお越しください。乳母様が気絶されました」と言って、私を引いて連れて行きました。
乳母様は本当に死んだ人のようになっていて、息もしていません。
日暮れ頃、乳母様の実家の人が集まって牛車に乗せて連れて帰りました。

後日、「神璽しんじ宝剣が帝のお部屋から別の場へお移りになった。帝の日記も御鏡も持って行ってしまわれました」と人づてに聞きました。
私はとても悲しくなりました。

『讃岐典侍日記　上』おわり

同僚の因幡内侍いなばのないしが、長子ちゃんの帝に対する忠誠をほめてくれました。
最期まで帝にお仕えできたのは、長子ちゃんと帝のご縁が深かったのだとも。

これには、長子ちゃんもうるっと来たのではないでしょうか？
人から指摘されて初めて、自分の感情が分かるときだってありますし。

長子ちゃんがやっと泣けるかな？と思いきや、またしても乳母が倒れました。
おまえ、まだ帰ってなかったんかい！

亡くなった帝のお部屋から運ばれた「神璽しんじ（勾玉）」「宝剣」「鏡」は三種の神器のこと。
この三つを持つ＝天皇であることの証。

これらが新しい天皇のところへ移ってしまい、悲しくなる長子ちゃんでした。

続きます。

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