音楽と生きたい(プリクエルトリロジー)

こんばんは。今日も暑いですね。
早く寒い季節が来ないかしら…花柄のワンピースその上のレザーのジャケット羽織ってブーツのかかとを鳴らして歩きたい…(save your dreamより引用)

さて、久しぶりに文章を書きたくなったので書いています。以前私の夢の話を書いたんですけど、別枠で書きたいって当時の私が言っているので、書いてあげようかなと思います。
音楽と私の人生…なんて言ったら大袈裟だけど、なんでいまこういった状況で自分が生きているのか、自分の中でも整理しておきたいのです。
あとは、かなり特殊な(?)音楽人生だと思うので「へーこういう人もいるんだ、そんなら私もまだまだ捨てたもんじゃないな。」
とか思ってくれるひとがいたら、書いた甲斐があるってもんですね。

では今日は第一話。打楽器を演奏するようになるまでの話を書きます。(一話というか、前日談だね。)

小学校1年生くらいから、ピアノを習っていましたが、それより前は、音楽教室でリトミック的なものを習っておりました。
当時、「てっきん」がすごく好きだったのを覚えています。
発表会のパートを決める時に先生が「もっきんやりたいひと〜」って言ったんだけど、(私がやりたいのはてっきんだからな)と思っていたら、なんと「もっきんじゃんけん」に負けた人が「てっきん」になるシステム…「私てっきんやりたかった」なんて言い出せず、キーボード弾いてました…
そんな感じで当時から打楽器はすごく好きで、あとは歌うことが好きでした。
いまでも歌は大好きです。話すことよりも歌う方が得意なのでよくびっくりされます。
そんな感じで「音楽好き!」な気持ちを培った幼少期、うってかわって小学生の頃は本当に練習が嫌いでした。
それでもうちのルールで
「1日1時間練習、練習しないならやめる」
だったので、渋々やってたんじゃないかと思います。(練習したくないのにやめたくはないという矛盾…)
それから、これもルールというかなんというか、「習い事は一個」というのも決まっていたので、お友達がスイミングやらくもんやら硬筆やら習っていると、それやりたいからやめようかな…とかなったり…でももったいなくてやめられなかったり…
(これは大声では言えませんが、「習えない」は「習えない」なりに自分でなんとかしようという謎のチカラが働くので、習ってなくても水泳100メートル余裕で泳げるようになるし、くもん行ってなくても計算はクラスで1位2位を争えるし、埼玉県の文化である硬筆展も県展くらいならいけます。実体験。ぜひ一度、お試しください。独学力は本当に便利ですし、教えてくれる人間の温かさにも触れることができます。)

それでも本番は好きで、年に一回の発表会に留まらず、コンクールまで出ていました。
小学生の私の考えなんて安直なので、「コンクールで賞がとれそうな難しくてカッコ良い曲」という基準で曲を選んでいましたね。
無調の現代の音楽なんかを弾いていたので(子どもが弾くものなのでそれでもわかりやすいとは思うけど)
元来転調が大好物な私としては、あんまり楽しくないわけで。(今はまた別の感情を抱いている。あくまで当時のお話です。)
コンクールは出たいけど練習はしたくない、でも弾けるようになったらかっこいいよな…
みたいな、よくわからないサイクルにはまっていくわけです。
とりあえずでも練習しないとやめさせられるので、なんとか1時間の練習をし(?)ピアノは続けておりました。
そして幼少期「てっきん」が好きだった私は小学生の頃には木琴好きの少女になっていました。計6回の音楽会のうち、3回は木琴。
1年生のころは体の大きさににあわないマリンバを、3年と5年の頃にはシロフォンを。あのシロフォン、今思うに、アクースタロンのシロフォンです。アクースタロンというのは木じゃなくてそういう樹脂でできてるシロフォンのことで、容易に削れたりしないので、ピッチが変動しにくいという利点があります。音質は若干木に劣りますが、昔から音程が気になる私としては、アクースタロンのシロフォンがとても好きでした。
生まれた時から住んでいる三芳町にあるホール、コピスみよしとか、キラリ⭐️ふじみとか、ミューズとかで演奏の催しがあるとよく連れていってもらっていましたが、目に入るのは打楽器。
「中学生になったら部活で打楽器をやるんだ!」
そう思っていました。
おそらく小学校低学年の頃です。
ところがここで問題が…
なんと進学予定先の三芳中学校には、当時吹奏楽部がなかったのです。
ど、どうなるのでしょうか。
本編へつづく。

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