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なんでnoteをやってるのか、という話。

※今日は重陽の節句。叶えたい事を宣言すると縁起が良いそうなので、私もやってみます。


noteって、
ちゃんと書こうとすると書けなくなりませんか。
私だけかもしれませんが。

(「ちゃんと」って、そもそも何だよという議論はいったん置いといて。)


(人様に見せるからには、少なくとも5000文字以上は書いて、何か有益な情報や学びのある記事を提供しなくては!)


書けない時は、いつもたいてい、こんな心境。
謎の義務感、強迫感。

誰が決めたの?そんなこと。
自分で自分を縛っているだけ。

最近つぶやきばっかりじゃん、私。
何をいまさら。

noteをはじめて一年半あまり、煮え切らない状態で冴えない投稿を続けている。読まれたいのに、読まれたくない。矛盾している。

私はなぜ、noteで自分語りをしているのだろうか?

このnoteをはじめた頃は、webライターがメインの仕事だった。文章が上手くなりたいと思い立ち、特にテーマも決めずに、見切り発車でアカウントを作った。

ところが、開始早々に書くことが見つからないという壁にぶち当たった。

いや、あるにはあるんだけど、具体的に書きすぎるとプライバシーの問題もあるし、一応、私は身バレしたくないという体でいる。

そこで、仕事の話や最近のことはあまり話題にせず、誰も覚えていないような過去の自分語りをはじめた。

なんで?

観光ライターなのに。自治体PRが仕事じゃなかったのか。案件から離れた個人の記事でも、旅の思い出を綴っていけば、ポートフォリオにもなって、読者の皆様にも楽しんでもらえるのに。

なんでまた、家庭の闇や学生時代の嫌なことをかいつまんで記事に残しているんだろう。
早く忘れた方が良くない?

書いては消し、書いては消しを繰り返し、結局下書きのままになっている記事がたくさんある。

まだここで話していないことの方が多いんだけど、どうにも暗くなってしまって。

まだいろんな事が自分の頭の中で消化しきれていないから、エンタメにするのは早いかなって。(というか、表現力が乏しいからユーモアに昇華できてない。)

仕事から離れたところで、SEOライティングの縛りからも解放されたのに、私は何を目指しているんだろう。


その答えの一つは、自己理解だ。
自分の生きづらさはどうすれば解消できるのか。
問題解決のために、私は気持ちの整理をしている。言葉で呪いを解いていく、書く解毒。

もう一つは、自己証明だ。
気持ちの整理だけなら、紙のノートやEvernoteでもできる。わざわざnoteに公開しているのは、誰かに共感してほしいという承認欲求があるから。

人に見てもらうことで、自分を客観視できる。
自分だけが苦しいわけじゃない。

人それぞれ、何かしら抱えている。
いや、抱えてなくてもいい。

私はここで、存在していていい。
似たような人は他にもいる。
大丈夫だよ。

もうちょっと、肩の力を抜いてみようかな。


せっかくの貴重な時間を使って私の記事を読んでくださった方、応援のスキをくださる方、いつもありがとうございます。

暗くて冴えなくて申し訳ないと思いつつも、しばらくは自分語りを続けて行こうと考えています。


いつか突き抜けることができる、
その日を目指して。


でもいざ公開してみると、(やっぱりこれじゃなかったんじゃないか)と途端に恥ずかしくなる。

今日も、私は燻っている。

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まりん
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