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ポール・オースター「Man in the Dark」(2008)が、今日読み終えるのにあまりにタイムリーで、驚いた話

Man in the Dark (闇の中の男)――。ちょっとミステリアスな題名だけれど、なんのことはない、一人の不眠症の老人が床の中で眠れぬ夜を過ごしている、ただそれだけの話である。彼の一人語りが延々と続く、地味と言えば地味な話だ。

でも、実はこの老人、自分に向かって物語を綴って聞かせている(頭の中で)。その話がスリルとサスペンスに満ちたSF的な世界の物語なのだ。

舞台は――イラク戦争が“起きなかった”、現代のアメリカ。俗に言う、パラレル・ワールドである。しかもイラク戦争が起きなかった、つまりあの「9.11」も起きなかったそのアメリカでは、直前(2000年)の大統領選挙に端を発する内戦が起きていて、ニューイングランドと思しき地方でも、銃弾が飛び交い砲撃が繰り返されているという恐ろしい世界だ。

そこに、“こちら側”の(=現実の、イラク戦争が起きた方の)アメリカから、なぜか突如“あちら側”に置かれてしまったあるマジシャンの若い男が、ある地面に掘られた穴の中で、兵士の姿になって目が覚めるところから、その物語が始まる。穴の中。自力で這い上がることが不可能な深さ――村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』の井戸のモチーフが、否応なく思い出される。誰も助けてくれなければ、いや誰も気づいてくれなければ、そのまま死んでしまう恐ろしい状況。けれども、あっさりと彼は発見され、引っ張り上げられる。そして、告げられる。お前はある人物を殺さなければならない。なぜならその人物がこの内戦を司っていて、彼を殺さない限り、この戦争は終わらないからだ――。

そう、もちろんその「人物」とは、本書の語り手である、不眠症の老人だ。この内戦は老人の想像の産物なのだから――。こういうのをメタフィクションと言うのだろうけれど、それにしても、なんとぞくぞくする設定だろうか。もちろん、その後のマジシャン=兵士の冒険譚が、逃亡あり裏切りありロマンスありで、ぐいぐい読ませる面白さである。

けれども、なぜ老人が「イラク戦争が起きなかった世界」の物語を夢想するのかが明かされていく後半が、生と死、愛と孤独、希望と後悔を見つめ続け、問い続けてきたポール・オースターの真骨頂だと唸らされる。老人が、娘と孫娘との3人で暮らすに至った経緯。亡くなった妻との出会いと別れ。一度家を出た孫娘が、数カ月前に母親の元に戻ってきた経緯。老人が孫娘と見た小津安二郎の映画『東京物語』の情景の(比較的長い)描写。そして突然のように差しはさまれる、戦争をめぐる3つの個人的なエピソード……。一見バラバラに見えるそれらの断片が、「今、自分が生きていること」へのさまざまな思いを掻き立てる。

戦争と平和を考える8月。それも終戦記念日の翌日に、「オーディブル」と原書の併用で、本書を読み終えた。今年は9.11米国同時多発テロから20年。そして昨日、米軍撤収が続くアフガニスタンで、タリバーンが首都を掌握。アフガニスタンから多くの人が脱出しようとしている、と報道されている。まさにそんなときにこの本を選んで読んだ(聴いた)とは、偶然にもほどがある…と、オースターお得意の(?)偶然=必然の感慨に駆られている。この偶然は、私に何を伝えているのか?このあとじっくり考えなければ、と思っている。

ところで、この作品の前に聴いたイアン・マキューアンの新作『Machines Like Me(恋するアダム)』も、ある歴史的事実が“起きなかった”架空の世界で展開する話だった。この本については、また別の機会に。
(ちなみに『Man in the Dark』の オーディブル版は、作者ポール・オースター自身の朗読で、ナレーションが渋くて趣があるので、お薦め。)

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