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4.「令和の白拍子」 選択の繰り返しがその人の道を作るというお話

「令和の白拍子」こと、花柳まり草(はなやぎまりくさ)こと、まりちゃんです。

これで4本目の記事です。「まずは、私がどんな人間かを知って頂いて、皆さんに面白がってもらいたいな〜。皆さんと仲良くなれる様に頑張ろう〜。うふふ〜」と考えながら、深夜零時にパソコンに向かいました。そして、ちょっと一瞬、スマホでネットを見たんです。

そうしたら、漫画の広告がたまに流れてくるじゃないですか?何だか面白そうな漫画だったので、ちょっと気になってクリックしたんです。しかも、どうやら今は無料で何話か読めるらしいんですよ。「まぁ一話だけ覗いてみるか・・・」って軽い気持ちで読み始めたんです。

気がついたら、現在、午前4時50分ですよ。・・・こわ。

でも、後悔はしていません。今の私にはとても響く作品だったんです。久しぶりに時を忘れて没頭しました。本当にラッキーだなって思います。(言い訳ではないですよ?)

■「ご縁」と「選択」のお話

私は、人・物・チャンス・・・自分が巡り合うもの全ては「その人にとって、もっともベストなタイミングで降って来る」と思っています。神様がいるとしたら「これどう?貴女やってみる??」という具合に。

次に、それを「選択するかどうか」という課題がやってきますこれは完全に本人の自由です。ベストなタイミングで自分の前にやって来たことだとしても、その時の自分の置かれている様々な状況を鑑みた結果、すぐにそのご縁に飛びつくことができないこともある。

もちろん、選び取るのも正解です。「私、やります!」って。でも、例えその時は選択しなかったとしても、それはそれで正解だと思うんです。ちょっと矛盾している様なことを言いますが。

「選ばなかった」ということは「ご縁を失った」ということでは決してないんですよね。たまたま、その時は「ご縁を繋がない」という選択をしただけで。きっとその巡り合いなりご縁は、違った形で、違ったタイミングで、必ずその人の前に現れる。もしかしたら、もっと良い出会いのための布石だったかもしれません。

そんな風に考えると、実際に現実もその様に動いてくれます。

ここで大事なのは「私はご縁を繋がないということを、自分で選択した」と思うこと。つまり「誰のせいにもしない」、かつ「後悔をしない」自分の選択に「自信」を持つ。そして得られるはずだったご縁に対して「いつまでもしがみつかない」。

あぁすればよかった。あの時、違う選択をしていたら。本当は私がやるはずだったのに。もう二度と自分にこんなチャンスは巡って来ないんじゃないか。

・・・そんな思考で頭をいっぱいにしていても、何の利益もない。

悩んだとしても、寝たら忘れる。

なかなか出来ないかもしれないけど、そこは頑張るのです。私も、悔しくて悔しくて夢にまで見てしまうことがありましたが、もうそこは頑張るしかないのです。

深夜に巡り合った漫画のお話から、ちょっと深いお話に繋げてみました。

人生は選択の連続です。何かのせいにしたくなることもあるけど、結局は自分が選んだことの結果ただ目の前にあるだけ。すごくシンプルですよね。

思えば私は、重大だと思える選択は、誰にも相談ぜずに決めてきました。

宝塚を目指す。宝塚を辞める。明治大学に入学する。日本舞踊家になる。

■「タカラジェンヌになる」という選択をするまで

3歳くらいでしょうか。記憶がない頃から日本舞踊は習っていました。もちろん親の意向です。ある程度大きくなってからもお稽古は続けていましたが、お仕事として日本舞踊を踊っていくなんて、1ミリも考えていませんでした。何なら、お稽古は嫌い、でも舞台は大大大大好き・・・という典型的なお子ちゃまでした。

よく小学校の文集で「将来なりたいものは何ですか」みたいな項目があると思うのですが、不思議なもので、「舞台に立ちたい」みたいなことは書いていた気がします。「女優さんになりたい」も書いた気がします。それって「花屋さんになりたい」と同じくらいの気持ちだったとは思うのですが、やはり煌びやかな舞台の世界に対する、仄かな憧れは抱いていたのだと思います。

そしてどこかに、「人と違うことがやってみたい」という思いもありました。

そんな小学校5年生の時。新しい先生が赴任をしてきて、その先生が私のクラスの担任になりました。

先生は、舞台観劇が大好きでした。しかも先生は抜群のファッションセンスの持ち主で、私は子供ながらに先生に憧れ、よくお話しをする様になったのだと思います。そんな訳で、私は先生から「劇団四季」と「ミュージカル」という未知の世界を教えて頂くことになり、自然と興味を持つようになります。

初めて観たミュージカルは劇団四季の「美女と野獣」。それまで日本舞踊の舞台や歌舞伎の舞台、児童向けのお芝居などは見た事がありました。幼少期は歌舞伎座の桟敷席でギャン泣きして、母には何度も切ない思いをさせたみたいです。本当にごめんなさい。てへぺろ。

話を戻して、そんな訳ではじめてのミュージカルを母と観に行きました。ガストンと仲間たちがビールグラスを持って歌い踊る<ラインダンス>の場面にすごく興奮したのを覚えています。

そして極め付けは、「オペラ座の怪人」です。

衝撃的でした。

涙が自然と溢れて、ビャービャー泣きながら帰った記憶があります。美しいメロディー、素晴らしいセット、そして怪人をめぐる愛の物語・・・。全てが小学生の私の胸を打ち、本当にもう、ビャービャーです。母にCDを買ってもらって、ずっと家でもテーマソングを歌っていた記憶があります。

「劇団四季に入団したい」と思ったこともあります。でも「今からレッスンを始めるとしても自分の実力じゃ無理そうだな」「何となく肌が合わなさそうだな」・・・なんてことを考えていました。

■「エリザベートの切符があるんだけど・・・」

そんなかんなで、私は中学受験をし、無事に第一志望の学校に合格する事ができました。担任の先生と会えなくなるのは寂しかったですが、小学校を卒業しても舞台について引き続き教えて下さるという事でした。

中学校の授業が始まった、4月のとある日曜日。私はまだ自室で寝ていました。そこに、珍しく母が入ってきました。

「先生からご連絡があって、急に舞台を観にいけなくなったそうなの。エリザベートの切符があるんだけど、代わりにまりちゃん観に行ってくれてませんか?って」

「え?それって劇団四季?」

「ううん。宝塚よ」

「え?宝塚?年中、男役が娘役を取り合って、最終的には絶対に主人公同士が結ばれるっていう予定調和を繰り返している劇団?え〜・・・どうしようかな」

・・・ごめんなさい。本当に、心から謝ります。生意気でごめんなさい。土下座できるレベルです。

つい最近になって、仲良しの某宝塚演出家の先生に「私、エリザベートの切符、譲っていただいて、それが宝塚との出会いなんですよね〜」と言ったら、「え?その切符を入手するために僕は大変な苦労をしましたよ」と少し強めに言われたので、まさか当時の私がこんな不遜な事を思っていたなんて、口が裂けても言えませんでした。

という訳で、眠い目を擦りながら急いで支度をして、有楽町に出かけて行きました。

白いシャツに、グレーのベスト、セットのグレーの半ズボンを着て行きました。何故だか、異常に覚えています。ただ、どうやって先生と切符のやりとりをしたかは覚えていません笑。

これが、私の身に突然降ってきた、そう、まさに「降ってきた」宝塚歌劇団との出会いでした。

こうして、私の舞台人人生への第一歩が踏み出されることになりました。

ということで、本日はこれ切り・・・是非、次回も逢いにいらしてください♪

今日も楽しく、笑顔で過ごしましょうね!

まり草

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