見出し画像

いつか、誰かと一緒に、変化を起こせるように#30

今日で30日ブログが終わると思うと、ほっとする。毎日休みなく書くのは、やはりちょっと負担であった。いくつかお疲れポイントを言うと、

1. 他の時間が減る(特にネタが浮かばない時。ただただボーッとしてるだけと化す)2. 寝る直前に書くから(マストだけど、優先順位が低いため)交感神経昂って眠れなくなる  3. 飛んで火にいる夏の虫よろしく、自ら進んで人様に粗を晒している

特に、3が大きいかもしれない。言わなかったら、ミステリアスなお姉さんを装えるかもしれないのに(まあ普通に会っても私のことを、誰もミステリアスとは思わないだろうが)、このブログで色んな手の内・心の内をベラベラ話しているわけである。私は読み手の皆さんのことはあまり知らなくても、一人相撲で勝手に情報開示している変な人なわけだ。

コグマのじいさんの話とか、特に害がない話ならまだいいが、昨日のような「大多数の人は素晴らしいと思っているけれど、違うんじゃないかと思ってしまう」ような事柄に対して「うーんちょっと違うと思います」と公開の場で言うことは、実は少し勇気がいる。

この勇気がいると言う背景には、1. 自分がそれを言える立場にない(渦中にいない)という自信のなさ 2. アカデミックな場にいたものとして、少しは鼻がきくものの、自分の理解能力と表現力がそこまで凄くないことを知っている、というものがある。だから、何か政治的なこととか構造の話をすると、カウンターアタックがくるのでは、くるのでは、と少し身構える。

でも、リスクを取らないときっと何も始まらない。しかも、私なんかの、流行らないブログを書くことなんて、すごく小さなリスクである。

スーパーできるカリスマタイプとか、超優秀な人たちは世の中にいっぱいいるが、私はそういうタイプでなくて、少しだけ感度のいい鼻と目で、優秀で素晴らしい・信頼できる人たちを見つけ出し、助けてもらいながら、皆で大きな目標を達成する/したい、というタイプな気がする。その時に、言葉で自分の考えを表明したり、自分を表現したりしないと、誰も賛同して助けてくれたりはしない。時に「まりこさん、そこはちがいますよー」って言われたり、「全然わかってないじゃん!」と非難されることは、もう折込済みで、ブログで恥を晒すなんて、その大きな目標と比べると、まあ屁でもないだろう。(とは言え、私にもデリカシーと多少の美学はあるので、全部晒したいとかそういうわけでは全くない)

今は、まだ何者でもなくて、肩書きも能力もあるわけでない、ただロンドンの片隅で人生の長い夏休みを過ごしている、ただの30代なんだけど。(もう40代も見えてきてるんだけど)

これから少しずつ、目標に向かって動き出せるように、言葉で自分を表現する練習として30日ブログはとてもよかったように思う。そして、全然広まらなかったけれど笑、応援してくれたり、コメント伝えてくださる方々もいて、とても励みになったし嬉しかった。

もう毎日かかないけど、週1・週末くらいは書いていきたい。

写真はLSE在学中だった2017年の12月、スケートをしにクラスメートと訪れた科学博物館。締めくくりは美しい写真かなと思って。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?