見出し画像

祈りと呪い:2022年3月27日(祈りの日)

3月27日は日本書紀に「諸国の家ごとに佛舎(ほとけのみや)を作り、即ち佛像と経とを置きて礼拝供養せよ」と記され、仏壇の発祥となったことから祈りの日に制定されています。

祈りといえば、まず思うのが「祈り」と「呪い」の違い。
以前、「魔法少女まどかマギカ」というアニメを観たときの物語のキーワードだったかもしれません。

昨年で10周年となった少し古いアニメですが、今も劇場版などが公開されている人気作です。

柔らかくかわいらしいタッチの絵や「魔法少女」というタイトルからは想像もできないようなちょっとハードなストーリーなのですが、今でも時々見返したくなる時があります。


魔法少女になって悪い魔女と戦う契約をすると、代わりに何でもどんなことでも願いを叶えられる…

そんな話があったら、契約するでしょうか?

「魔法少女まどかマギカ」では、自分の「願い」「祈り」を叶える代わりに魔女と戦う契約をした魔法少女の「願い」や「祈り」は「呪い」へと変わっていく場面があります。

「祈り」と「呪い」は表裏一体であること、「希望」と「絶望」、「正義」と「悪」…それらはそれぞれが存在するからこそ成り立つもの。
また、自分自身に対する「祈り」や「願い」で契約したとしても、それがやがて自分への「呪い」に変わるときもくるかもしれません。

だからと言って、「祈るな」「願うな」ということではないのですが、「呪い」に変わる前に、それは自分が心から「祈り」「願う」ものであったかは考えたいと思いました。
そして、「祈り」「願う」のであれば、当たり前のことですが覚悟も必要です。

なので、よく「祈り方が大事」だとも言われますね。

例えば、大学や高校の受験での自分の合格を祈る場合、もちろん合格には「合格ライン」の点数がありますので、祈り方によっては「自分以外の他の人が落ちる」という「呪い」になっている可能性があるでしょう。
もちろん、そんなことを考えていてはきりがないですし、現代の競争社会では仕方のないことかもしれません。

ただ純粋に手を合わせて全ての人の幸せを「純粋に祈る」ことは簡単なようで、意識しないと難しいかもしれませんね。

そんな「祈りの時間」。
短い時間でも毎日の生活の中にもとり入れていけたらいいなと思いました。

本日もお読みくださりありがとうございます。

この記事が参加している募集

#習慣にしていること

130,548件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?