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「小さな親切」は受け取る勇気も大切(2022年6月13日#小さな親切運動スタートの日)

マレーシアで暮らす前には正直現地での生活で不安なこともありました。
母国語が基本は通じない環境であること、特に外出時に日本と同じような態度でいては犯罪にあってしまう可能性があることなど…
実際に友人の中にはリュックに入れていたお財布やスマートフォンをすられたり、ひったくりやタクシーでのぼったくりにあってしまったという声も聞いています。
基本、日本人は「お金を持っている」と思われているので狙われやすいというのもありますね。

スマートフォンやカバンを使って席をとること、口が大きく開いたカバンを気を付けずに持つことなど、きっと日本以外ではできないことです。

私は今のところは犯罪に巻き込まれたことはありません。
身近で起きていることですので引き続き気を付けて行こうと思いますが、私の場合はマレーシアでの「小さな親切」に助けられたことのほうが多くあります。

例えば…
スマートフォンのデータ契約の更新を忘れていて外出先で繋がらず、帰りのタクシーが呼べなくて困っていたら、見知らぬ人が「自分のスマートフォンをデザリングで使っていいよ」と声をかけてもらったこと。

ローカルのレストランでマレー語しか通じなくて困っていたら、周りの英語の分かる人たちが通訳してくれたこと。

税務署に行ったとき、館内が広すぎて迷子になっていたら職員でもない人に行きたい場所まで案内してもらったこと。

会社に出社していたとき、帰る時間に雨が降ると「送っていくよ」と気軽に言ってくれていた同僚や上司たち。

タクシーに乗ったときに「日本に暫く帰っていない」ことを話すと、日本の歌をYoutubeで探してドライブ中のBGMにしてくれたタクシー運転手さん。
(演歌だったけど) 

など。

マレーシアは結構適当なところもあったり、人によって言うことが違うことももちろんありますし、ちょっとルーズだなと思うこともあります。
でもそれ以上に良いこと、ローカルの人たちの「小さな親切」に救われたことが多くありました。

昨日のnoteにも書きましたが、きっと世界は思っている以上に単純、純粋で美しいものなのかもしれません。


6月13日は小さな親切運動スタートの日。
「小さな親切」運動は、“人を信じ、人を愛し、人に尽くす”をスローガンに1963年に「小さな親切」運動本部が発足しました。
東京大学の卒業式の告辞の中で、茅誠司総長が「小さな親切を勇気をもってやってほしい」と言ったことがきっかけだそうです。

「小さな親切」というと、続きの言葉で「大きなお世話」と言われることもありますね。

これは私も以前は思ったこともあって、特に自分がやろうと思っていたことを誰ががやってくれていたときにそう思っていました。
例えば、職場の同僚から「〇〇をやっておきましたよ」と言われて、それで終わりとはならず、「私がやろうと思っていたのに!大きなお世話だ!」って心の中では思いながらも、口では「ありがとう」と言うような感じです。

ケースバイケースかもしれませんが、別にここで「大きなお世話だ!」って思う必要って実はないんですよね‥

自分ができないことを指摘されたようで嫌だったのか
自分ならもっとうまくできるのに、というおごりなのか

そんな面倒くさい感情ならば、別に思う必要はなくて、そのまま「小さな親切」として受け取ったほうがその後の仕事もはかどるし、自分にとってはラッキーだったのです。

多分何かに「執着している(していた)」状態だったのかもしれません。相手の好意そのものよりも、その奥にある自分の反応はなぜ起こるのか?
そうして自分を見つめ直すと大抵「これは思わなくていい」となります。

だったら、そんなことは思わずに
「小さな親切」はそのまま「小さな親切」で受け取っていくこと、そんな寛容さも大切にしていきたいなぁとまた改めて思いました。

「小さな親切」をする勇気
そして「小さな親切」を受け取る勇気。

両方があったなら最強かもしれませんね。

本日もお読みくださりありがとうございます。

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