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光の天使・菩薩を目指そう!(大川隆法著「太陽の法」ポイント解説⑥)
この記事に目を通して下さり、本当にありがとうございます!
私の記事では、大川隆法先生の累計3500回の法話、3100冊以上の著書から、おすすめポイントを紹介しています。
今回から数回に渡って、大川隆法著「太陽の法」のポイント解説に挑戦してまいりたいと思っています!
2024年、「何か一冊オススメ書籍は?」と訊かれたら、間違いなく『太陽の法』をおすすめさせていただきたいです。
「太陽の法」
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「太陽の法」は幸福の科学の基本書かつ最重要経典です。
大川隆法先生は、1986年7月に大手総合商社を退社・独立後、わずか19日間で、自動書記にて、この『太陽の法』を書き上げたと言われています。
(自動書記とは、天上界の啓示を受けて、ひとりでに文章を綴っていくような状態です。)
つまり、この『太陽の法』こそが、華々しい経歴を誇ってきた大川隆法先生が、学歴や出世街道など、約束されたエリートとしての未来全てを投げ捨ててでも書きたかった、真理の一書、ということになります。
以後、『太陽の法』は当会の根本経典として、30年以上もの間、人々の心を潤し続け、世界23言語で発刊の大ベストセラーとなっています!
人類の永遠の疑問への答えを明確に説き明かした「太陽の法」。
その魅力の一端なりとも、このnoteにてご紹介できれば、この上なく光栄です。
この一冊と出逢うために、あなたは生まれてきた―。
その言葉の意味を噛みしめながら、このnoteで出会ったすべての皆さまに、愛をこめて、『太陽の法』との出会いを贈ります。
第6回目となる今回は、『太陽の法』第2章「仏法真理は語る」から、第3節「仏の化身」をご紹介します。
以下、書籍からの抜粋となります。
仏の化身ー光の天使・菩薩を目指そう!
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さて、光の菩薩とは、一体なんなのかということを中心に、お話ししたいと思います。
天使といえば、キリスト教的であるし、一方、菩薩というと、とても仏教的な響きがあります。
しかし、仏教でいう如来の中には、一部キリスト教の大天使が含まれていますし、菩薩という言葉にも、天使の意味合いが含まれています。
すでに述べたことですが、本来、仏教も、キリスト教も、仏法真理であることにかわりはないのです。
ただ、開祖の個性によって、光の色がちがっているだけなのですから、高級霊たちを、光の大指導霊といっても、光の天使といっても、その意味に大差はありません。
つまり、彼らは、一般の魂、普通の人々から見たならば、仏の化身ともいうべき存在だということです。
神仏に側近い方は、天使や菩薩、如来という名前で呼ばれることがありますね。
キリスト教的には天使、仏教でいえば菩薩・如来などの言葉で表されるこうしたご存在。
キリスト教であっても、仏教であっても、同じく仏法真理を教えに含んだものであり、呼び方は違えど、その意味に大差はないそうです。
要は、私たちの魂のなかでも、より修行が進んでおり、神仏のお側近くで、その化身として使命を果たしている方の事を、天使や菩薩、高級霊といった言葉で表現するそうです。
神仏に近づきたい!と思っても、普通の私たちでは程遠いご存在ですから、まずは、少し前を歩んでいる高級霊から学んでみるのもよいでしょう。
なぜ高級霊と低級霊が存在するのか?
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では、なぜこのように、仏の化身ともいうべき高級霊が存在するのでしょうか。仏が人間を平等に創造したというならば、こうした高級霊が存在すること自体、すでに、人格に差別をもうけているのではないでしょうか。(中略)
一方に高級霊がおりながら、他方に低級霊がなぜいるのかという問いに対しては、仏の世界観は、「平等」と「公平」という二つの観点からなりたっているということから答えていかなくてはなりません。
私たちは同じく根本仏の光を宿した尊い存在だというのに、高級霊と低級霊がいるのはなぜか。
このような疑問を持たれる方もいらっしゃるかもしれません。
同じ親から生まれたのに、優秀な子と問題児がいるのはなぜか、というような質問ですね。
お答えとしては、「平等」と「公平」という二つの観点を示されています。
全ての生命体には仏性が宿っている
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すべての人間、すべての動物、すべての植物、すべての鉱物に仏性が宿っているという事実、たとえ現象としてはどのようにあらわれていようとも、万象万物は、すべて仏の意志の発露であるという真実、これは動かしがたい仏法真理なのです。
言葉をかえていうならば、生きとし生けるもの、万象万物はすべて、仏の叡智という名のダイヤモンドでできているということです。
人間を人間としてあらしめるため、植物を植物としてあらしめるため、仏はさまざまにダイヤモンドをちりばめ、いきいきとした造形の美をかもし出しております。
そして、どの人間をとってみても、どの動物をとってみても、そのすべては、叡智という名の仏のダイヤモンドでできている。
それが、真実なのです。
これが、仏教でいう万物に宿る仏性であり、人間を仏の子として捉える思想なのです。
すべての人間には「仏性」がある。
「仏性」とは、仏と同じ性質という意味であり、「良心」という言葉にイメージが近いかもしれません。
どんな人でも、良いことをしたら嬉しいし、悪いことをしたら心が痛むはずです。
これこそが、私たちが「仏性」を持っている証なんです。
私たちは、仏の光の一部を宿した尊い存在である、という点では、すべての人が平等です。
私たちは皆、仏の光の一部を宿した、ダイヤモンドの如き存在なのだ!
そう考えるだけでも、とても嬉しい気持ちになりますよね。
親子関係に置き換えるならば、どんな子どもであっても、同じ親から生まれた尊い子、という意味では平等です。
高級霊と低級霊の違いは、先を歩いているか、後を歩いているかの違い
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要は、高度に進化した霊と、進化途中の霊、そして、未発達の霊があるだけなのです。
すべて同じ道筋を歩いている者なのですが、つまりは、先を歩いている者と、後を歩いている者とのちがいがあるということなのです。
高度に進化した光の指導霊というのは、魂としてつくられたのが古いために。目的地である仏の境涯に近い先の方を歩いているのです。
一方、未発達の霊というのは、そのほとんどの場合、魂がつくられたのが新しい。新しいがゆえに、後方を歩いているだけなのです。
はたして、これを不平等だといえるでしょうか。
自らの歩いたぶんを、その距離を距離として評価すること自体が不平等だといえるでしょうか。
それは平等、不平等ではなく、公平の観点から評価されるべきことなのです。
私たちは皆、魂の親である仏に向かって、向上の道を歩んでいます。
その中で、天使や菩薩といわれる高級霊が存在する理由は、彼らが古くに創られた魂であり、私たちよりも少しだけ修行が先に進んでいるから。
同じ兄弟でどうして優秀さが違うのか?不公平ではないか?と聞かれた時に、「小学校6年生と幼稚園では、勉強している時間が違うから差が出て当然だよ」、と説明する感覚に近いのではないでしょうか。
だから、もし皆さんの中で、「どうして自分は優秀でないのだろう。どうして自分は天使の如く、他の人の幸福のために生きられないんだろう」と悩む方がいるならば、主のお答えは次のようになります。
あなたはまだ生まれて間もない魂なのだから、上級生が優秀なのは当たり前。
一歩ずつ、努力していけば、必ず成長していけますよ。
上級生(高級霊)だって、その分、歩いた道のりは長く、努力しているんです。
それは、「公平」に評価されるべき、素晴らしい頑張りなんです。
前を歩いていても、途中で脱落する者もいる
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たとえば、元天使だったにもかかわらず、地獄の悪魔になったりしている者は、かなりの道のりを進んでいた者が、何を考えちがいしたか、道を途中から逆もどりした場合です。
こうした霊は、未発達霊というよりは、むしろ、退化霊だというべきでしょう。
仏は、すべての霊に、仏に向かっての一本の道を進ませているという点に関しては、平等をまもっておられます。
また、すべての霊が仏に向かって進んだだけの距離でもって評価されるという点で公平をまもっておられるのです。
ですから、仏の化身ともいわれる高級霊は、それだけの実績と役割を与えられているということであり、すべての霊は、また、そうした高級霊に近づいていくために、永遠の修行をしているということなのです。
どんな学級にも、不良とか、成績不振の子はいると思います。
優等生だったのに、何らかの理由で、途中から急に成績が落ちる子もいます。
同じように、天使といわれるような上級者だった方が、何かのきっかけで道を踏み外し、地獄に堕ちてしまうことだってあります。
前を走っていたはずのリーダーが、いつの間にか脱落して、ビリを走る、ということだってあるんです。
マラソンの世界だって、一番に走っていた方が転倒して、順位が大幅に変わることってありますよね。
全員が、魂の親である仏に近づいていこうと、一本の道を進んでいる、という点では平等です。
全員が仏に向かって進んだだけの距離でもって評価されるという点で公平です。
そこで、周りをグッと引き離す上位者が出ることもある。
そもそもスタート地点から走り出すのが遅かった人もいる。
なにかの拍子に転倒して、他の方々に抜かされつつも、そこからもう一度奮起して走り出す方もいる。
仏はその全ての姿を、総監督として、慈愛に満ちた目で見守ってくださっているのだと思います。
<まとめ>
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今回のポイントをまとめておきましょう☆彡
・仏の化身―光の天使・菩薩を目指そう!
本来、仏教も、キリスト教も、仏法真理であることにかわりはない。
キリスト教的には天使、仏教的には菩薩・如来といわれる存在が仏の化身
私たちはまず、彼らのような高級霊をお手本にすべき。
・なぜ高級霊と低級霊が存在するのか?
高級霊の多くは、古くに創られた魂で、修行が先に進んでいる。
・すべての存在には仏性がある
私たちは皆、仏の光の一部を宿した、ダイヤモンドの如き存在。
全ての存在は、仏から創られたという意味で「平等」。
・高級霊と低級霊の差は、先を歩いているか、後を歩いているかの違い
高級霊(光の指導霊)の多くは、古くに創られた魂であり、目的地の近くを歩いている。
彼らは歩いてきた距離が長い、ということを「公平」に評価すべき。
・前を歩いていても、途中で脱落する者もいる
仏に向かって、かなりの道のりを進んでいた者が、途中から逆もどり(転落)することもある。
「平等」:仏は、すべての霊に、仏に向かっての一本の道を進ませている
「公平」:すべての霊が仏に向かって進んだだけの距離でもって評価される
私たちは皆、等しく尊い存在。
人の数だけストーリーがあり、紆余曲折もあります。
そんな中で、神仏の願われる方向へ向上しようと努力している姿は、本当に美しいと思います。
皆で励まし合い、仏への道を進んで行きましょう♪
太陽の法解説、次回もどうぞお楽しみに。
最後までお読みくださり、ありがとうございました⭐️
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