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スイカを見て去りゆく夏を送る

ごきげんママ♡の子どもの頃のことですから驚くことに半世紀前のことになります。実家から小一時間車で行った山あいにある母のさとによく連れていかれました。夏休みの終わりはそこで写生をしたり理科の観察を大急ぎで仕上げたり。縁側でスイカを食べたことが懐かしく思い出されます。今時のようにカットしたすいかは売っていませんでした。すべて丸のまま、冷蔵庫を占領していました。タネを遠くまで飛ばす競争を無邪気にしましたっけ。

川で泳ぐのも楽しみでした。今も景色はそのまま、京阪神からのキャンプ客が自然を満喫しています。深い緑の川が悠然と流れる光景は胸のすくような気がするのに、私が身近な眺めがごちそうだと気づくのはずっと後のことでした。ゲームセンターもゲームボーイのようなおもちゃもウォークマンもインターネットもなかった頃ですからいとこたちとお母さんごっこやかくれんぼ、はじめの一歩などをして遊ぶのが娯楽でした。庭の花火や年に一度の川沿いの花火大会はそのころから楽しみにしていました。

母のさとはお醤油の醸造をしています。そのせいか、今も目玉焼きやゆで卵は必ずお醤油でいただきます。50年前も今も一歩入ると大きな杉の樽があり、お醤油の香ばしいにおいが家中に漂っています。いとこが今も家業を継いで昔ながらの手作りのお醤油とお味噌を作っているのです。一升瓶に一枚ずつラベルを張っていくのも昔ながら。最近はぽん酢醤油の評判が良いらしく、野菜ソムリエ協会の調味料コンテストで賞を取りました。大量生産せず心を込めて作っているのが報われた日です。

連絡を受けて銀座シックスの授賞式と展示会に出向きました。全国からさまざまな調味料部門を勝ち抜いてきたお店が集まって熱気でむんむん。日ごろから研究開発に余念がない精鋭ぞろいです。皆さん、地元を愛し、自分の仕事に誇りを持つ方々で、地方創生ここにあり、という風情。田舎の人はどうしてこんなに素朴で温かいのでしょう。モノづくりの熱意はいずれ劣らず、北は北海道のとうもろこしのサラダソースから南は沖縄のしまらっきょぽん酢まで、ご当地の産物を活かした一品を味見させてもらったりお店番を手伝ったりとお祭りのようでした。審査員のカリスマ家政婦タサン志麻さんとお話しできたのも役得というものでしょうか。

都会で暮らすからこそ憧れる田舎の景色。遊びに行った帰りには亡き伯父がいつも「自分と自分でな」と言って見送ってくれました。お互い自分のことは自分で気を付けて過ごそうというような意味です。

今は親戚付き合いも希薄になりました。いつも我が物顔で過ごす私を当たり前のように迎えてくれていた伯母たちには今更ながら感謝の気持ちが尽きません。大勢いた母の兄弟とその連れ合いも当然ながら年を取り、亡くなったり介護が必要になったりしています。地方は少子高齢化が顕著、それでもいとこたちはいつも明るくて優しい。強くないと優しくなれないんだというお手本のようです。

万葉集にも歌われるような場所がごきげんママ♡の原風景というのは本当に恵まれたことです。ごきげんパパ♡は「こんなのどかなところだと勉強なんてする気にならなかったやろうなぁ」なんて言いますけど、まあその通りでした。シティボーイを自認するごきげんパパ♡がいちばんそこに行くのを楽しみにしているの知っています。見えない敵と戦う夏を送るに当たって喧噪の都会から山へ、思いを馳せてみました。

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