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私が経験した"適応障害"について。 ②

皆さん、こんにちは。marineです。

前回は私が"適応障害"を発症した時のことについてお話ししました。
もしまだ読んでいない方居たら、まずはそちらから読んでみてください🌱


『私が体験した”適応障害”について。 ①』



さて今回は
『初期の症状にはどんな症状があり、
自身の体調の変化に向き合い休むことを決めたきっかけ』

についてお話ししたいと思います。

祖父が亡くなってから約1ヶ月後、東京に戻りました。
既に新学期が始まっていたので、3週間分も授業が進んでいて大変でしたが、今はやるしかない、と毎日必死だったように思います。

また、同じタイミングで大学寮の役員にも選ばれたため、毎日慌ただしく
夜中まで会議を続ける日々でした。大変な中でも、親しい友人たちとともに切磋琢磨し励む時間は私にとってとても楽しく大切な時間でした。

大学から帰り、21時過ぎから1時近くまで寮の会議をし、
保育学科ということもあり毎日大量の課題がありました。
会議終了後はそのままAM3:00~AM4:00まで課題をこなす日々。
(もう二度と折り紙はしたくないです笑)

当然、睡眠時間は毎日4hあるかないか。
なんとか必死に起きて大学に行くものの、席に着いた途端すぐ記憶がなくなるほどの深い眠りが続き、1日の授業のほとんどを寝て過ごしました。
大学が終われば、バイトに行き、また寮の会議が始まります。

そんな生活が約4ヶ月続きました。

この頃は夜の睡眠時間が足りない為に日中寝てしまう、と思っていましたが
(もちろん授業中ずっと寝ているなんてよくないですが、、、。)
今考えるとそれだけではなく、
うつ病の自己診断で良く当てはまる、”不眠/過眠”に当てはまっていました。

また、同時期から”過食”も始まっていたように感じます。
いくら沢山食べても物足りなかったり、
通常の食事の倍以上のものを食べないと気が済まなかったり。
食べすぎて気持ち悪くなることで生きていることを実感しているような感覚でした。

私自身限界が近づいてきていたのだと思います。


2月には大事な2週間の幼稚園実習を終え、なんとか無事1年生終了。

2年生になり新学期が始まると、
大学に向かっている最中に過呼吸になり動けなくなったり
いざ授業を受けても結局体調が悪くなり早退するほどになっていました。

実習が終わったという安心感から余計に症状が悪化していきました。

その頃の私は身体的だけでなく精神的にも追い込まれ、
検索履歴は
「自殺 薬大量摂取 飛び降り 練炭自殺 周りを巻き込まない死に方 」
ばかりでした。
何を考えても苦しく、
未来が見えずに真っ暗の中をただぼーっと佇んでいるような状態
だったと思います。

ある日同じく鬱状態になり、
大学1年生の夏休み後にいきなり大学を休学してしまった寮の友人と会う約束をしていました。

半年ぶりに再会する友人とゆっくりとした時間を過ごし
自分自身の感情や思いを初めて口に出して伝えた日でもありました。

「優等生いい子ちゃん」でずっとレールに沿って走ってきた私に

「頑張らなくていい、逃げることは悪いことじゃない」
と伝えてくれた友人。

その言葉で心がフッと軽くなり、穏やかに慣れたことを覚えています。

「頑張れ」と背中を押してくれる友人はこれまでもいましたが、
その時の私に必要だったのは
十分頑張ってきたから、もう頑張る必要はない
と抱きしめてくれる存在だったんだな、と感じました。

GWが終わり大学が始まると、
私は、ベッドから起き上がれなくなりました。

ただ、涙が溢れ、息が出来ないほど苦しくて
このままでは完全に壊れてしまう、

そう思い、母に連絡をしました。


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