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#88 あの時の感情は、宝ものみたいだった。

たぶん、私はあと70年と少し生きるのだが、今日感じたことは今日書き残さないと、明日には半分くらい今日感じたことを忘れて、またその次の日にはさらに半分忘れていくだろう。そうやって、人間は記憶を出し入れしながら生きている。だからこそ、これは残しておきたいと思った感情を最近はノートに書いたり、noteに書いたりしている。

そんな忘却は時に美しいが、切なくもある。

昔はこの行為がとても恥ずかしかった。自分にはくすぐったくて、ちょっと見返したくもなかった。自分が辛いときはひたすらに愚痴を描いたり、暗い言葉を書きなぐっていた。また、その時の恋模様などを必死に綴っていった。

そう、私は昔から、「言葉を綴る」人間だった。
これは紛れも無い「真実」である。

人の機敏に触れ、あるいは自分の心が動いた時に心の内側から言葉があふれ出していく。いつか、作家にもなりたいと思っていた。でも、現実的には難しいことを知って、いつかビッグになって本を書いてやるんだと思っている。なんとかして、この世に自分の書いた文章が残るようにしたいのかもしれない。このnoteだってその想いの一環なのかもしれない。

「人間は、矛盾している生き物である。」
と私の尊敬している中学生の時に通っていた塾の国語の先生は言った。

私は、この言葉を聞いた時に面白い!と思って、すぐに授業ノートに書いた。

私は、「矛盾しているから、面白いんだ」とも思ったし
「矛盾しているからこそ、美しいんだ」と
なんとも意味も分からないことを未だに考えたりする。

つまり何が言いたいのかというと、「人間は美しい」ということなのだ。

だって、生きているのだもの。生きていれば、楽しいことだって、辛いことがあり、笑ったり泣いたりする。



私は今日ふと思い出してしまった。
川崎の映画館で恋人と「ウィンストン・チャーチル」という映画を見た帰りに、夜少し肌寒い中、「今日観た、映画本当に良かったね」と言えば、「そうだね、よかったね」と言われて、嬉しくなって繋いでいた手を少しばかり強く握っていた。二人だけにしか分からない共通言語がこの会話の中にはあったし、そうやって言い合っている時間がとても愛おしかった。

それに続いて、高校生の時に新宿で親友と見た「BABYDRIVER」の映画の帰り道はとっても青春だった。最高の映画に出会えたことの興奮を一緒に分かち合い、はしゃいでいた。あの時の気持ちは忘れられないなあと何回も思ってる。

「誰かと一緒に分かち合えることの尊さ」に私は気付いている。

家族と、友達と、恋人と、親友と、仕事仲間と。

人生の大半の瞬間を、誰かと分かち合い生きていることはとても幸せである。だからこそ、「あの時の感情は、宝もの」なのだ。

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昨日のnoteはこちら

いつもありがとうございます!