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人は変わるもの~『足軽小頭仁義 三河雑兵心得(参)』(井原忠政)~

「三河雑兵心得」シリーズの第3巻です。茂兵衛は足軽小頭に出世しました。もう足軽ではなく、徒侍(かちざむらい)です。

↑kindle版


「どうする家康」を観ているからこそ、茂兵衛が赴くのが激戦地ばかりだということが分かります。今巻では何といっても、三方ヶ原の戦いがあるし。続巻があるということは、茂兵衛は死なないのだろうとは思いますが、茂兵衛の周囲の人たちはどうだろうと考えると、やはりはらはらします。


今度は茂兵衛が若者を鍛え、導き、一端の戦士に育て上げる番だ。やり甲斐のあるお役目だと思っている。

p.12

1巻の最初では、どうしようもない暴れん坊だった茂兵衛が、人を育てる立場になるとは……。人は変わるものですね。


(称名とは己が御利益のために唱えるものではねェ。他人様のためを思って唱える……それが本物の称名だら)

p.68

暴れん坊の茂兵衛が、称名の意味に思いをはせるようになるとは……。本当に、人は変われば変わるものです。


「一つ忠告するがな。茂兵衛よ、お前は手をかけ過ぎるぞ」
「はあ」
「お前は善四郎殿の寄騎であって、親でも師匠でもないのじゃ。もう少し突き放すがよい。転びそうになったときだけ、手を貸す。それで十分に人は育つ」

p.124

善四郎とは、茂兵衛が本多平八郎(忠勝)に面倒を見るよう押し付けられた、松平一門に連なる若様です。善四郎を「一端の武士に育て上げたい」と意気込む茂兵衛を、足軽大将の青木がたしなめるシーンですが、青木の言葉は教員として、私も心にとめねばと思いました。もっとも善四郎は、いつしか茂兵衛のことを「人生全般の師匠」と思うようになるのですが。


(もし、人を殺すことで、人が成長するとしたら世も末だら。ただ、それも最初の内だけさ。その内、虫を潰すのと人を殺すのが、さほど変わらなくなる。今の俺がそうなりかけとるがね。まったく、神も仏もねェ世の中だがや)

p.147

「そうなりかけとる」という自覚のある茂兵衛なら、この後も人の心を保てそうな気がします。変わるべきではないところは、変わらない茂兵衛です。


「敵は、倒すまでが敵……死んだ相手は最早、敵ではござらん。首を切るのは死者に対する冒瀆にござる。首がなけりゃ手柄の証がないと言われるなら、それがしは出世せんでもええ……や、出世はしたが、他の方法でする」

p.265

こう言い切れる茂兵衛は真っ当ですが、この時代的には「武士には、ちと向いて」いないということになります。


次の巻も、楽しみです。

見出し画像は、茂兵衛の主君の家康…ではなく、ゆるキャラの「出世大名家康くん」です。


↑文庫版



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