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【読書】歴史小説、あるいは独り芝居~『ソクラテスの弁明』(プラトン著、納富信留訳)~

アマゾンのPrime Readingを利用して読んだ、6冊目にあたります。先に読まねばならない本が、間にだいぶ入ってしまったため、約5か月かかって読了しました。

↑kindle版


ずいぶん時間をかけて読んでしまったため、最初の方は記憶がおぼろなところもありますが、以下、備忘録代わりに、気になったところをまとめておきます。


裁判に臨席した若者プラトンも、後年──ただし、おそらくクセノフォンより前に──ソクラテスが一人称で語る法廷弁論の形式で、『ソクラテスの弁明』と題する作品を著した。訳者の理解では、これは、ソクラテスが裁判で実際に語った内容の記録ではなく、また、その言葉の忠実な再現でもない。ソクラテスの裁判とは何だったのか、ソクラテスの生と死とは何だったかの真実を、「哲学」として弁明するプラトンの創作である。

プラトン. ソクラテスの弁明 (光文社古典新訳文庫) (pp.9-10). 光文社. Kindle 版.

私はこの『ソクラテスの弁明』を、歴史小説のような感覚で読みました。「プラトンの創作」であるという意味で、その読み方は、あながち間違っていないと思っています。


一方で、目の前で独り芝居を観ているような感覚で読むこともできました。

この作品を読む方は、「皆さん」と呼びかけられる裁判員の席に坐って、騒然とする屋外の法廷でソクラテスの語りに耳を傾けている自分の姿を、想像してください。当日に裁判員に任命されたばかりの法廷で、何が起っているのかもよく分からないまま、告発者メレトスやアニュトスの訴えに耳を傾け、次に被告ソクラテスの言葉を聞いて、その場で票を投じなければならない。さて、その瞬間にあなたは、どんな目にあい、何を考え、どう行動するのでしょうか。『ソクラテスの弁明』は、私たち一人ひとりに、自分のあり方、生き方を問う作品なのです。

プラトン. ソクラテスの弁明 (光文社古典新訳文庫) (p.10). 光文社. Kindle 版.

メレトスやアニュトスの言葉そのものは書かれておらず、ソクラテスの一人語りで展開されるので。


彼はある時、デルフォイにおもむいて、あえて次のことで神託のお伺いを立てたのです(中略)。彼は、私よりも知恵ある者がだれかいるか、そうお尋ねしたのです。そして、ピュティアの巫女は、『より知恵ある者はだれもいない』と答えを告げました。

プラトン. ソクラテスの弁明 (光文社古典新訳文庫) (p.21). 光文社. Kindle 版.

「彼」というのは若いころからのソクラテスの友人であるカイレフォンですが、彼が「ソクラテスよりも知恵ある者はいるか」などという、余計なお伺いを立てたのが、そもそもの発端です。そういう意味では、ソクラテスは被害者ともいえます。


で、「自分より知恵ある者はだれもいないなんて、そんなはずはない」と思ったソクラテスは、自分より知恵がある人を探そうとします。しかしその結果、ソクラテスはこう結論付けます。

「この人は、他の多くの人間たちに知恵ある者だと思われ、とりわけ自分自身でそう思いこんでいるが、実際はそうではない」と。

プラトン. ソクラテスの弁明 (光文社古典新訳文庫) (p.22). 光文社. Kindle 版.


まぁここまでは良いでしょう。しかしここから、ソクラテスのお節介が始まります。

そこで私は、その人が自分では知恵があると思っているが実際はそうでない、ということを当人に示そうと努めました。この こと から、私はその人に憎まれ、また、そこに居合わせた多くの人たちにも憎まれたのです。   私は帰りながら、自分を相手にこう推論しまし た。「私はこの人間よりは知恵がある。それは、たぶん私たちのどちらも立派で善いことを何一つ知ってはいないのだが、この人は知らないのに知っていると思っているのに対して、(中略)私は、知らないことを、知らないと思っているという点 で」 

プラトン. ソクラテスの弁明 (光文社古典新訳文庫) (pp.22-23). 光文社. Kindle 版.

そしてこれを、いろいろな人に繰り返したわけです。


この仕事で暇がないために、ポリスの仕事でなにか語るに値するようなこと を行ったり、家のことを行ったりする余裕が、私にはありませんでした。神 への奉仕ゆえに、私はひどい貧乏に陥っているのです。

プラトン. ソクラテスの弁明 (光文社古典新訳文庫) (p.26). 光文社. Kindle 版.


まずいのは、若者たちがソクラテスのまねをしたことです。で、その非難がソクラテスに向き、若者たちを堕落させている、ということになったわけです。


もし私を死刑にしたら、もう簡単にはこんな人物を見出すことはないでしょうから。実際、可笑しな言い方かもしれませんが、私は神によってポリスにくっ付けられた存在なのです。大きくて血統はよいが、その大きさゆえにちょっとノロマで、アブのような存在に目を覚まさせてもらう必要がある馬(中略)。
しかし、おそらくあなた方は怒り、ちょうどうたた寝をしていた者が起こされた時のように、私をたたき落とし、アニュトスの言うことを聞いて、簡単に殺してしまうことでしょう。そうして残りの人生を、ずっとねむり続けることになるのです。

p.46

いや、本当にそうかもしれないけど、それを自分で言うから、ますます怒らせるのではないかと……。


なお解説で、納富さんは「『アポロン神託事件』は、プラトンによる象徴としての創作ではないかとも考えられる」(p.95)と、大胆なことを言っています。でも事件があったかなかったかは、本質ではないわけです。


ソクラテスのように自分がはっきりと「知らない」という自覚をもつ場合にだけ、その知らない対象を「知ろう」とする動きが始まる

p.100


詩人は、現代でこそ芸術家として特殊に見られがちであるが、古代ギリシアにおいては、社会に決定的に重要な役割を果たす文化人・教育者であった。ホメロス、ヘシオドスに代表される叙事詩は、「正義、勇気、立派、善」といった大切な価値について歌うことで、ギリシア人の教養に貢献し、教訓として人生の見本と指針を与えていた

p.100~101

現代の小説家やマンガ家なども、「決定的に重要な役割を果たす」とまでは言えなくても、「文化人・教育者」としての面を持つ気がします。


大切なのは、ソクラテスが「知らないと思っている」という慎重な言い方をしていて、日本で流布する「無知の知」(無知を知っている)といった表現は用いていない点である

p.101

なるほど。


ソクラテスが「真実」を語ることが、これまで長い間に憎しみを培ってきた。その憎しみは、論駁された当事者だけでなく、彼らと同様に自身の「無知」を暴かれることを恐れる多くの人々に共有されている。それゆえ、ソクラテスは、アテナイ法廷という公的な場で裁かれることになったのである。

p.102

これまた、なるほど。


憎悪が有罪、そして死刑に結実する時、「私が憎まれている」というまさにその事実が、「私が真実を語っていること」の決定的な証拠となる。

p.103

もはや、唸るしかありません。


なお裁判の評決は2度行われ、1度目でソクラテスの有罪が決まった後、2度目の評決でどんな刑罰が相応しいかを決めることになります。そこでソクラテスが提案したのは、アテナイの会堂プリュタネイオンで食事を饗応される権利でした。自分は悪いことはしていないという確信があればこそですが、裁判員たちの反発を買うに決まっていますね。その後、罰金刑なども検討するとはいえ、その結果はというと……。

前回の有罪票にさらに八〇票も上まわる票数で「死刑」となった。つまり、三六一票対一四〇票(あるいは、三六〇票対一四〇票)という結果であった。この報告が事実であれば、少なくとも初回に「無罪」を投票した人々の三分の一以上が「死刑」に回ったことになる。

p.129


ソクラテスの態度も態度であるとはいえ、無罪から死刑に回ってしまう人々の手のひら返しに、恐ろしさを感じます。しかもこれが、形を変えて今でも行われていることに……。


見出し画像は、東京駅の丸の内北口ドームです。これを選んだことに、大した意味はありません(^-^;


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