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記憶し、その記憶を伝える責任~『戦争社会学研究6 ミリタリー・カルチャーの可能性』(戦争社会学研究会編)~

最初に「ミリタリー・カルチャー」の定義を引用しておくと、「戦争・軍事組織に関連する文化の総体」ということになります。また、孫引きですが、「大衆社会における戦争の準備と遂行の少なくとも必要条件である」という指摘には、ちょっとドキッとしました。


本筋とは関係ないところで驚いたのが、この本が「雑誌」だということ。読了まで60ページとなった252ページに、「本誌が戦争社会学の雑誌である」と書かれているのを読んだ時、脱力しました。書籍だと思えばこそ、最初から全文読んできたのに、雑誌だったとは……。それなら、興味があるところだけ読んだのに……。もちろん書籍だって全部読まないでも良いし、雑誌だってすべて読んでも良いわけですが、気分の問題です。でも今更なので、結局すべて読みましたが。

ちなみに雑誌(定期刊行物)だとすれば、裏表紙のバーコードは1段(JANコードのみ)なはずですが、2段ある(ISBNコードも付いている)ので、出版社的には書籍なのでしょうか。


以下、備忘録代わりに印象に残ったところを書いておきます。


「特集1 ミリタリー・カルチャー研究の可能性を考える」は、第一二回戦争社会学研究大会の講演とシンポジウムを文字起こししたものです。話された内容がそのまま文字になっているわけで、それぞれの方のお話を耳で聞いているような臨場感があるのが良いです。
ただ、話し言葉は当然繰り返しがあったり、文法的な間違いがあったりするわけで、それをそのまま読むのは、いささか辛いものがありました。各人の語り口を壊さない程度に、繰り返しを省いたり、文法的なミスを直したりした方が、読みやすいのではないでしょうか。

また、2日目に行われた座談会が、1日目に行われた基調講演より前に収録されていましたが、基調講演を踏まえた発言も座談会の中にあったので、やはり時間軸に沿って収録すべきだった気がします。


とはいえ内容については、いろいろ興味深い点があり、ためになりました。以下、印象に残った部分を挙げておきます。


「『死んだ戦友を含むメンバー間のつながり』を中心とする集団」であるところの戦友会が、「戦後日本社会に固有の現象で、諸外国にはこうした集団は存在し」ないというのは初耳でした。「その営みは、(中略)負の符号の付いた全体(戦争)から正の符号の付いた部分(戦友間のつながり)を取り出すふるまいに見えます」という高橋由典先生の指摘が興味深かったです。


永冨真梨さんのお話に出てきたラティンクスという単語は初見だったので、調べました。

「ラテン系(Latino)」は地理的基準から区分した呼称で、南米のブラジルを含み、一方でヨーロッパのスペインは含まれません。
スペインによる植民地によって広まった言語を基準に区分した「ヒスパニック」という言葉を使うことに抵抗を持つ人が多かったことから、植民地の歴史を考慮してラテンアメリカ系を指す呼称として「ラテン系」が90年代頃から使われるように。(中略)
ラテン系から派生した「ラティンクス(Latinx)」は、比較的最近使われるようになった呼称。
ラテン系女性を「ラティーナ」、ラテン系男性を「ラティーノ」と呼ぶのに対して、「ラティンクス」はジェンダーニュートラルなラテン系を表す際に用いられるようになりました。

https://www.cosmopolitan.com/jp/trends/society/a37256614/hispanic-latin-latinx-difference/


孫引きですが、以下の指摘には重いものを感じました。

ギャングスタ・ラップのアーティストたちは、彼らを取り巻く貧困や暴力を時には誇張して表現することで、より人気を得て、貧困や暴力から抜け出すのですが、結局、彼らが人気を得ることで、黒人は貧しいから暴力を行使し、貧困から抜け出せない、などの従来のステレオタイプを皮肉にも維持することとなった

p.34


車に乗ったり、路上を歩いたりしていると、あるギャングのメンバーから敵のギャングだと思われるが、馬に乗っていると、コンプトン・カウボーイズ(引用者注:ロサンゼルス近郊の都市コンプトンで、乗馬を通した地域コミュニティーの改善を図る活動をしている、黒人の乗馬グループ)が拠点としているリッチランド・ファームズから来た者であると判断され、闘争に巻き込まれないと言います。街の商店に馬に乗って行くと、警察も、彼らはギャングではないと認識し、職務質問などはしないそうです。

p.34

なお、上記の引用での「黒人」という表記に抵抗感を持つ方もおいでかもしれませんが、「昨今の潮流に沿い、大文字のBを使用したBlacksの翻訳として、『黒人』と表記する」とのことです。「Bを大文字にすることで、単なる肌の色ではない、黒人であることで特殊な経験をしなくてはいけないとの意味を込めている。『アフリカ系アメリカ人』ではなく、この表記にすることで、アメリカ合衆国における奴隷制を経験していない先祖を持つ人々も含めることができる」という説明に、なるほどと思いました。


最近のウクライナ情勢と関係するなと思ったのは、以下の部分です。

クレフェルトは、秩序ある暴力としての戦争がまだましだというふうな言い方をするんです。そうしないと無法者の暴力行為になって、傭兵だか盗賊だか分からないような戦争が繰り返されるという話を最後の最後にしています。

p.87


「特集2 戦争体験継承の媒介者たち――ポスト体験時代の継承を考える」では、根本雅也さんの序文の中の、以下の一節に目を引かれました。

(戦争体験)継承には、真剣な態度が求められることが多い。しかし、それは必ずしも<楽しさ>と対立するわけではない。戦争にまつわる痛みや苦しさが存在する一方、人の生に触れることや自身がこれまでに知らなかった何かを知ることの根底には<楽しさ>が存在しうる(中略)。体験者たちの呼びかけに対する責任やそれに応答する姿勢を持ちつつも、どのように<楽しさ>を組み込んでいくことができるのか。そうするべきか否かも含め、これからの軽症の課題となろう。

p.100

重要な指摘だと思います。苦しく辛く重いだけでは、継承は無理でしょう。カッコつきの<楽しさ>というのは、必要かもしれません。


ときに子どもたちに上手く伝わらず、興味関心を持たす(ママ)ことができないまま、その場が過ぎることもある。そうした場合は、その子どもが成長したときにそのことを思い出して、その後、長崎を尋ね(ママ)<原爆>のことを考えてくれることがあるかもしれないと思い活動を行っているという。

p.120

これは長崎で平和ガイド等の活動をされている、3歳の時に被爆した三田村静子さんの言葉。注記によれば、三田村さんは実際、「修学旅行で長崎に来た時には、説明をよく聴いていなかったけれど、今になって興味があってきた」と語る男子大学生にあったことがあるそうです。
「子どもたちに何か印象を残すことができればいい」という三田村さんの姿勢が心に残りました。種を残せば、それがいつか芽吹くかもしれない。私も授業をしていて、手応えのなさにがっかりすることもありますが、何かが残り、生徒たちの将来に生きれば良いと思って、授業をしようと思います。


写真・映像は「かつての現在」が「いまここ」に現出している状態であり、見る者が共時的に写真・映像とつながりを保っているのではなく、むしろ隔たりを感じさせるものとなっている。つまり、写真・映像は見る者にとって対象との距離が遠く、現在から時間的に隔たりのあるメディアなのである。

p.124

この指摘は面白かったです。写真・映像は一見分かりやすく、「近い」メディアのように思えるのに、むしろ逆だとは。


保苅実さんの言葉の孫引きですが、アボリジニにとっての歴史を説明した、以下の部分も印象的でした。

アボリジニの人々にとって歴史は、主体が捜し求めるものではなく「歴史というのはそこらじゅうにあ」って「僕らに語りかけてくる」ものである。「歴史に浸る生き方、歴史に取り囲まれて暮らす生き方」において、「歴史はそこに常にあって、それを一緒に大切にしている」。ゆえに、歴史は主体が「制作する」ものではなく、主体が「メンテナンスする」ものである。

p.136


第五福竜丸の船体は、一九五四年三月一日、アメリカがマーシャル諸島ビキニ環礁で行った水爆実験により被災、政府が文部省(当時)予算で買い上げ、約二年間放射能の減衰観察した後、東京水産大学(現・東京海洋大学)の演習船「はやぶさ丸」に改修して、研究や実習で使われ、一九六七年三月老朽化により廃船処分された。

p.164

もちろんこの後船体の保存運動が行われ、現在は東京夢の島公園内で保存展示されているわけですが、「研究や実習で使われ」たとは……。ちなみに「はやぶさ丸」になる前の処置は、「船上での金魚の飼育、植物栽培などを行い汚染調査と減衰観察」を行うというものでした。


筆者(引用者注:第五福竜丸展示館学芸員の市田真理)及び平和協会は「第五福竜丸事件」とは呼ばない。「ビキニ事件」もしくは「ビキニ水爆被災事件」の呼称を使用している。一九五四年三月一日マーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験により、第五福竜丸が被災、その後多くの漁船・貨物船と漁獲物の放射能汚染が水産業界のみならず、人々の生活を脅かし、外交問題となり、飛散した放射性降下物が「放射能雨」となって各地で検出され、全国的な原水爆禁止署名運動に発展していったという一連の事件を指すのだが、この年に行われた六回の水爆実験(キャッスル・シリーズ)のうち五回がビキニ環礁、一回がエニウェトク環礁で行われているため、「ビキニ事件」の呼称からもこぼれ落ちてしまうものがある。一九四六年から一九五八年にわたり行われた核実験により環境汚染とマーシャルの人びとの被害、とりわけ核実験場ではない環礁の被害が、見えづらくなるかもしれない。実験に従事した兵士や技術者の被ばくも取りこぼされてしまう。(中略)
また「事件」と呼称することで、事件が解決または収束したというメッセージを発しているかもしれない。乗組員らの苦悩と健康被害はむしろ、政治決着後に深まり、またすでに終わったこととされたがために、第五福竜丸以外の漁船員らの被害が、核実験に起因するものではないとされてしまった。

p.165

長い引用となりましたが、非常に重く重要な指摘だと思います。私もこれからは安易に「第五福竜丸事件」とは言わないようにします。


(人間には)「記憶し、その記憶を伝える責任」があるという。つまり何があったのかを知る責任、出来事の意味を熟考し、繰り返さぬためには何が必要かを考える責任がある。

p.175

上の言葉は、以下の言葉とも皮肉な形で響き合います。

災禍の歴史や語りには常に欠陥があり、次の同じような事態を防ぎ切れていない。

p.303

同じような事態を防ぐためには、どのような形で記憶し、伝えていけば良いのでしょうか。


戦争体験の継承についての、「環礁モデル」の提唱も興味深かったです。

重要なことは記憶・記録を忘却しないことと、島間の交流・対話を否定しないことである。水位を下げて島をつないでしまうことは、同一の意見でその問題を取り囲むことを意味する。(中略)大きなひとつになり多様性がなくなった島は、もう環礁とは呼べない。(中略)
環礁の島と島は、潮の満ち引きによって地表が露出し、地理条件次第では歩いて渡ることができるようになる時間があるという。(中略)潮の満干によって島と島の間に道ができることは、たとえ異なる意見であったとしても、場合によってはつながりあうこともできること、部分的には合意形成ができることを示唆しているようにも思える。

p.198

<環礁モデル>とは、
・その歴史に関心のある人びとが集まり、自由に語り合える環境であり、
・そこに集う人びとは「体験がない」という意味で全員平等である。

p.199


近年、政策・政治において「時間のかかる合意形成」は批判的に捉えられ、「速度」が重視される。だが、「戦後民主主義」が私たちに教えているのは、「民主主義が『統治』の手段ではなく、『参加』を通じた『自治』の手段である」ということだ。

p.272


ヒューリスティックとは

今までの経験や先入観によって論理的にではなく感覚的に、ある程度の正確性を持った回答を導き出せる意思決定の方法のこと

https://innova-jp.com/what-is-heuristics/


データマイニングとは

情報システムに蓄積した巨大なデータの集合をコンピュータによって解析し、これまで知られていなかった規則性や傾向など、何らかの有用な知見を得ること

https://e-words.jp/w/%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0.html



見出し画像には、長崎の平和祈念像の写真をお借りいたしました。




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