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チャンスを与えられた最後の世代~『ドーナツ経済』(ケイト・ラワース著、黒輪篤嗣訳)~

この本は、確かNHKの「欲望の資本主義」で著者のラワースが取り上げられているのを見て、興味を持ちました。

↑kindle版


「ドーナツ経済」という、親しみやすい題名とは裏腹に、想像以上に穂応えたっぷりな本でした。私は文庫本で読んだのですが、分厚くて、読むために本を開いているのに意外と握力を要したので、kindle版の方が良いかもしれません。


ちなみに「ドーナツ経済」とは何かは、本書の最後の方になって分かりやすい説明が書かれていました。もちろん最初からちゃんと、かみ砕いて書かれてはいるのですが、一番わかりやすい説明は、最後の方にあったという……。

社会的な境界線と地球環境的な境界線の二つの線からなるドーナツは、人類全体の幸福を支える二つの条件――社会と環境――を視覚化したシンプルな図だ。社会的な土台がドーナツの内側の境界線をなし、生活の基本的なニーズを表している。このニーズが満たされない人が世界に一人でも残ったままにしてはいけない。ドーナツの外側の境界線は環境的な上限であり、その線を越えると、人間活動が地球の生命システムに与える負荷が危険なほど過剰であることを示す。この二つの境界線に挟まれた部分が、環境的に安全で社会的に公正な範囲であり、その範囲内で人類の繁栄は可能になる。

p.419

二十一世紀の課題ははっきりしている。人類がドーナツの安全で公正な範囲のなかでバランスの取れた繁栄を遂げられるよう、「豊かな生命の網のなかでの人類の繁栄」を推進できる経済を築くことだ。

p.408


以下、心に残った部分を、備忘録代わりに書いておきます。なおページ数は文庫版のものです。


二十世紀の大発明家、バックミンスター・フラーは次のように述べている。「目の前にある現実と闘っても、ものごとは変えられない。何かを変えたいなら、新しいモデルを築いて、既存のモデルを時代遅れにすることだ」

p.12

つい目の前にある現実と闘いがちなので、心に留めておこうと思います。以下の部分も、同じことを言っていますね。

従来の支配的なフレームを批判するだけでは、皮肉な話だが、かえってその支配を強めることにしかならない。代替のフレームを持たないかぎり、古い考えに勝つことはおろか、闘いを挑むこともできない。

p.38


「学生は古い考えをどのように捨て去ればいいか、いつ、どのように考えを変えたらいいかを学ばなくてはいけない。(中略)いかに学んで、忘れ、ふたたび学べばいいかを学ばなくてはならない」と未来学者アルヴィン・トフラーは書いている。

p.24

うーん、深いです。シュタイナー教育でも言っていますが、「忘れる」ことも大事なんですよね。


専門用語による難解さもない絵や図には、心に直接訴えかける力がある。

p.26

こう書いているのだから、この本自体に、もっと絵や図を入れても良かった気がします。でもそうしたら、ますます分厚くなりますが。


肝心なのはどういう考えかたを選ぶかではなく、自分たちがそもそもなんらかの考えかたを持っていることに気づくことだ。それによって初めて、自分の考えかたを問い、変えられる。

p.37


地球上の平均気温は頻繁に上下してきた。しかし過去一万二〇〇〇年ほどは温暖で、例外的に安定している。地質時代の区分で、この時代は完新世と呼ばれる。聞き慣れない言葉だが、人類にもっとも快適な環境をもたらしてくれているありがたい時代の名だ。

農耕はこの完新世に、いくつもの大陸で同時に発生した。科学者たちによると、この同時発生はけっして偶然ではないという。地球の気候が安定したおかげで、狩猟採集民の子孫たちは定住し、季節にしたがって生活するようになった。

p.71~72

気候変動で食料が手に入りにくくなったからこそ、農耕が始まったという説もありますが、「地球の気候が安定した」から農耕が始まったというのも、頷けます。


二〇〇八年には、エクアドルで自然の権利を認めた史上初の憲法が生まれた。その条文は「自然、パチャママは、存続し、再生を繰り返す権利を有する」と自然の権利を高らかに謳う。

p.80

この条文、素敵です。


経済とは、人々が自分たちの要望やニーズを満たす財やサービスを生産し、分配し、消費する活動だ。(中略)それは家計、市場、コモンズ、国家という四つの供給主体から成り立っている(p.113)

p.113

この経済の定義、シンプルで分かりやすいです。


家事や世話は人類の幸福に欠かせないものであるとともに、有給経済の生産性を直接左右するものだ

p.118

無給のケア労働の重要さを、シンプルに指摘しています。


規制がなければ、市場は地球の「供給源」と「吸収源」に過度のストレスをかけ、生命の世界を壊すことになる。

p.119


市場やコモンズが手を出せない、あるいは手を出そうとしない領域では、国家が起業家的なリスクを負う。(中略)スマートフォンを「スマート」にしているイノベーション(中略)の背後にある基礎研究は、すべて米国政府の出資で行われたものだ。イノベーションを起こし、リスクを負うパートナーになり、私企業を「締め出す」のではなく「活性化」したのは、市場ではなく国家だったということだ。(中略)ハジュン・チャンの言葉を借りれば、「新自由主義のイデオロギーを盲信し、民間部門の勝者を見つけることが成功の唯一の道だと思い込んでいると、官主導や官民合同の試みによって可能になるさまざまな経済発展の道が閉ざされてしまう」。

p.124

これを読んで、半官半民の八幡製鉄所など、明治の頃の政府の事業を思い浮かべました。後に民間に安く払い下げてしまうのは問題外ですが、国家がファーストペンギンになってリスクを負うべきなのですね。


強権国家の脅威はまさに現実のものだが、市場原理主義の危険もやはり現実のものだ。国家と市場のどちらの横暴も避けるためには、民主的な政治が欠かせない。したがって一人一人が社会や政治に積極的に参加し、責任を果たせるよう、市民参加型の社会を築いていく必要がある。

p.125

うーん、ここでもやはり民主主義がキーワードなのですね。



WEIRD(ウィアド)と呼ばれる社会(中略)つまり西洋の(Western)、教育が普及し(Educated)、工業化が進み(Industrialised)、豊かで(Rich)、民主的(Democratic)な社会だ。

p.149~150

WEIRD(ウィアド)というのは初耳でしたが、覚えておこうと思います。


「モノポリー」というボードゲームをしたことがある人なら「成功を呼ぶ成功」のダイナミクスがよくわかるはずだ。ゲームの序盤に地価の高い土地に止まったプレーヤーは、(中略)自分だけ巨万の富を築ける。しかしじつは、このゲームはもとは「地主ゲーム」と呼ばれ、そういう土地の所有権の集中で生じる不公平を暴くために設計されたものだった。けっして土地の買い占めを奨励するゲームではなかったのだ。
ゲームの開発者エリザベス・マギーは、(中略)土地の所有権の扱いかたしだいで、社会にまったく異なる結果が生まれることを理解してもらいたかったからだ。

p.215~216

エリザベス・マギーさんの「モノポリー」の開発意図、興味深いです。ここでは引用しませんが、今のモノポリーとは別の、マギーさんが作ったもう1つの遊び方(みんなが幸せになれる)の方が良いですよね。ゲームとしての魅力は劣るかもしれませんが。


「成功を呼ぶ成功」の原理が発見されたのは、「モノポリー」(中略)よりはるか昔のことだ。二〇〇〇年前、「富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなる」という考えが聖書に記された。以来、この考えは「マタイの法則」の名で知られるようになった。いったん有利になればどんどん有利になり、いったん不利になるとどんどん不利になるというパターンは覆い隠せない。

p.219

あの聖句から「マタイの法則」が生まれたとは……。


レバレッジ・ポイントとは、複雑なシステムのなかにおいて、一部に生じた小さな変化をすべてに関わる大きな変化に変えられる場所のことだ。

p.229


「軽率に介入して、システムの自己メンテナンス能力を損ねてはいけない。改善しようと手を下す前に、すでにそこにあるものの価値に注意を払うべきだ」とメドウズは警告する。

p.229

これ、結構大事な指摘である気がします。


わたしたちは自然のサイクルに無害な存在になるだけでなく、自然の再生を助けられるその立派な参加者になれる。

p.345

希望に満ちた言葉です。人類はこうならねばなりませんよね。


「自分の考えが本物かどうかを知るためには、一度、自分の考えを変えてみるのがいちばんいい」(詩人テイラー・マリ)

p.349

なるほど。含蓄ある言葉です。


わたしたちの世代は、人間が地球という人類の家にどれほどのダメージを与えているかを正確に理解できるようになった最初の世代であり、おそらくは、大きな変革を起こすチャンスを与えられた最後の世代だ。わたしたちは国際的なコミュニティとして、極端な貧困に完全な終止符を打つために必要なテクノロジーと、ノウハウと、金融的な手段を持っていることを、十分によく知っている。足りないのは、それを実現しようとする総意だけだ。

p.407~408

この総意が問題です。


わたしたちの日々の選択や行動がたえず経済を作り替えている

p.416


「自分が見たいと願う世界の変化に、自分自身がなりなさい」(ガンジー)→「自分が見たいと願う世界の変化を、引き出しなさい」(著者)

p.417

人任せではなく、個人個人が変わらねば、世界は変わらないわけです。


見出し画像には、「みんなのフォトギャラリー」からドーナツのイラストをお借りいたしました。


↑文庫版



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