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民主主義について考える~『たちどまって考える』(ヤマザキマリ)~

漫画家ヤマザキマリさんが、今回のパンデミックやそれをめぐる状況について考察したエッセイです。

↑kindle版


2020年8月の時点で原稿の一部はまだ執筆中だったものが、9月10日に発売されているわけですから、「緊急出版」と言っても良いと思います。恐らくそのためかと思いますが、同じことが何度も述べられていたり(もちろん意図しての部分もありますが)、文法の誤りが散見されたりするのが、ちょっと惜しいです。タイムリーな本として一時的に売れるのではなく、長年にわたって読み継がれるためには、もう少し校正に時間をかけるべきだったのではないでしょうか。


でも全般的には、とても興味深かったです。単にパンデミックのことだけではなく、これまでにマリさんがじっくり長い時間をかけて考えてきたことが表出されているので。以下、心に残った部分。


「開かれた民主主義に必要なのは、政治的決断を透明にして説明することと、その行動の根拠を伝え、理解を得ようとすることです」(メルケル)

本書に通底するテーマと言えるのは、民主主義だと思います。


また、自分の考えを他者に伝える重要性も、繰り返し述べられています。

考えは胸のうちに留め続けているだけでは、不健康になるから、外へ排出しなければならない。(中略)良い弁論者は自らが発した言葉をしっかし反芻し、時には反感や顰蹙を買っても、それを客観的に省みるゆとりをもつ。

自分の考えを伝えることが、民主主義の根っこにあるのだと。

民主主義とは、参加者の弁論力によって成り立つものだ。


「疑う」こともまた、民主主義に求められます。

弁論術を身につけるということは、他者の言葉に対して「猜疑心を抱く」「批判力を身につける」というスキルを高めるためでもあります。

ある意味で自分以外の何かに責任を丸投げできる「信頼」に比べ、「疑い」には大いなる想像力と知性、そして自分の考えをメンテナンスする責任が問われます。そして民主主義国家というのはそもそも、国民の猜疑心によって司られるべきだと思うのです。


あと、「失敗を恐れないこと」も本書で繰り返し述べられています。

もし失敗しても、そこから学び、次は同じ間違いをしなければいい。


アイドルもマンガも、昭和の頃はソロ(一匹オオカミ)が人気だったけど、現代はグループの時代、という指摘も、間違いを極端に恐れる風潮への危惧とつながります。

グループを求める傾向には「間違えないように」、「失敗しないように」といった現代の社会そのものを覆う行動パターンの力学が働いているような気がする。

<追記>

「失敗」を恐れる若者の心理を解き明かしているのが、『先生、どうか皆の前でほめないで下さい』です。


一人で自分の言動への責任を負うのはとても辛いけど、ソロでやっていく覚悟が必要だということでしょう。

人間は失敗や挫折、屈辱から得られた苦々しい感情も経験しなければ、成熟しない生き物だと思う。


とはいえ肩ひじ張ってがんばる必要もまたなく、失敗したら失敗したで、それを笑い話にしてしまえばいい、ともマリさんは言ってくれています。


そして最後にまた、民主主義への指摘に立ち戻っています。

個人で生きる強さをもち、自分なりの修練を経て、自分の責任を自分で処理する能力をもった人たちが、こうしたオーケストラ的な群れとして集まることは、民主主義に置き換えても理想的な形と言えるのではないでしょうか。


新書なので気楽に読めるかと思いきや、なかなか歯ごたえのある本書ですが、まさに表題通り、「たちどまって考える」べきテーマの詰まった本です。


↑新書版





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