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若者だけでなく、自分自身の理解にも役立つ~『先生、どうか皆の前でほめないで下さい いい子症候群の若者たち』(金間大介)~

この本は新聞広告で存在を知ったのですが、広告中の「『わからなかったら質問して』は通じない」という部分に衝撃を受け、ぜひ読まねばと思いました。

↑kindle版


私は授業の節目や最後に、必ず質問の時間を設けているのですが、「質問のある人」と言っても、まず手が挙がらないことが常なのです。そのくせ、授業が終わった直後に質問に出てきたり(1分前に手を挙げなさい)、友達同士で分からないところを相談し合った結果、間違った結果に到達したりすることが多いので(だから遠慮なく質問しなさいって)。


読んで判明したのは、若者は何しろ目立つのが嫌いで、だから質問しないのだということ。いや、それは実は読む前から薄々わかってはいましたが、ここまで徹底されているとは……。
なんたって、「大学生が選ぶ嫌いな講義ランキング」の1位が「当てられる」なのです。

ちなみに、最下位は「講師の言っている意味がわからない」だった。講義をする側からすると最も気を使う(準備時間も使う)ところなのに、それは別にどっちでもいいということか……。

p.28

著者の金間さんならずとも、力が抜ける結果です。


次に唖然としたのが、この部分。

とても簡単に白熱教室を表現できる方法が1つだけある。匿名化だ。これは皆さんが思っているよりずっと強力だ。
その秘伝のレシピはこんな感じ。
最近では、質問やコメントを簡単に送ることができるアプリがたくさんある。それを活用し、講義中に投げかけた質問にスマホで答えてもらう。適当なハンドルネームで登録していいことにすれば、匿名性は保たれる。アプリの画面を講義室のスクリーンに映し出せば、自分以外の聴講者がどんな質問をしているのかを見ることもできる。
こうすると、質問やコメントがじゃんじゃん届く。場合によっては、送信されるコメントが多すぎて目が追い付かない状態になる。

p.31~32

皆の目の前で質問することに抵抗があるのだろうとは、さすがに思っていたので、Teamsの授業のチームで投稿する形で質問してもいいことにしても、ろくに質問が出ない理由は、これでしたか。Teamsだと、誰が質問したかは分かりますものね。


そして本書の題名でもある、「皆の前でほめないでください」と若者が言う理由。

1つ目は、自分に自信がないこととのギャップだ。
現在の大学生の多くは、自己肯定感が低く、いわゆる能力の面において基本的に自分はダメだと思っている。その心理状態のまま人前でほめられることは、ダメな自分に対する大きなプレッシャーにつながる。つまり、ほめられることはそのまま自分への「圧」となるのだ。
この「ほめ」=「圧」という図式は、いい子症候群の大きな特徴なのでぜひ覚えておいてほしい。
2つ目は、ほめられた直後に、それを聞いた他人の中の自分像が変化したり、自分という存在の印象が強くなったりするのを、ものすごく怖がる。

p.33

2つ目の理由については、薄々分かってはいたので、私はレポートなどの返却時に生徒の良い意見などを読み上げる時、誰のだと言うことはしていません。「皆の中から出てきた良い意見」などという言い方をして、匿名性を保っています。しかし、「ほめ」=「圧」のレベルまで達しているとは思いませんでした


最も公正な分配方法は平等分配だと考えるような若者にとって、強制的に差を付けられることは落ち着かなく、人目が気になる負の要素でしかない。したがって、競争的要素が発生した時点で、そこには近づこうとしない。仮に競争を強いられたとしても、絶対に全力を出さない。周りを見て、平均点を取りに行くだけだ(中略)。
いい子症候群の若者たちは、とにかく差がつく状況が苦手であり、特に過敏に反応するのが「自分だけが何らかの利益を得る」状態だ。

p.52

第二次ベビーブーマーの一員としては、競争が苦手と言われても、という気がします。私自身、競争は得意とは言えませんが、「平均点を取りに」いこうとは思いません。


今の大学生は、施されても施し返さない。倍返しどころか半分も返さない。そもそも施される状態を作らない。施されるとしたら、それは施す側が施したいから施すのであって、それなら恥ずかしいことでも貸しを作ることでもない。むしろ社会貢献となる。

p.56

うーむ。


いい子症候群の若者たちは自分で決めるのがとても苦手だ。特に他人がかかわることになると、自分が決めることは恐怖でしかない。何かを提案するなんてもってのほかだ(中略)。
極端な場合、「どうする?」と聞くことすらできなくなる。聞くこと自体が、緊張感を煽るからだ。

p.62~63

だんだん頭を抱えたくなってきました。


上司がいい子症候群の部下に、「わからなくなったらいつでも聞いて」と言ったのに、一向に聞きにこないので、さらに「どんなことでも聞きゃいいんだよ」と言ったと仮定した時のリアクションが、またすごいです。

・次からあらゆることを聞きに来る(だってそう指示されたから)
または、
・やっぱり何も聞きに来ない(だって質問の仕方に関する例題を授かってないから)
あなたは思わず声を荒らげ本音をぶつける。「もっと自分の頭で考えろ!」
……大変申し上げにくいのだが、そのお叱りはほとんど無意味だ。
あなたは自分の頭で考える例題を示してあげていない。

p.71~72 


現在の若者は、負けたくないという思い自体は弱くない。いや、正確に表現すると、「負けるのが怖い」という意識はとても強い。あまりにも負けるのが怖いので、負ける可能性が少しでもあるのなら、そもそも競争しないという結論に至る。

p.100

これを読んで、はたと思ったのが、私の近年の疑問である、生徒が記号問題を空欄にする理由。

まさかと思いますが、生徒は間違えるのが嫌だと思う気持ちが強いあまり、「間違える可能性が少しでもあるのなら、そもそも記号問題を空欄にするという結論に至」っているのでは……。まぁかといって、回答してある部分が必ずしも正答率が高いわけではないのですが。


名指しで質問された時のリアクションも、すごかったです。

統計的に最も多いリアクションは「固まる」だ。森でクマさんに遭遇したときと同じ。
一生懸命考えているからではない。一生懸命考えている姿勢を見せることが正解なのだ。固まっていれば、相手から何らかの動きがある。場合によっては、答えを言ってもらえるか、あるいは質問がとり下げられるか。いずれにしても、その場は一件落着だ。
彼らは、(中略)「固まる効用」を経験として学習している。向こうがしびれを切らすまで待て、が正解なのだ。

p.140

そうですね、確かに彼らは固まりますね。そしてこちらは、しびれを切らしますね。


ではなぜ若者はそうなってしまったのか。金間さんの推測はこうです。

日本人は、全体的に挑戦することや自己主張することを避けるようになってきている。まるで国民全体が指示待ちしたがっているようだ。

p.190

挑戦が成長につながることを実感できないのは大人であり、一度失敗すると這い上がれないと思っているのは大人であり、既得権信者もやはり大人である。
大人たちがそう思っているからこそ、それが子どもたち、若者たちに空気感染する。

p.198


大人のせいとはいえ、今後の見通しは暗いです。

指示待ち人材は「指示を待つ」という状況があってこそ存在価値を示せる。リモート環境はこのタイプの人材の価値を文字どおり消失させた。
指示待ちといい子症候群はほぼ同義だ(中略)。
コロナ禍を起点としたリモート化がさらに浸透し、テレワークに代表されるデジタル社会が定着したとしたら、指示待ち人材を抱える5年後、10年後の日本企業の競争力はどうなるのか。

p.200


うーん、と考えてもなかなか思考が進まないときは、問いそのものが間違っている可能性がある。
これは、イノベーション論を専門とする私の信条だ。アメリカの映画やドラマでも"wrong question"という言い方をよくするし。

p.207

話の流れからは外れますが、これ、面白いです。


アメリカ人を対象としたいくつかの研究では、人は与えてもらうときよりも与えるときのほうが、より強く幸福を感じることが報告されている。すなわち、公共財を負担することで内的報酬を満たしている(中略)。
一方の日本人は、公共財の負担を義務だと考える傾向にある。あるいは何らかの形で決められたシステムの一環。

p.210

これも興味深いです。


日本人は他人に少しでも迷惑をかける行為を悪と断じるがゆえに、実際に他人に迷惑をかける(かけた)人には非常に冷たい。高齢者や子どもであっても、場合によっては許さない。徹底した自己責任主義が、極端な内向き志向と他者への恐怖心を生んでいる可能性がある。

p.218~219

日本人は困っている人に声をかけることが少ない、共助が苦手、という話の流れで出てきたものですが、翻って、自分が困っている時に声を上げることも少ない、というのにつながると思います。


「三人寄れば文殊の知恵」ということわざがある。(中略)学術的には「集合知」と表現する。
一方で、「集団の愚」という言い回しがある。読んで字の如く、個々の能力は低くないのに、集団になると愚かな判断をしてしまう、という意味だ。学術的には「集合愚」という表現がある。

p.221

集団の規模が大きければ大きいほど、不確実でチャレンジングな課題に直面した場合に、集団の愚に陥りやすいことを示している。
「三人寄れば文殊の知恵」の3人とは、単に複数形を総称しているだけと思っていたが、本当に3人くらいがいいのかもしれない。30人や300人では、特に課題の難易度が高い場合には、文殊の知恵からは遠ざかる傾向にある。
ましてや日本人は、昔から「周りの人がジャンプしたら自分もジャンプする」気質の持ち主だ。社会課題の難易度が上がる昨今、日本はますます「集団の愚」傾向に拍車がかかるかもしれない。

p.223

まずいです。


第9章の最後の、大人へのメッセージは重いです。

挑戦や変化が成長につながらず、チャレンジしても得られるものがないと若者が思っているのは、大人がそう見せつけてきたからだ。
自分が出来もしないし、やりもしないことを、若者に押し付けるなんて搾取以外の何物でもない。
したがって、本書の提言は1つ。
大人のあなたがやるべきだ。まずはあなたが挑戦するべきだ。
あなたが挑戦し、失敗し、そして復活するところを堂々と見せるべきだ。

p.226


もちろん、若者へのメッセージも。

同調が発生する瞬間にはパターンがある。それは、誰かがそれまでの流れとは異なる何かを発言した時には訪れない。その直後、特定の誰かがその発言に対するリアクションをするだろう。ほんの少し笑うか、うなずくか。しかし、その瞬間もまだ同調発生時刻ではない。注意してほしいのはさらにその次の瞬間だ。最初の笑い、あるいはうなずきに同調する人が複数発生する。これが同調圧力発生時刻だ。

p.233~234

いい子症候群を増殖する空気を広く蔓延させているのは、実は若者であるあなた自身だ。
とても大事なことなので、もう一度言う。人は空気の発生源を自分の外側にあると考える。だが、空気の源はあなた自身なのだ。

p.234

大変厳しいことを若者に言っているようですが、第10章での最後にある金間さんの若者へのメッセージは、とても温かいです。

学習のことだけは自分で決めるべきだ。ほかのことは空気に従い、同調圧力に流されたとしても、何のために、何を学習するか、ということだけは絶対に譲らないでほしい。
その理由は、繰り返しになるが、目的を持った学習は自分を強くしてくれるからだ(中略)。
原則として、学習は自分のために、わがままにやるべきだ。

p.243


「気持ちはあるけど、どうしたらいいかわからない」、あるいは「どうしても行動に移そうとすると躊躇してしまう」という人に、学生の間でも社会人になってからでもできる2つの地味な方法を教えよう。
1つは「質問力を鍛える」、もう1つは「メモの取り方を変える」だ。

p.248

ちなみにメモについてですが、最近の生徒は本当によく取ります。取りすぎて、逆にどこが重要か分からなくなるくらい取ります。


話し手の言葉ではなく、自分の頭によぎったことをメモする。たったこれだけの行為だが、効果は大きい。

p.252


生徒を少しでも理解するために読んだ本ですが、自分自身にも当てはまる部分もあり、ぐんぐん読み進めることができました。私も金間さんに、背中を押された気がします。


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