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【読書】マイナーな時代・場所に光を当てている~『長江落日賦』(田中芳樹)~

中国史の中でもマイナーな時代や場所を題材にした、田中芳樹の短編集です。事項説明だけになりがちで、印象に残りにくい時代や場所も、こういう小説があると、急に色鮮やかになりますね。

↑kindle版


〇「黒竜の城」
永楽帝に仕えた側近の一人亦矢哈(イシハ)の冒険談で、同じ著者の『運命 二人の皇帝』の後日談といっても良い感じの話です。

印象的だったのは、本筋とは関係ない、北宋の欽宗についてのエピソード。欽宗についてには、北宋を滅ぼした金に連れ去られ、そのまま現地で没したとしか知りませんでしたが、本当だったら江南に復活した南宋に帰るチャンスがあったとは! 「欽宗の帰国を拒否した南宋の君臣の陰湿さ」と田中芳樹も作中で書いていますが、同感です。
最後に書かれた、「その死後、彼(引用者注:亦矢哈)が生前に記録し製作した東北辺境の地誌、地図、その他の文書類はことごとく火に焚べられた」という一節に、記録を大事にしないことへの田中芳樹の怒りを感じました。


〇「天山の舞姫」
唐の時代のフェルガナが舞台です。タラス河畔の戦いより少し前で、中央アジアにイスラーム勢力が進出してきている頃の話。
氷砂糖を石蜜(せきみつ)と呼ぶとは知りませんでした。何か、石蜜の方が美味しそうです。


〇「長安妖月記」
唐の太宗の最晩年の時代の話。やはり田中芳樹は、記録と歴史の大切さにこだわっているようです。

文人であれ、武人であれ、およそ官位につくほどの者であれば、後世の歴史の評価をもっとも恐れるのが、中国文明の伝統である。この文明においては、歴史家は、自己の生命より真実の記述を重しとする態度を要求される。(中略)
中国文明にとって、歴史の事実と真実、そしてその記録とは、それほど重要なものである。極端に言えば、歴史の批判に無関心な人間は、野蛮人とみなされてもしかたない。

p.122~123(単行本)


〇「白日、斜めなり」
いわゆる三国志の時代の話ですが、諸葛孔明が死んだ後の蜀の国の駄目さが際立ちます。この話でも、歴史や記録の大切さが指摘されています。

成都へ来て、悪い意味でおどろいたのは、漢王朝の正統を継ぐ、と自称するこの宮廷に、史官が置かれていないことであった。歴史記録を管轄し、資料を保存するというのは、王朝の義務である(中略)。漢の正統をひくと称しながら、この「文」に対する無関心はどうであろう。

p.146(単行本)


〇「長江落日賦」
これを読んで、「江南に漢民族の4王朝(南朝)、華北に遊牧民族の5王朝(北朝)が相次いで出来、対立が続いた時代」という漠然としたイメージだった南北朝の時代が、カラフルなものになりました。しかし、作中に出てくる処刑方法の数々の残酷さと言ったら……。


〇「あとがきにかえて」
「『赤壁の戦い』私考」では、「赤壁の戦いは曹操にとって、『三国志演義』で書かれているほどの大敗だったのだろうか」という疑問が呈されています。確かに田中芳樹の論理には納得がいきます。

「逸話のオリジナルあれこれ」に載っている西晋の恵帝の、「米が食えない? それがどうしたのだ、肉を食えばいいのに」という発言を、筆者はマリー=アントワネットの「パンが食べられないのなら、お菓子を食べればいいのに」という方言のオリジナルと推測しています。でもマリー=アントワネットの言葉については、『世界史を大きく動かした植物』の中で、以下のように説明されています。

ルイ十六世の叔母であるヴィクトワール内親王の言葉とされている。しかも、正確には「ブリオッシュを食べればいい」であり、現在では高価なお菓子であるブリオッシュも、当時はパンの半分の価格の食べ物だったとされている。

『世界史を大きく動かした植物』(p.81~82)

「書生論ー三国志雑感」では、少なくとも唐の玄宗の時代には曹操は悪役視はされておらず、曹操が悪役になるのは、『三国志演義』がきっかけであろうということが述べられています。小説(『三国志演義』)が読者に植えつけるイメージって、恐ろしいですね。もっとも田中芳樹は、「実は『三国志演義』は作中ですでに、曹操悪役説を皮肉っているのかもしれない」、という説も展開していますが。


本書は、一貫して記録を保存し、そこから学ぶことの大切さを指摘しています。それと同時に用語の暗記のみで終わりかねない、マイナーな時代や場所に光を当てている点が素晴らしいです。


見出し画像は、月餅です。




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