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AIに出来ないことが出来る人間になるために~『AI vs.教科書が読めない子どもたち』(新井紀子)~

教員として薄々感じていたことを、再確認させられる本でした。

↑kindle版


最初に著者の新井さんは、断言します。

AIやAIを搭載したロボットが人間の仕事をすべて肩代わりするという未来はやって来ません。(中略)人間の知的活動のすべてが数式で表現できなければ、AIが人間に取って代わることはありません。(中略)AIは神にも征服者にもなりません。シンギュラリティも来ません。

ちなみにシンギュラリティとは、

「真の意味でのAI」が、自律的に、つまり人間の力をまったく借りずに、自分自身よりも能力の高い「真の意味でのAI」を作り出すことができるようになった地点のことを言います。


そして「真の意味でのAI」とは、「人間の一般的な知能と同等レベルの知能」のことです。


なぜ「AIが人間に取って代わ」れないかというと、

AIやロボットは「人間社会で」役立つように作られる必要があります。「役に立つとは何か」を知っているのは、人間だけです。ですから、人間がなんらかの方法で正解をAIに教えなければなりません。

論理、確率、統計。これが4000年以上の数学の歴史で発見された数学の言葉のすべてです。そして、それが、科学が使える言葉のすべてです。(中略)AIは計算機ですから、数式、つまり数学の言葉に置き換えることのできないことは計算できません。では、私たちの知能の営みは、すべて論理と確率、統計に置き換えることができるでしょうか。残念ですが、そうはならないでしょう。(中略)数学が発見した、論理、確率、統計にはもう一つ決定的にかけていることがあります。それは「意味」を記述する方法がないということです。


一瞬ほっとしそうですが、新井さんの描く未来予想図は暗いです。

現代日本の労働力の質は、実力をつけてきたAIの労働力の質にとても似ています。(中略)AIでは対処できない新しい仕事は、多くの人間にとっても苦手な仕事である可能性が非常に高いということを意味する(中略)。
AIに多くの仕事が代替された社会ではどんなことが起こるでしょうか。労働市場は深刻な人手不足に陥っているのに、巷間には失業者や最低賃金の仕事を掛け持ちする人々があふれている。結果、経済はAI恐慌の嵐に晒される。


ちなみに新井さんは、AIの東大への合格を目指す東ロボくんのプロジェクトで有名な数学者です。プロジェクトの目的は、東大合格自体ではなかったということには驚きました。

本当の目的は、AIにはどこまでのことができるようになって、どうしてもできないことは何かを解明することでした。そうすれば、AI時代が到来したときに、AIに仕事を奪われないためには人間はどのような能力を持たなければならないかが自ずと明らかになるからです。


その結果はというと、

ホワイトカラーを目指す若者の、中央値どころか平均値をAIが大きく上回った。

東ロボくん、すごいね、という話ではなく、本当に「多くのホワイトカラーの職がAIに奪われ」かねないのです。

ちなみに私、平均値はともかく、中央値を理解していませんでした。中央値は、「全部の値を小さい順に並べ、ちょうど真ん中の値」のことでした。


じゃあ、AIなんて導入しなければいいのかというと、そういうわけにはいきません。

AIに代替させれば生産性が向上する部門にもかかわらず、無理に雇用を維持しようとすれば、AIを導入した企業との競争で落伍し、労働環境がブラック化します。AIが得意なことに、人間が勝負を挑むのは、竹槍でB29に対抗するようなことです。


AIに仕事を奪われた人の大半が、AIにはできない仕事ににつけなければ、

社会は大混乱です。その影響は、職を失わなかった人にも及ばないはずはありません。可処分所得の中央値が劇的に下がれば、今までのようにモノやサービスを購入できなくなるでしょう。そうなればパティシエや美容師など、AIに代替されない仕事にまで影響が拡大するからです。


で、「現代社会に生きる私たちの多くは、AIには肩代わりできない種類の仕事を不足なくうまくやっていけるだけの読解力や常識、あるいは柔軟性や発想力を十分に備えているでしょうか」という話になっていくわけですが、読解力1つとっても、恐ろしい状況にあるわけです。まさに題名通り、「教科書が読めない子どもたち」が大勢いるわけです。

新井さんたちの調査で判明した、その驚愕するような実態は本書の記述に譲ります。


「推論」は文の構造を理解した上で、生活体験や常識、さまざまな知識を総動員して文章の意味を理解する力です。「イメージ同定」は、文章と図形やグラフを比べて、内容が一致しているかどうかを認識する能力、「具体的同定」は定義を読んでそれと合致する具体例を認識する能力です。定義には、国語辞典的な定義と、数学的な定義の2種類があります。推論、イメージ同定、具体例同定の3つは、意味を理解しないAIではまったく歯が立ちません。

近年の生徒の多くは、実感としてこれら3つの力が落ちています。というか、本当に読解力がないのです。試験でも問題文をきちんと読まず、指示に従わない子が多いです。「自分で作った問題に、自分で答えている」とでも言えば良いのでしょうか。

また、文章で答えさせる問題で、常識に照らしてありえないことを書く生徒も少なくないです。具体例は書けませんが、知識の問題ではなく、常識的に考えてありえないことを書くのです。


「御三家」と呼ばれるような超有名私立一貫校(中略)では、12歳の段階で、公立進学校の高校3年生程度の読解能力値がある生徒を入試でふるいにかけています。(中略)そのような入試をパスできるような能力があれば、後の指導は楽です。(中略)その学校の教育方針のせいで東大に入るのではなく、東大に入れる読解力が12歳の段階で身についているから東大に入れる可能性が他の生徒より圧倒的に高いのです。

結構これ、読んでめげました。とりあえず自分が作る問題には、推論、イメージ同定、具体例同定の3つを必要とする問題を盛り込もうと思います。


自分の考えを論理的に説明したり、相手の意見を正確に理解したり、推論したりできない学生が、どうすれば友人と議論することができるのでしょうか。「推論」や「イメージ同定」などの高度な読解力の問題の正答率が少なくとも7割ぐらいは超えないと、アクティブ・ラーニングは無理だろうと私は考えています。

私はもともと、アクティブ・ラーニングには否定的です。実践例を見ていても、自分の実感としても、きちんとした知識なしに、上っ面な知識で話してしまう生徒が少なからずいるので。

新井さんの意見を読み、ますますアクティブ・ラーニングなんて、という気持ちになってしまいました。アクティブラーニングを扱った本についての感想が、以下の記事です。


じゃあ未来は絶望的かというと、新井さんは最後にこんな提案をしています。

AI時代の先行きに不安を感じ、起業に関心のある方は、是非、世の中の「困ったこと」を見つけてください。そして、できない理由を探す前に、どうやったらその「困ったこと」を解決できるかを考えてください。デジタルとAIが味方にいます。小さくても、需要が供給を上回るビジネスを見つけることが出来たら、AI時代を生き残ることができます。そして、そのようなビジネスが増えていけば、日本も世界も、AI大恐慌を迎えることなく、生き延びることができるでしょう。
私たちが、人間にしかできないことを考え、実行に移していくことが、私たちが生き延びる唯一の道なのです。


本筋以外で、印象に残った言葉。


(第五世代コンピューターは)なぜ失敗したのか、どう失敗したのかという肝心な報告書が存在しないのです。(中略)学べるものが何一つ残されていないことに愕然としました。失敗に目を閉ざし、なかったものとしているのだとしか思えません。


科学というのは、ある一人の人間のひらめきで生まれるというより、機が熟すと同時多発的に「言葉として」発見されることが多い。


科学や技術とは「なんだかよくわからないけれども複雑なこと」を、数学の言葉を使って言語化し、説明していく営みです。それと同時に、言語化できなかったことを、痛みをもって記憶することでもあります。そして、前者以上に後者が大切です。(中略)言語化し数値化し測定し数理モデル化するということは、つまり「無理にかたづける」ことなのです。かたづける能力を持つのと同時に、そこで豊かさが失われることの痛みを知っている人だけが、一流の科学者や、技術者たりうるのだと思います。


私が科学者として肝に銘じていることがあります。それは、科学を過信せず、科学の限界に謙虚であることです。


高校の物理教科書に出てくるような基本的な物理現象であっても、私たちは未だに完全には把握したり予測したりすることができていない。それが科学の現実なのです。その事実に、私たちは謙虚でなければならないと思います。そして、科学は、いくらその必要があって社会がそれを過度に期待していても、時が熟さなければ前に進みません。


大型家電量販店に行って販売員から商品の説明を受けて購入する商品をまず決める。その店では購入せずに、スマートフォンで最安値の店を探して、通信販売でその店から購入する。(中略)このような状況では、駅前に店舗を構え、専門知識を持った販売員を雇用している販売店はたまったものではありません。その現象を「ショールーミング」と言い、2017年9月に米トイザラスが破産した一因とも言われています。


見出し画像には、「みんなのフォトギャラリー」で「教科書」で検索して出てきたイラストを使わせていただきました。


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