見出し画像

メタ視点の駒

【閲覧注意】
悪意はありませんが、一部の経営者の方は気分を害されるおそれがありますので、閲覧にあたっては自己責任でお願い致します。
また、私自身は経営者ではありません。一般社員の戯れ言と、どうかご容赦下さい。

本題

一定数の経営者の方は、社員を"駒"や"カード""歯車"に例えることがあります。

僕はこの考え方を否定しません

「おいおいどうした」っと言われたりしますが、便宜的に表現するときに結構的確だな。と思います。
"家族"という表現よりはよほどしっくりきます。(家族に例えるのも嫌いじゃないですが)

上記の表現ではそれぞれの役割がちゃんと割り振られているからです。

会社は組織

会社におけるお仕事は、それぞれの役割を全うしていかなければ機能しないです。歯車なんて一つ欠けたら全部止まるかもしれないですしね。敬意を欠いた表現だとも思わない。
なので僕は特にこれらの表現を否定はしません。

ここではタイトルの通り"駒"をピックアップしてお話ししていきたいと思います。将棋にしましょう。
(僕、ちゃんと将棋指したことないけど)

また、この表現を使うならば、戦略的な駒配置や的確な指方を求められるのは経営陣です。でなければ使うべきではないのではないかも。

ただし、あくまでも比喩表現

従業員サイドでこういった表現に抵抗がある人も少なくないと思います。
そうですね。僕らは人間です。
おそらく"捨て駒"などネガティブな言葉もよぎります。気持ちよくはないですね。

便宜的な表現であるだけ

ただ、1つの駒も欠かさぬよう、十分な配慮が隅々まで出来る経営者もいるでしょう。
"駒"と言ってないだけで、評価と謳って社員の可能性を蔑ろにしている経営者も残念ながらいます。

さて、駒は何を求められるのでしょうか?

KPIの追求やオペレーティブな実務労働が主でしょうか。
なんとなく、そんな感じがします。
人事、特に採用をやっていると経営者の現在の考え方に触れる機会が少なくありません。
採用が動くときは何かしらの計画や、問題を抱えていることが多いからです。

盤面を見てるのは差し手だけじゃない

はい、経営者の思惑が今の現場にフィットしているのか、この確認を怠ると組織はどんどん信頼関係を失っていくことがあるので、これは欠かせません。
そして、経営者が問題視しているよりももっと深い所に改善が求められるケースも少なくありません。

リークするわけじゃないですが、「上からこんな指示(めっちゃ気を使った表現)が来てるけど、大変??」みたいな感じで、かるーーーーく聞くと、出てくる出てくる。クリティカルレベルの問題が(苦笑)

エンゲージ(会社でもプロジェクトでもいい)の高い社員に相談すると、詰め将棋のように立ち回ってくれています。
自分自身もその盤面に含めつつ、仲間を守ろうとしながら必死に考えています。
複数のパターンのシミュレーションをしながら、自分のタスクも遂行しているわけです。

こういう仲間はとても心強いし、プライオリティを見直す程の情報提供をしてくれます。

粛々と仕事をしているようで盤面(大局)を視ている社員はいます。

タイトルにある"メタ視点"とは経営者目線のことではない

今からもう少しだけ先の未来まで、どのように結果を残すか。誰も欠けずに到達するにはどうしたらいいのか。
こんな思考が"自ら盤面を視る"という状況を招くのかなって思います。
僕はこれをある種の成長だと思いますし、誇らしいと思います。

差し手。。。

これらの状況をボトムアップとして報告します。
兎「報告!現場はもっと大変な状況であります!」
経「分かってる、だから補填採用がいるやん。」

ちーがーうーだーろーー!!!!

補填採用を否定しているわけではありません。
現場が懸命に守ろうとしている社員を鶴の一声で"もういない"前提で話が進んでいくことが、どれ程の影響を与えるかって話なんだよーー!!
露骨な"捨て駒"を見て現場はどう思うんだよ。。と。。

明日は我が身

ってなるでしょ。。。
社員を大切にするっていうことは、社員に寄り添うっていうことは、その人の想いまで汲み取ってあげることだと断言します。
その上で出来る出来ないの判断をする。
そういうことじゃないのですかね。。。

言わずもがな人事はメタ視点だと思います

内外の情報が集約される点から言えば、人事もメタ視点の駒と言えるでしょう。
だからこそエンゲージを高く保つ必要があるし、自分が"捨て駒"にされることはわりと早く察知出来ます。
エンゲージの保ち方は人それぞれでしょうけどね。

最後に

冒頭で、モチーフをろくに指したこともない将棋にした点について。

将棋の駒は死なない

将棋では、持ち駒というルールがあります。
手にいれた駒を自分の駒として使えるのです。

手放した駒は、別の差し手の駒となって、成長し、とんでもない驚異となって目の前に立ちはだかるかもしれない。
それだけはゆめゆめ忘れないようにしていきたいものです。
一生懸命採用した仲間たちが、素晴らしいパフォーマンスを発揮することを僕は願ってやみません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?