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MARBLiNGが飯舘村で思い描く、未来の「いなか」

こんにちは。MARBLiNGのななです。

東日本大震災から10年を迎える今日。みなさんはどんな一日を過ごしていますか?

今日まで1ヶ月かけて、飯舘村に様々な形で関わるみなさんのストーリーやそれぞれが思い描く未来のお話を毎日紹介してきました。
これまでご紹介できたのは、ほんの一部の方々で、実際はもっともっとたくさんの方が村に関わり活躍されています。

私たちも寄稿していただいた記事を編集をしながら、その人の新たな一面を見れたり、村への強い想いに感動したり、みなさんの夢から新たなアイデアを想像したりと、素敵な1ヶ月でした。

ひと月前のコラムでもお知らせした通り今日は、友人の淳ちゃんと私で設立した会社「MARBLiNG」について、少し掘り下げてご紹介します。

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彩度の高い「いなか」をソウゾウする

「未来の社会」を描くとき、「近未来的」といえば、
鮮やかで機械的な近未来都市が描かれる。
対照的に、田舎はノスタルジックでセピアな色や緑一色の
似たような風景で描かれてはいないだろうか。

私たちがソウゾウする「いなか」は、彩度が高い。
ここには、一人ひとりが自分らしい生き方を選べる選択肢がある。
多様な価値観を受け入れ、大切にする人たちがいる。
お互いの描く未来に共感し、ともに社会を作っていこうとする繋がりがある。
課題に挑戦し、考え続けることを諦めない風土がある。
この「いなか」には、色鮮やかな未来をつくる力がある。
そんな彩度の高い「いなか」を、私たちはソウゾウしていく。

いきなりですが、企業理念。
MARBLiNGは、『彩度の高い「いなか」をソウゾウする』、ローカルプロデュース会社です。

一番初めのnoteでも触れましたが、社名の「MARBLiNG (マーブリング) 」は、様々な色を使ってマーブル模様(大理石模様)を描く絵画技法に由来しています。

外から入ってくる新しい価値観や技術も、元々ある文化や風習、農村らしさも、一人ひとりの個性や想いも、全部認め合って、混ざるわけではないけど共存し合う、そんなカラフルで彩度の高い世界を描きたい。
という思いが込められています。


なぜMARBLiNGをつくることになったか?

私たち二人はそれぞれ別ルートで震災以降の飯舘村と関わっていました。
知り合ったのは1年ほど前。
淳ちゃんは東京藝大4年生、私は飯舘村の地域おこし協力隊として活動2年目を迎えようとしていた頃でした。

上野の美術館で開かれていた藝大の卒業制作展にたまたま訪れ、建築学科の展示室で飯舘村をテーマにした作品を発見し、制作者っぽい方に声をかけたところ、その人こそまさに淳ちゃんでした笑

淳ちゃんのお父さんは、NPOふくしま再生の会を村民の方と協働して立ち上げ、震災後の飯舘村に調査や放射能測定のために通い、2017年に村に移住。
そのつながりで、淳ちゃんも学生時代から何度も飯舘に通い、村の方のヒアリングや、神さまが宿る小さな神社や祠探しなどの活動をずっと続けていました。

ちょうどその頃から首都圏でコロナの影響が拡大し始めていて、卒展を終えた淳ちゃんは両親のいる飯舘で過ごすことが多くなり、何度も村内で一緒に遊んだり喋ったりしながら、お互いどんな思いで飯舘村に関わっているか、ここで何をしたいか共有していきました。

元々地域おこし協力隊として、村内の空き施設をクリエイターの活動拠点にするプロジェクトを立ち上げ、任期終了後は法人化して運営しようとしていた私と、
NPO関係者やベテラン研究者などと深く関わりながらも、もっと若手のアイデアやパワーを活かせるような組織が作れたらいいと思っていた淳ちゃん。
これ、一緒にやれば良くね?となったのが始まりです。


その後、未来を担う若手を集め、飯舘村の課題やビジョンを考えるワークショップをオンライン/オフライン両方で開催。
村の若手農家や移住者、東京の学生など、飯舘に関わりのある様々なバックグラウンドを持った人たちが集まりました。
じっくり話を深める中で見えてきたのは、飯舘村や世の中そのものの課題。
このワークショップや、行政の方含めた村の方々へのヒアリングなども経て、飯舘にどんな会社があったらいいのかを固めていきました。

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MARBLiNGが変えたいもの① 被災者/支援者 の構図

今日が過ぎれば、東日本大震災・原発事故のことはメディアや人々の意識から忘れ去られがちになってしまうことは、過去9回の3.11を経てなんとなくわかります。

こんなご時世、みんなそれぞれ忙しくて、守らなきゃいけないものがあって、「被災地」と呼ばれる場所だって日本中、世界中、たくさんあって。
毎年3.11の時期になったら被災地のことを思い出す、被災した方の言葉に触れる、それだけでも大きなこと。

でも今この飯舘村に住んでいる私たちにしかできないことがあるとしたら、もっと誰でもこの地域に対して気軽にワンアクション起こせるような空気ときっかけを作ることなのかなと感じています。

そろそろ被災者/支援者、当事者/非当事者という構図を変えていきたいよねという話は、被災地の内側からも外側からもよく聞こえてきます。
その壁を越えなければ進まない物事もたくさんあります。
じゃあこれから具体的にどうやってその構図をほどいていくか?を私たちは飯舘村で考えていきたいと思っています。


MARBLiNGが変えたいもの② 「田舎」のイメージ

そしてもう一つ、MARBLiNGが刷新したいと思っているのが、まだ原発事故の被災地という印象が強い飯舘村のイメージです。

飯舘村の「今」の情報をアップデートし、イメージの更新を続けていきます。

それと同時に、飯舘村に限らず、「田舎」自体のイメージを変えていきたいという思いもあります。

田舎=地味、不便
都会=便利、勝ち組

といった無意識にこびりついているイメージ。
都会から田舎に移ることに対する「都落ち」な感覚を想像するとわかりやすいでしょうか。

避難を経験した元々の村民の方達もそれぞれいろんな心境だと思いますが、田舎の暮らしが息苦しくて、避難のおかげで正直解放されたという話も聞きます。
その息苦しさみたいなものがなければ、その方の人生はまた違うものだったかもしれません。

今はコロナ時代も相まって、より一層、都市=勝ち組・便利、みたいなイメージに対する疑問が膨らんでいる時期。
地方移住や多拠点生活などの言葉を耳にする機会も増えました。

そんな背景もある中、そもそも地方創生とか地域おこしのようなワードを使うこと自体、都市との間に余計な壁を作り、田舎や地方を自分ごとと感じられなくしてしまっているのかもしれません。

MARBLiNGは、いま都市が中心となって考えている現代の課題(持続可能性、多様性、エネルギー資源のことなど)を先取りして考える新しい「いなか」の形を探っています。

田舎でも都会でもない何か。
元々村にある農村らしさも守られているのに、時代遅れ感がない、
都会で生まれ育った人が移り住みたくなるような場所。
一度都会に出た人が、戻ってみたくなるような場所。

田舎や地方が「自分にも関係ある」かもしれないと思える場所を作っていきたいと思っています。


で、具体的に何をするの?

今動き出している事業や、将来的にやっていく事業の例です。

空間プロデュース
震災以降使われておらず解体予定だった広い倉庫空間を活用し、コンテナハウスタイプのオフィスが複数入居するハブ空間づくり。
飯舘村で研究や調査、商品開発などを行うNPO、大学、企業などがメインで入居し、飯舘村で今どんな人たちが何を考え試行錯誤しているのかがわかり、地域の方も気軽に足を運べるオープンな空間。入居団体同士のコラボレーションや、地域住民のアイデアを取り入れ実現する場としても機能。
同じ空間内で、芸術家たちが地元の方々と制作を行うアートプロジェクトも並行して実施予定。
ツアー事業
放射能に対する取り組みやエネルギーへの向き合い方、普段の暮らしの様子、若い移住者たちの活動など、飯舘村の「いま」がわかるツアーを村内の各行政区と連携しコーディネート。
廃校・空き家活用
廃校になった小学校の校舎を使い、クリエイターやクリエイティブ系企業が入居する貸オフィスと、イベントやセミナーに使える貸スペース、カフェなどが入った複合施設をプロデュース。
また、部屋数の多い空き家を活用し、移住や多拠点生活をするクリエイター向けのシェアハウスも運営。
コンテンツ制作
noteでのコラム連載の継続、映像制作、ファンコミュニティの運営など、主にオンラインでのコンテンツ制作。
商品開発・ブランディング
地元農家さんの生産物を使った加工食品開発やパッケージデザイン、ブランディングのサポートをし、村内外に販路を拡大。
イベントプロデュース
元々村にあったお祭りや運動会などの行事を、クリエイティブの力も借りながら、若い世代や子供たちも参加しやすい面白いコンテンツに。
ヘッドハンティング
上記の事業をやっていくのに必要な人材や、村で何か事業を起こしたいという方を対象に、地域おこし協力隊の制度も活用しながらヘッドハンティング。


私たちが思い描く未来

「被災地としての飯舘村」は世界規模で名が知れてしまいましたが、元は自給自足の文化が根付く、穏やかで美しい農村地域。
全村避難の影響で過疎化が急激に進み、地方の数十年先を先取りしたような状態になっていますが、だからこそ数十年先の未来に希望があることを見せられる場所でもあるんじゃないかと思います。

村にある伝統や風習、文化、コミュニティをしっかり守りながらも、外から入ってくる新しい人や価値観、技術を受け入れ、地元の方々にも浸透している、そういう意味での新しさを持った村として、飯舘村が世界に通用する「最先端のいなか」、誰もがここにいること、関わっていることへの誇りを感じられるような場所になっていったら面白い。
思い入れがどれだけ強いか、知識がどれだけあるか、何が「正しい」か、などと問い始めたらキリがない。
震災を経験した人も、していない人も、どちらとも思えない人も、飯舘村に少しでも興味があるならみんな同じフィールドで話をしようよ。

そんな思いで、これから先の未来、10年後、20年後も生きる世代である私たちが、この飯舘村を舞台に、近未来の「いなか」、新しい「生き方」を模索していきます。

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MARBLiNG 創設メンバー

松本奈々 / MARBLiNG 共同代表
福島県福島市出身。大学時代、復興支援活動を通じて飯舘村との関わりがスタート。卒業後、東京都内のIT企業でシステムエンジニアを経験し、2019年4月に飯舘村地域おこし協力隊に着任。2021年に矢野淳とともに合同会社MARBLiNGを設立し、村内の空き施設利活用プロデュース事業をメインに活動中。

矢野淳 / MARBLiNG 共同代表
東京都杉並区出身。2011年に認定NPO法人ふくしま再生の会を飯舘村村⺠と協働で立ち上げた父・田尾陽一の影響で高校生の頃から飯舘村に関わる。2020年東京藝術大学建築科卒業後、現在は東京で美術予備校の講師をしながら飯舘村と東京の二拠点で活動している。

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