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【LGBTQ +】 「女の子なのに、なんでそんな髪型にしてるの?」と聞かれた日


「女の子なのに、なんでそんな髪型にしてるの?」
ゼミの友だちから向けられた言葉。


相手の表情と言葉からは好意的なものは一切感じなかった。


あのとき、私はまだ弱くて
思わず目を逸らして
笑って誤魔化してしまった。
けれど、今ならきっとこう返す
「今はこの髪型の自分が一番、好きだから」



その言葉に含まれているもの

 ある日、ゼミで親睦を深めるワークをしていたときのこと。

ワークの内容は、ペアとなる相手を次々に変えていって正面同士に座り、先生からランダムに手渡されたカードに書かれているお題について制限時間のベルが鳴るまで話し合う、というものでした。

それぞれのカードに書かれているお題は、たとえば「出身地の自慢やPR」や「私がこの大学に入ったきっかけ」、「今までにやったことがあるスポーツ」などなど。

それぞれの題に割り当てられた制限時間は短く、相手が持っているカードに何が書かれているかは、ペアになって見せられるまで分からないので、頭をフル回転させてゲーム感覚で次々に早口で答えなければいけませんでした。


色んな子と早口でやりとりをしなければならない、そのゲームがアイスブレイクとなり、みんな心に浮かんだ言葉をそのまま即座にポンポンと言い合うようになっていきました。

そして、とある子とペアになり真正面に座りあって、開始のベルが鳴ってゲームが開始したときのこと。


相手の子がパッと見せてきたカードには「今までにやったことがあるスポーツ」のお題。私は即座に「野球!」と回答(小学校のとき、野球部だったため)すると、相手の子は「あぁ〜、野球かぁ」となにか少し含みのある表情で納得した感じ。


その子の答えは「ソフトボール」で、それ以外にもやっていたスポーツなどを話し合っていると、いきなり「女の子なのに、なんでそんな髪型にしてるの?」との言葉が飛んできた。

あまりに突拍子もない言葉だったため、私は笑って誤魔化してしまった。

 当時の私は、男の子のような見た目でいることに後ろめたさというか、ブレーキをずっとかけていました。周りがいわゆるフェミニンなフワフワ系女子や派手な女子が大半を占める大学であったため、そんな周囲からどうにか浮いてしまわないようにするのに必死だったのです。


正直、もっと髪の毛を短くしていかったけど、ギリギリ女の子のショートカットの範囲で抑えたり、もっとカッコイイ服装をしたいけれど、さすがにこれは男の子にしか見えないよね……と感じるものは着るのをやめたりして。


でも周りから見たら、髪の毛は短いし服装も男の子っぽかった。

だからそんな言葉をかけられて、実はみんな心のなかで思っているんだろうなと考えていたことが、いざ目の前の現実になって焦ってしまったんです、当時の自分は。

大人になったいま思うと「そんなの気にしなくていいよ」と声をかけてあげたいぐらいですが、学校の狭いコミュニティ内で、上手にやっていくための術(すべ)の一つだと思い込んでいたのかもしれません。

さらには、昨今ほど「多様性」のようなものへの考え方が、あまり追いついていない雰囲気を身をもって感じていたから(同性愛嫌悪だったり、性別にまつわる偏見を学内で耳にすることも)、何も言わない方が安全だと判断した。


だから咄嗟の発言に、平常心を装いながら「髪の毛が短いと、乾かすのも時間かからないし楽だから」と心にもないことを答えてしまったのです。心では、違う! そんな理由じゃないのに! なんで自分を裏切るような、そんなことを言ってしまったんだろうと思いながら。


「ふ〜ん、私もソフトボールやってたけど、ずっとポニーテールだった」と、その子から返ってきた言葉と好意的ではない表情からは、"いまはスポーツ部でもないのに、なんでそんなに髪の毛を短くしているの? 変なの" という意を感じました。


私は気にしない素振りを見せつつも、ゲームが終わってからちょっと考え込んでしまって、相手は私のことをずっと「変な子」だと思っていたんだろうな、もしかしたらやっぱりみんなにも、そう思われているのかも知れないな、なんて弱気になって。周りに変に思われたくなくて、落ち込んだ様子を見せまいとするがあまり、どうしても空元気のような姿になってしまいました。まだ学生で幼かった私は、自分が変だからそんなふうに言われてしまうのだ、とそんなふうに捉えることしか出来ませんでした。



でも実は、これには救いの話が続きます。

ワーク終了後、ゼミの全員で椅子をサークル状に並べて一人一人感想を言っていく時間が設けられたときのこと。私がゼミで一番仲良しだった子が感想を言うとき、真っ先に


「実は、別のペアのやり取りが聞こえてきちゃったんですけど、個人的な容姿のことみたいな、それ失礼じゃない? みたいなことを質問している子がいて、ちょっとどうかなって思いました。その子が好んでそういう髪型や服装だったりをしてるだけなんだから、別に良くない? って私は思いました」

とキッパリとみんなの前で言ってくれたんです。


もちろん、私とペアだった相手の子以外は、なんの話のことだかさっぱり分からない、はてなマークが頭の上に浮かんでいる状況だったけれど、ペアだった相手の子は自分のことだと気がついて笑いながら俯いていたし、私は内心で「そんなこと言わなくていいよ」と思いながらも、嬉しさやら情けなさやらで泣きそうになって。



今までだったら、そんなふうに遠回しに「変だ」といったことを言われてしまうのは、自分がおかしいからなんだと感じてしまっていましたが、この友だちがこんなふうにみんなの前で私のことを肯定して庇ってくれたおかげで、「自分は自分のままでいいんだ」と感じることのできる出来事になりました。本当に、友だちに感謝です。


人によって「当たり前」みたいなことって全然違う。それも分かる。でも、だからと言って自分が思う「当たり前」に当てはまらない人をわざわざ非難しなくて良いじゃんね。メイクをする男の子や、髪の毛が長い男の子、私のように一見、男の子と見間違うような女の子、いろんな人がいるんだから。


「ありのままで」や「自分らしく」という言葉が時代とともに浸透してきたけれど、まだまだ学生特有の狭いコミュニティだったり、人によっては地域や家庭のなかだったり、それぞれの環境で、ありのままの自分はどこまでだったら受け入れてもらえるのか、どうすればクラスで浮かないように、友だちの輪から弾かれてしまわないのか、試行錯誤というか、模索だったり日々の葛藤のなかで悩んで考えている。

ときには隠し切りながら、偽りながら
演じながら、周りに合わせながら、
ありのままの自分でいられないときもある。


ありのままの自分を貫くよりも、周りに合わせていた方が安全で安心な時もある。


そんななかでも、SNSや表舞台でよく見る「ありのまま」で生きている人たちの存在に勇気づけられながら、少しでも「自分らしく」、「ありのまま」に生きられるように。


より良く生きるために、他の人の生き方や歌や言葉、本や文学、映画や小説を見て、大事で大切な気持ちを思い出して。


やっぱり自分の好きな髪型、自分が一番したい服装、それが一番です。

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