【感想】『ミ・ト・ン』小川糸著 第1章〈初投稿〉

こんばんは。茉莉花の本棚です。このブログでは、その日読んだ本の感想や考えたことを述べていきます。あくまで一個人の感想にすぎませんが、これをきっかけにどこかで誰かが、素敵な本に巡り会えることを願っております。

さて、本日は小川糸さんの著作『ミ・ト・ン』第1話です。この本に出会ったきっかけは、Twitterの読書アカウントの方におすすめしていただいたことです。その方は「大人向け絵本」と表現され、読んだら心があたたまるとおっしゃっていました。

今日は心がぽっかりとあいて、もの寂しい感じがしていたのですが、ふとその言葉を思い出して駅前の本屋さんで衝動買い。一気に一冊読み切ってしまってもいいのですが、1話ずつ、じっくり時間をかけて読むのが好きなので、今日は1話だけ。

第1章「うまれた日の黒パン」では、7人家族待望の女の子のあかちゃんがうまれます。名前はマリカ。偶然にも私と同じ名前で驚きと少しの嬉しさを感じながら読んでいました。それはさておき。マリカがうまれたときの嬉しそうなお父さんの様子や、小さな手に合うミトンをぬうおばあさんに、木の器をこしらえるおじいさん。おとうさんと一緒に切りに行ったトウヒの木で、小さな妹のためにすてきなクリスマスツリーを作ろうと熱心な3人のお兄さん。そして、黒パンを焼くのはおかあさん。お話の舞台であるルップマイゼ共和国では、代々受け継がれている味。マリカがまだお腹にいるときからこしらえたもの。一人ひとりが自分の形で、マリカの誕生を喜ぶ。マリカを囲んでいる家族の様子を描いた挿絵からも、あたたかさが伝わってきます。

このようなあたたかな家族の在り方を見ると、心が落ち着きます。一方で、「これが絶対的な正解で、こうあるのが正しい」というわけではないことも、覚えておきたいと思うのです。世の中には多様な人々がいて、それぞれの暮らしがあり、家族の形も異なります。つまり、必ずしも家族から一身に愛を受けて育つわけではありません。私はそれを不幸だとか言うつもりもありません。ただ、自分を大切にして生きることやアイデンティティの形成において大きな影響を与えるのではないかと考えています。一人の人間として承認される場が、誰しも必要です。家族だけでなく、友人や、それこそ顔も知らない誰かの言葉に救われ支えられ、受け入れられて、なんとか踏ん張って生きていくのが人間ではないでしょうか。心が安定して初めて、自分と向き合えるようになると思っています。まだ私は若輩者で、人生経験も乏しいですが、いつかは誰かの心を支えられるような人になりたいと願うものです。


話は変わって、この章で印象的であった文を紹介させていただきます。

なんとなくですが、「平等」と「正義」の違いがわかったのです。正義というのは、それぞれの役割を果たすということなのかもしれません。

小川糸(2019)『ミ・ト・ン』,幻冬舎,「第1章 うまれた日の黒パン」,p21

これは、3人の息子がおとうさんと森に行ってトウヒの木を切りに行く場面。おとうさんが足元に落ちていたクルミを見て「このクルミを、兄弟三人でみんなが納得するように分けるには、どうしたらいい?」と問いかけます。真ん中の息子は、体の大きい年上の子から順にたくさん食べる、下の息子は全員で等しく分けると言います。答えは忘れてしまっていますが、このクイズをしたことがある長男は、下の子から順にたくさん食べて一番上の兄はがまんすると言うのです。おとうさんは、長男の頭をなでながら「がまんはしなくてもいいよ。いちばん上のお兄さんだって、ちょっとは食べたいだろ?でも、正義っていうのは、だいたいそういうことだ」と声をかけます。

「平等」はまさに下の息子が言った「全員で等しく分ける」ことです。では、「正義」とはなんでしょうか。「それぞれの役割を果たす」とはどういうことでしょうか。ここで、長男の言葉に着目します。

「いちばん下の弟に、たくさん食べさせるんだ。だってまだ小さいから。それで、まんなかの子は少しだけ。いちばん上の兄は、がまんして食べない」

小川糸(2019)『ミ・ト・ン』,幻冬舎,「第1章 うまれた日の黒パン」,p20

「食べさせる」という言葉から、長男の目線で語られている考え方であることが分かります。つまり、上の子は下の子を思いやって「がまん」するのが役割だと捉えていると推測できます。しかし、それでは上の子は常に自分の思いを押し込めて「犠牲」になるのが正しいのでしょうか。おとうさんの言葉もあるように、「がまん」する必要はありません。確かに、自分より幼い子を思いやる気持ちは大切です。ただしそれが、犠牲のもとで義務的に向けられる場合「思いやり」とは言えないかもしれません。「どうしてそうするのか」という理由を明確に持って、納得した上での行動であることが求められると考えます。そして、自分の「役割」を自分なりに理解して果たそうとする。ですから、一人ひとりがマリカの誕生を祝う形も異なっているのでしょう。それぞれが自分の根っこにある思いに従って、行動する。それがいつもできたり、正しかったりするわけではありませんが、「自分のホンネ」と向き合う気持ちは大切にしていきたいですね。


今回は、第1章「うまれた日の黒パン」の感想や考えたことを述べさせていただきました。ここまでお付き合いくださった皆様、ありがとうございます。この先、マリカがどのように成長していくのか、気になりますね。2章以降も少しずつ、読み進めていこうと思います。次回の投稿でもお会いできますこと、楽しみにしております。

今日も一日、お疲れさまでした。おやすみなさい。

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