主に男性の集団ヒステリー列伝 『與那覇 潤: 専門家を名乗る学者が起こす「専門禍」:呉座勇一氏の日文研「解職」訴訟から考える④』

眠いけど推敲した。たぶんOK。

2021/11/20

呉座氏らが加害者となったオンラインハラスメント問題はそれ自体が酷い話だが、加害側の関係者の言動によってさらに広く顰蹙を買っている。

しかもよりによってケンカを売る相手がシェイクスピア研究者とは、歴史研究者なのに絶望的に歴史の素養とセンスがない。

専門がざっくり言って同時代だし、当時から流行は世界規模で連動しているし、権力を批判的に見るシェイクスピアは史実を見る上でも貴重な切り口だ。黒澤映画で歴史に憧れ入門した大御所たちからみればまるでダメな男たちのドリームチームだろう。略してマダオチーム。


人類史上最も男尊女卑が凄まじい世代のアンドロセントリズム


Androcentrism(男性中心主義)は何の分野でも近年人気のテーマだ。philosophyでもscienceでもhistoryでもliteratureでも、お好きな分野の単語とググってみよう。読み飽きない楽しい世界が広がっている。

自分を宇宙の中心と勘違いする稚拙な錯覚とはいえ、男性の主観や感情には合うため、男社会では最近まで随分イイカゲンなまま通用してきた。

一連のオンライン嫌がらせ騒動でも與那覇潤氏などのマダオチームによって、歴史モノでいえば花の慶次※ぐらいに謎のお言葉集が引き続き発表されているため、感想を検索しても読んだ人の大半が呆れ、それだけで北村氏や嶋氏の支持を増やしている。

※ 花の慶次は「虎はなぜ強いと思う?もともと強いからよ! 」とかいう名セリフを連発する歴史マンガ。筆者はクソゲー記事でしか知らない。


もうマダオチームは学問の世界に秋波を送るのはやめて、ムーの歴史記事かヒラコーがドリフターズ描くのとか手伝ったほうがずっと世間の役に立つと思う。

なにせウソが多い。

たった数年の過去でもこの捏造なのだから、歴史研究ではさらに疑わしい。矯正して雇うのは労力が大きすぎるだろう。どう見ても。

マダオの集団ヒステリー極まれり。


今日のモットー「一、世の中で一番悲しい事は、うそをつく事です。」 『福澤心訓』


シリーズ①の時点で與那覇潤氏らには、未来永劫雪げない屈辱と歴史に残る汚名が確定していた


日本の歴史学者の大半には歴史の素養がない

との趣旨のビッグマウスで知られる與那覇潤氏。

氏の「素養」が何を指すか不明だが、 後世の歴史家の身になってみよう。

どの時代、どの社会でも人々に持ってもらいたい「歴史の素養」の筆頭といえば、自らの言動を「これも後世の史料になるかも」と重んじる習慣だ。

メソポタミア文明の頃には多分存在した素養だが、マダオチームにはない。

結論からいえば、シリーズ①の時点で與那覇潤氏らマダオチームには、未来永劫のこる汚名と歴史に残る敗北が確定していた。


How will history portray us?

歴史が自分たちをどう描くか。

呉座勇一氏にはそう考える素養があってもなお反雇い止め訴訟に至ったのかも知れない。それは労働者の権利だ。

ただ恐らく争点は適性の有無で、呉座氏にはない。

常勤となれば次世代育成を期待される。宇宙開発のJAXAでも実力で取れば女子が過半数を占める時代、歴史はなおのことだろう。

どの分野でもお偉いや中堅の半分ぐらいには優秀で意欲ある娘や孫娘がいて、内心「いい時代になった」と喜んでいるはずだ。ま、半分ぐらいは不出来で怠惰な息子や内孫のために男尊女卑を死守したいかもしれないが。

どちらにせよ、お取り巻きの実態が見えにくかった頃は上席から次世代リーダーとして期待されていただろう。

しかし実際やっていたことは、モヤシっ子促成栽培に特化した男子校出という経歴に劣等感をもつニッチなお仲間以外の「あらゆる」「弱者」属性へのハラスメント的言動と「中世にポリコレがあるかよ」レベルの全方位にザルな歴史観の流布だった。

つまり適性がない。

注 中世のポリコレ(政治的正しさ):枕草子で習う通り、中世の男性は妻や舅(妻の父)を恐れた。信長が秀吉の代わりに秀吉の妻に平身低頭謝るぐらいは普通。各国ほぼ同様で、理由は身分制と寿命の短さだろう。先日バズってたアーサー王伝説のように、中世のポリコレとは「女の自己決定権(と尊厳と相続権)」だ。身分差別が凄まじい時代では【男の】上方婚が貴重な出世ルートだったし、基本は同身分の妻や娘の政治力が命運を分けた。しかも寿命が短いから女系相続が重要。以降、女性の地位は最近まで下がり続けた。人間を人間扱いしない時代ではあるが、フロイスらの記録も、ルネサンス以降に女性の地位が下がった欧州と中世のままの日本との違いを伺わせる。


歴史学には、マダオチームが雑語りで叩いた「あらゆる」分野にみっしりと専門家がいる。一座一同、つくづく素養がないことを同業者や世間に知らしめたはずだ。

與那覇潤氏にもない。高橋雄一郎氏や辻田真佐憲氏にもない。

彼らが公共の場に見せている言動を一言でいえば、歴史によくある、大の男の集団ヒステリーだ。

彼らも男性であり、男性は幼少から社会構造と文化と女性に守られているので、傾向としてはただヒステリーを起こせば共感してもらえるし、ただキレていれば女性や目下が問題を解決してくれる。

たとえば中世に貴族が庶民よりアプリオリに知的で理性的とされたように、昔の科学では「男性は女性より知的で理性的」とされたので、現代でも男性がヒスを起こしつつ「女のヒスだ」と言い張るケースをしばしば観察できるが、まさにそれだ。

男性でも、歴史の素養があれば自分たちをそういう視点で見ることができる。

実際、今の世界では、男性の(集団)ヒステリーと女叩き・女つぶしの歴史はお子様からお年寄りまで一般向け歴史教養のテーマとして人気だ。

昔の日本では日本神話を引いて「女は太陽で男は月。女は強く男は弱い。女は自分で輝けるが男は女がいないと輝けない。太陽が強いとみんな困るから女子は万事控えろ。男尊女卑は正義」みたいな考え方があった。江戸期だと天理教なんか好例だろう。

最近の日本でも、都立高女子差別疑惑とそのついでに浮上した男子校や私立名門共学の教育方針の問題が女子を持つ男親を嘆かせているが、男子を過保護に育成し女子を潰す方針は歴史的なものなのだ。

名門校校長たちもママたち向け育児本も口をそろえる通り、人は男子であれば、物心つく前から親からも学校からも官公庁や企業からも総出で大切に

男は心が打たれ弱く繊細で体質も虚弱で、知能の発達も遅い。女はタフで発達が早く頭がいい。男子は女子といると萎縮する。男女が真っ向勝負したら女が圧勝する。早期に女子を潰せ。女は男に譲れ

と育てられる。これもただの集団ヒステリーだが、與那覇氏らマダオチームもそうやって育った。男尊女卑が正義だった時代の名残だ。

その自覚がないと集団ヒステリーも楽しいんだろうが、幼い男子でも頭が良いなら知っていて冷めた目で見そうな現実だし、そもそもマダオチームの主張は集団ヒステリーなので後世の同業者や、同時代でも集団ヒステリーの枠外の人々には全然通じない。ひたすら無様。


2030年か2040年には、日本の男のあいだでも以下のような発想はごく普通になっているだろう。

「2021年の日本ってさ、身分制の名残で男尊女卑に守られた男がはびこってて、女性依存で国を滅ぼしかけたんだろ。当時の資料を読むと数日おきに男集団がヒステリーを起こして醜悪だな。しかもどこでも社会は女性が守るもんだし、歴史的には男尊女卑なんか奴隷制度や植民地支配と並び称される搾取だろうに「男尊女卑が女を守ってる」「男が女を守ってる」だの「女は守られてて生意気」という集団幻覚をみてたらしい。特権階級らしい勘違いだな。うわあ歴史家にも法曹にもいたのか。男社会だと集団ヒステリー的な女性蔑視だけが必須で、エビデンスも議論も実力も不要だもんな。どうせ社会問題を女性に尻拭いさせてたんだし……あ?これ若い頃のうちのオヤジ?どれだけゲタはいてたんだ情けねー」

とね。実際先進地域の知識階級はほぼ完全にそうなってますし。

お互い、次世代に胸を張れる生き方をしたいもんです。


歴史学と裁判はもともと仲良し


さて小学生でも知る人は知っていることだが、近代歴史学は近代的な裁判の証拠調べなどを参考として発達した。

裁判では多くの情報を集めて検討することによって、過去の出来事をだいたい再現できる。

歴史も基本的に同じ手法によって、遠い過去の出来事を再現しようとする。

史料批判は歴史学に限らずさまざまな分野で重宝され、世界には史料批判の専攻もある。

たとえば筆者はこういう自分の言動について、方丈記程度の伝聞や、推理モノに出てくる近隣住民ぐらいの資料価値を目指している。

あの人たち何年もイジメに依存してたね。一方的なバッシングで盛り上がってから、相手に気づかれ大人に叱られると嘘をつくパターン。彼らは頭が悪いから嘘がすぐバレるんだけど、嘘の弾数が多い。みんな実際のとこは知ってたけど厄介でしたよ」と、曖昧な証言をするようなやつ。

上記のような人には裏付けを提示する義理はない。証言だけでもプロには有益だから言う。手持ちの証拠がなかろうがなんとも思わない。歴史はいずれ真実を証明するし、収集も検証もプロのすべき仕事だからだ。

そしてプロが、裁判のように多くの資料を集めた状況下でマダオチームの言動を収集したり與那覇氏の記事を検討したなら、ほぼ誰ひとり良い印象は持つまい。筆者の言葉よりずっと印象が悪い。それぐらい粗悪だ。

くどいようだが単独で読んでも詭弁というより『花の慶次』迷セリフ集くらいの屁理屈の連続で、あんなものを添削する義理は誰にも無かろう。

なにより現実の呉座勇一氏や與那覇潤氏一派が、物陰に集まって一方的に北村氏その他「あらゆる」他者への悪口に興じていた頃から暴露までの数年ものあいだ多くの第三者が目撃し、記録も残っている。

現在でもたとえば辻田真佐憲氏や高橋雄一郎氏とのヒステリックな言動は更新されているわけだし。

それら全てが歴史家の史料になるし、場合によっては裁判の資料にもなる。

その点、資料/史料としての北村紗衣氏や嶋理人氏の文章はずば抜けている。なんの利害もない子どもが読んでも、大半は軍配を北村氏や嶋氏に上げるだろうし、ああいう大人になりたいと考えるだろう。

與那覇潤氏や呉座勇一氏の記事や、辻田真佐憲氏や高橋雄一郎氏のツイートを中高生に読ませても、いい教育になりそうである。

女子なら、いや男子も、ああいう甘やかされたバカが女性蔑視に守られてはびこる日本に絶望して海外に行くかもしれないがそれも善だろう。


ちなみに筆者が與那覇潤氏の記事を読んだかどーかですが、①時点でうんこだったので①以降読んでない(笑) 

よく「本は少し読んだ時点で価値を決めていい。人生は短いし、冒頭の時点で明らかに論旨が矛盾するようなおかしい本よりも読むべき本はある」とかいうでしょう。筆者もその主義です。

その意味でも北村氏や嶋氏は付き合わされて大変だと思う。

参考

與那覇 潤: 専門家を名乗る学者が起こす「専門禍」:呉座勇一氏の日文研「解職」訴訟から考える④

http://agora-web.jp/archives/2053894.html

「前回(連載その③)では歴史学者の嶋理人氏に対し、彼が11月8日に発表した記事を削除する猶予を与えたつもりであった。」

「猶予を与えた」

「猶予を」「与えた」。

これは大草原不可避 (2021年に死語となりつつある歴史的言葉遣いの記録)。

Androcentrismの終焉とアンチフェミニズムの捏造依存について


男尊女卑と男性中心主義的世界観は、古代から21世紀手前まで天地自然の理とされた。

20世紀後半もほぼ古代そのまま「男尊女卑はいずれ科学で証明されるはずの真実」とされ、法による男女同権を運用で空文化する根拠ともなった。

20世紀末に、それらは実際には法から生物学から医学までに及んだ天動説的な迷信だと確定した。単に昔の男たちが自分中心に世界を説明しただけのことだったのだ。

まあ、古代のエジプトや北アフリカの文明のように、完全に男尊女卑の逆で「夫は妻に絶対服従」ぐらいのほうが女系のおかげで社会が長期安定しそうだし、中世のように身分ガチガチでも各階級の男女が対等に近くて双方に収入があれば主君を気軽に替えられるし、今のサラリーマンも妻が対等だと自由に生きやすい。

男女同権がもたらす自由、つまり男性も女性も一方的な支配から逃げやすくなる状態は一般には善だが、身分制には望ましくない。

注 アンチフェミ諸氏の大好きなニセ科学の典型「弱肉強食」をヒトに適用すれば無産階級が常に代々最強ですが、彼らの要求は「男性であるだけで与えられる保護と甘やかしと共感と特権」だから、男女同権も実力主義も大嫌いなんですよね。

男尊女卑の利点はおそらく人々が消耗する点、短期的になら身分制度による支配が安定する点、人が逃げにくい点、イエの断然が女系社会や男女同権社会よりも起きやすい点だ。

具体的には、男尊女卑であれば女系相続にケチをつけて他国や他家の乗っ取りを狙ったり(例: ローマ→カルタゴ)、はては遠い遠い遠戚やほぼ他人の人がどこかの良家の末裔を名乗ったり乗っ取ったりと、男子のDAISUKIな乱世になりやすい。

ともあれ男尊女卑の思想が近代に継がれ、今の政治経済の基礎となっているし、20世紀末までの世界では「男女平等は理想論だが、男尊女卑はいずれ科学で証明されるはずの真実であり、女性から権利と自由を奪って男性の管理下に置く運用は女性を守るための必要悪である」とされた。森元首相とかはそういう古代の人だ。

しかし実際の科学の進歩は、「男が優れ女が劣る」仮説を根本から否定するものだった。20世紀末におきたandrocentrismの転覆は、医学や生物学のみならず、数千年後にも天動説から地動説への転回に匹敵する歴史的出来事として語り継がれるだろう。

ちなみに日本ではその間、極右がジェンダーフリー叩きの集団ヒステリーをおこしていた。

前にも書いたが、科学と歴史を愛する諸兄諸姉は、androcentrism にscience でもphilosophyでもお好きな専攻をくっつけてググるとよい。面白いものが読める。繰り返すが今は男でもこっちが普通。


つまるところ現代社会の問題はあらかた、出生時に女性と診断された人(以下女性)を劣等とし、出生時に男性として診断された人(以下男性)を高等とし、男性の心理的安定もライフイベントも産業も娯楽も女性蔑視に依存する(させられる)文化と慣習による

たとえばトランスライツ運動の問題点もこれ。「男の生きづらさ」もこれ。「女性の幸福度の高さ」もこれ。少子高齢化もこれ。日本の科学技術が今現在遅れつつある理由もこれ。簡単な理由、女性蔑視依存だ。

そんなこんなで誰でもアンチフェミニズムは捏造に依存している。

アンチフェミニズムに親しむと堅気の職業適性は失せていく。詐欺師の適性はあがるだろうし、老い先短く不勉強な爺さんと一部婆への媚は売れるだろうけれど、次世代以降からは未来永劫完全にバカ扱いだ。


ちなみに呉座勇一氏や與那覇潤氏はフェミニズムに自称肯定的らしくどうやら「女性がもっと責任を負うのが真のフェミニズム」とか言う一派らしいが、

無論そんなものは彼らの思い上がりで、歴史上よくある「身分制では上が下を守っている」「奴隷制が奴隷を守っている」「植民地支配が植民地を守っている」だのと同様、ただのファンタジーだ。

個別具体的な心がけはともかく、一般的には身分差別なので逆。上は責任を負わずに下が責任を背負うし、上は守られる側で下が守る側だ。


世界的にアンチフェミニズムが滅びつつあるのはめでたいことだが、ともあれ、アンチフェミニズムは徹底的に滅びなければならないと改めて考える次第である。