谷川俊太郎 絵本★百貨展
おならの威力
はじめての歯の生える前だろうか、わが子は自分のおならの音におどろいていた。どうやら音の出どころが分からなかったらしい。
自分が出したと気がついたのかおならと認識したのか、はたまた音そのものになのか、ひと呼吸おいた後で子どもはケラケラ笑っていた。
入り口にけんけんぱ
展示場に入ってしばらく経ってから気がついた、けんけんぱ。
平日だったからか私をふくめ大人が3人ほどいたが、あの場でぴょんぴょんするのは気が引けてしまった。
会場は谷川俊太郎自らの朗読や映像がながれていて、絵の展示のように見るひとの靴音しか響かないような静けさではなかったけれど。
こっそり跳んでみてもよかったかな。
『オサム』
谷川俊太郎のことば通り、どの頁を捲ってもオサムはたおやかで凪いだ水面のような佇まいをしている。口元で音が落ちる“ム”で終わる名前も、彼の人となり(ゴリラとなり?)がそのまま文字に移ったよう。
子どもといっしょに読みたいと思って、家に帰ってすぐ図書館に予約をした。
動物園でゴリラを最後に見たのはいつだっただろう。絵でも写真でもゴリラの眼差しに出合うとどこかホッとするのはなぜなのか。
書斎がほしい
ここ二年ほど自分の書斎がほしくてたまらない。時々、自分専用のアパートをかりる妄想をする。
壁一面の本棚に読みたい本やそばにおいておきたい本を好きなだけ並べ、天井にとどくくらいのガラス窓のわきにどっしりとした木の机をおく。
本棚には写真もキャンドルもカメラも置かれていて、これまでもこれからも大切にしたいものだけが並んでいる。そこから木の葉のこすれる音をながめたり、頁を捲ったりペンを転がしたりカードを切るのだ。
本棚は自分の入り口
谷川俊太郎の本だけが並ぶ本棚の前で、自分が欲しいのは一日中本を出したり仕舞ったりして過ごすなんの予定もない一日なのだと気づく。
本棚のまえに立つことは、自分のなかをそのまんま覗くことなのだと思う。
自分と向き合い、自分の中に並ぶものをひとつひとつ手にとって吟味する。もういいや、と手放すものもあればもとの場所に戻すものもある。玄関やもっと目に留まるところに移すかもしれない。必要としているひとがいれば譲ることもあるだろう。
好きな言葉はなんですか?
谷川俊太郎さんの一番好きな言葉は『すき』らしい。
好きな言葉を尋ねることも尋ねられることもなくなってしまった。
そう気づいたときの心許無さというか、さびしい感じはどこからくるのだろう。
「すき」という響きそのものが温かい。熱湯でもぬるま湯でもなく身体が芯から温まるような、“ぽかぽか”という表現がしっくりくる。
“すき”と言われると自分がとても良いものになったような気がする。
『ぼく』はどこへ
上に載せた本棚の写真にもあった『ぼく』は、友人に教わった。
表紙以外で“ぼく”の表情はどこにもないのにわたしの身体の至るところに見つかって、しばらく頭のなかがぐしゃぐしゃになった。
宇宙に産み落とされ、“ぼく”の心のなかも宇宙のように果てがない。
標識も目印もないだだっ広い場所で“ぼく”はたんに迷ったのではない。気の迷いでもきっとない。
麦茶やおにぎりの味を抱えたまま、“ぼく”はどこへ向かったのか。
「なぜ」という問いには意味がないというが、問いつづけることには意味があるのではないかと思っている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?