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人材キャリア支援の道で。なぜ困った人に手を差し伸べたいのか

「ひとり一人の生き方にスポットライトが当たり、"伝えたいけど、言えない" という思いをしないように、手を差し伸べられる人でいたい。」

自身の在りたい姿をそのように語る、前田 椋馬さんが今回の主役。

キャリア支援の道を志す中で、対人支援の理想像をどのように思い描いているのか。どのように過去を紐解き、今の信念を築くことができるようになったのか。

彼の生き方を取材しました。

1.目の前の人に向き合う仕事

-----現在の仕事は?

大手の人材会社にて、転職支援のキャリアアドバイザーの仕事をしています。転職活動を機に、たまたま僕と出逢うことで「あ、自分ってこんなとこあったんだ」と、気付きを提供できるような瞬間をたくさん作りたいです。

転職活動は、「自分に改めて立ち返る」きっかけになると思うので、後で振り返ったときに、「あの時、しっかり考えてよかったな」と思ってもらえるように、一人ひとりの人生にしっかり向き合っていきたいです。


-----仕事での葛藤は?

営業数字の目標に追われることですね。多忙な中で色々な業務をこなしているのですが、ふと候補者への連絡が雑になってしまうと、「ああ、なにやっているんだろう」という無力感に陥ります。

今の時代、自分がいなくたって自力で就職を実現することはできると思います。自分が介在しても、「その人の人生に関わることができていないな」と思う瞬間がたくさんある。実力不足を日々痛感しながらも、「目の前の人の人生に何か気付きを提供できるような仕事」ができるように努力しています。

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前田 椋馬(まえだ りょうま)
「転職アドバイザー×ライフコーチ×ソロキャンパー(修行中)」
兵庫県出身。
神戸大学卒業後、大手人材会社に新卒入社。
1年目は社内の新規事業部署で求人開拓とキャリアアドバイザー業に従事。
部署の解体後はキャリアアドバイザー専任で全業界を横断で転職支援を行う。
社外では「国家資格キャリアコンサルタント」の資格取得を目指して勉強をしながら、OB訪問アプリでの就活支援、遠隔でのコーチング、所属するコミュ二ティでの1on1でのコミュニケーションを強みに活動中。


2.仲間と「気付き」

------価値観の形成に影響を与えた経験は?

2つ印象的なエピソードがあります。1つ目は、小学校6年生での駅伝大会のこと。

駅伝大会って、足に自信がある人が出場する有志のイベントだと思うんですけれど。当時担任だった先生が突然、「これみんなでやらへん?」とクラスみんなで出場することを提案したんですよね

最初、クラスのみんなはポカーン...??としたリアクションだったんですけど、先生が熱心に発信を続けて、結果的にクラスみんなが出場することになったんです。初めはどうなることかと思っていたのですが、終了してみると

「先生が参加しよう!って言ってくれて走れてよかったです!」「足の遅い自分が、ここまでできるなんて思いませんでした!」

という声で溢れたんです。先生は常に、「はやく走らなくていいから、全力で走ろう!一生懸命できればいいよ!」という言葉をかけ続けていました。生徒ひとり一人の心に火をつけるために、そしてクラスを一つにするために、発信し続けた先生が本当にかっこよかった。振り返っても、今もなお憧れの存在として心の支えになっています。

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2つ目は、大学のオープンキャンパスや新歓を企画・運営をしたりする、大学の自治組織のような「ベルカン」という学生団体に所属していた話です。ここで「時間を忘れてのめり込んだ経験」が、自分に大きな影響を与えてくれました。

七夕祭という夏の最大規模のイベントでは、運営メンバーだけで100~120人体制で実行に移します。大学内の枠組みを超えて、神戸・六甲の町に貢献すること。地域の人たちの恒例行事となり、毎年子どもたちが楽しみに遊びに来てくれること。それが大きなやりがいでした。

地域に素敵な価値を提供している、その組織に所属していることに誇りを持てることも僕にとって大事だった。先輩方のおかげで、たくさんのことを学ばせてもらったので、「たくさんの気づきのきっかけをみんなに与えたい」という想いが原動力でした。
「語る行為」をとにかく大事にし、積極的にチームメンバーとの振り返りや1on1を行い、「なんのためにこのイベントするんだっけ?」という本質と常に向き合いました。

どれだけ時間を割いたところで決して給料は支払われないのに、時間を忘れるくらい楽しみながらこの組織に没頭し、目の前のメンバーの「新たな気付き」のためにコミットし続けることができたこの環境の世界観は本当に素敵でした。
卒業のタイミングでメンバーからたくさんの感謝を貰えた時、「この組織で頑張れてよかったな、メンバーの前進に貢献できてよかった」と誇りを持つことができた。

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3.身近に相談できる人がいる価値

-----“チーム・組織” に思い入れを持っている理由は?

兄の影響が大きいですね。就職活動をしていたあるタイミングで、「誰に、どんな価値を提供したいの?」と聞かれて。“誰” でイメージしたのが、3歳年上の兄だったんですよね。

昔から、兄は僕よりも勉強ができて、両親からや親族からもチヤホヤされて育ちました。一方で僕は、親に迷惑があまりかからずに好き勝手遊びながら育ったので、親から構ってもらえる兄を疎ましく思った時期もあった。僕自身、親にあまり弱みを見せられずに、「相手されていない」という寂しさがコンプレックスでした。

親族から期待されていたものの、結局兄は大学受験が上手く行かず。自分の目線から見た兄は目先の快楽に走り、オンラインゲームとテニサーに明け暮れる大学生活。就職活動も、思うようなところに就職できなかった。周りの目を気にするあまり、自分が努力していないことを棚にあげ、自分らしさを持っていない兄を内心バカにしていた時期もありました。

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自分が就職活動をしていたある時、生まれて始めて兄弟2人で本音の話をする時間がありました。話を聞いてみると、今まで困ったときに両親に相談することができなかったんだと。病気を持って生まれたせいか、心配されながら大切に育てられ、気付けば学習塾に通って、進学校に通うことを期待されている。

自己肯定感が満たされる経験がなかったんやなぁ」と、僕は初めて兄の状況に気付きました。弱みを打ち明けることができて、相談できる存在がいること自体が価値なんだなと。身近に困っている人がいたら寄り添うことができる自分でいたいなと思ったし、兄のように「自分らしく生きることができずに苦しんでいる」人の力になりたいなと思っています。

原体験から、「身近な人のために」「自分らしく生きる手助けがしたい」という思いが育まれたかな。

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4.母が遺してくれたもの

-----在り方に、強い信念を持てるようになったのは?

ひとり一人の生き方にスポットライトが当たり、「伝えたいけど、言えない」という思いをしないように、手を差し伸べられる人でいたい。そう思えるようになったのは、やっぱり母の存在のおかげかな。

僕が大学1年生の時、母にガンができたことが発覚しました。薬を飲みながらしんどそうに治療していましたが、1~2年してよくなりました。家族にさえも弱みを見せない母は元気そうにしていたので、治ったんだ....と安心したのを覚えています。

一生帰ってこないつもりで頑張って来なさい。」と最後に母から東京へ送り出されて間もない頃、母が入院することになったと連絡を受けました。最後に薬を飲んでから、3~4年ぶりのことだった。そしてある仕事終わりの日、父から電話がありました。「もう母さんは長くないかもしれん」

母の姿を直接見に、大阪に帰りました。痩せ細っているものの、「ぜんぜんなおるなおる!」と強がる母。「本当に治るんじゃないか?」と期待してしまうくらい。悲しみに暮れました。これまでの家族での思い出、残される父を案ずる気持ち、「俺の息子、母さんに見せるつもりだったのになぁ...」と嘆いても仕方ない思いが何度も巡りました。

たまたま、僕ひとりで母を看病する時間がありました。「元気になってよ.....。父さんどうなんの、俺ら残して死なんといてよ.....」と、多分生まれて初めて母に泣き言を漏らしました。そしたら母は、ガキの頃以来かな。僕の頭をポンポンとしながら、言いました。

「私のために、泣いてくれるんだね」

これが母と交わした、最後の言葉でした。祖母にガンであることを亡くなる1日前まで打ち明けることができず、大親友にさえも最後まで自分が病気であることを言えず、母は旅立ちました。

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自分ひとりの命ちゃうやろ、もっと伝えなあかんことあったやろ、もっと聞きたかったことあったのに.....と、様々な思いが巡りました。と同時に、母はずっと寂しかったんだろうな、と思います。きっと、自分が苦しんでいることを、誰かに打ち明けたくて、聞いてほしくて、でもできないまま旅立ったんだろうな...と。

話したいことがあるけど、言えない。そんなモヤモヤした気持ちに、手を差し伸べられるような人になることは、天命なのかもしれないと思えるようになりました。このタイミングで、母が亡くなったことが何かのメッセージであると信じて。

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5.これから

-----今後の展望は?

人のバックグラウンドやストーリーが、共有されるようなコミュニケーションを生み出せるようになること。そして、自分以外の場所でも当たり前のように発生している状態を作れるようになりたいです。

転職支援を続けても、社会って変わるんかな?何か前進するのかな?という違和感を持ち続けています。入社の支援は大事だけど、結局入ってからの方が大事だと思うので。

ただ、自分らしさや強みにずっと自信を持てない中で、母が亡くなるという大きな出来事があり。改めて自分が大切にし続けたいことは、1on1のような対人での会話だなと思い、今のキャリアアドバイザーの仕事に就いたので、何か成し遂げるところまでは頑張るつもりです。

「私の人生もわるくないな」と思ってもらえるような人が増えたらいいなと願っているし、困った人がいたら手を差し伸べて、 “ステキな出逢いをつくること” に力を注ぎ続けることができる人になりたいですね。

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話し手:前田 椋馬さん

対話 / 執筆:はやし。

《共育者 / 心の対話をする人 / 物書き》
『生き辛さが癒え、心から生きたい幸せを選択できる人で溢れる世界に』を志に、本職は(株)LITALICOにて子どもと家族の双方を支援する教育事業に携わる傍ら、「心に寄り添う」をベースとした対話、インタビュー / 執筆活動等も行っている。

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#lifestory
『取材での対話と発信を通じて "その人の生き方" に光を灯すインタビュー記事』
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