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引っ込み思案の20代女子がタイの〈地獄寺研究家〉になった理由

みなさんは、大好きなものに出会って人生が変わった経験はありますか?

東京都出身の椋橋彩香さんは、タイの地獄寺と出会ったことをきっかけに、性格や進路、着る服まで大きく変化したといいます。大好きなタイの地獄寺にハマり続けるうちに、「地獄寺研究家」という肩書きを得るまでにいたった椋橋さん。

好きを追求するプロである椋橋さんに、好きを見つける方法や好きを追求する豊かさ、好きが仕事になった経緯について伺いました。

大好きな「地獄寺」との出会い


ーー「タイの地獄寺研究家」としての活動内容を教えていただけますでしょうか。

2022年の3月までは、早稲田大学の博士課程でタイの地獄寺に関する研究を行っていました。年に数回タイへ渡航し、各地の地獄寺を調査して、帰国後に論文を書いて発表するというのがメインの活動です。

ただ、ここ2年ほどは新型コロナウイルスの感染拡大の影響でタイへ行くことができず、現地での研究はできていません。今はサブカル系メディアで記事を執筆したり、トークイベントへ登壇をしたりして、一般の方へタイの地獄寺に関する認知度を高める活動をメインに行っています。

ーーそもそも、タイの地獄寺というのはどのようなものでしょうか。

立体像を用いて地獄空間を表現しているタイのお寺のことです。

地獄を表現しているので、棘の木に登らされる血だらけの死者や、熱々の釜で茹でられ苦しむ死者など、リアルで生々しい立体像が無数にあります。日本人からすると、「お寺にこんなグロテスクなものがあっていいの?」とカオスに感じる空間かもしれません。

しかし、国民の9割が仏教徒のタイでは、地獄空間があるお寺は決して珍しいものではありません。タイ人にとっての地獄寺は、「悪いことをすると、地獄に落ちてこんなひどい目に遭う」ということを分かりやすく教えてくれる教育の場所なんです。

ーー地獄寺に興味を持ったきっかけはなんだったんでしょうか?

昔からグロテスクなものやダークなものが好きだったんです。

小学生のとき、ミイラのかわいさに虜になって、ずっとミイラの本を読んでいました。中学生になってビジュアル系バンドにハマって、ダークテイストなものを好きになり、服も黒っぽいものばかり着るようになったんです。

その後高校生になり、今度はタイ料理にハマったのですが、そこからタイのポップカルチャーに興味を持つようになって。タイのことを調べているうちに、タイに地獄寺というグロテスクなビジュアルのお寺があるという情報を得ました。

地獄寺には、餓鬼という皮と骨だけのミイラのようなビジュアルをした死者の像があります。それがすごくかわいくて、大好きだと思って。

「ここにはいつか絶対に行きたい!」と思ったのが最初のきっかけです。

地獄寺の餓鬼。極端に痩せ細って骨が浮き出た外見が特徴。

ーー初めて地獄寺を訪れたのは20歳のときですよね。その時はどんな印象でしたか?

そもそも地獄寺までの道のりが過酷で、辿り着けた時の感動が一番印象に残っていますね。

ワット・ムアンというバンコクから車で2時間ほどのところにあるお寺に向かったのですが、田舎だったので交通機関もほとんどなく。タイ語も分からない中で、どうにかバイクタクシーのおじさんに目的地を伝えて連れていってもらいました。

ただ、バイクに乗るのはその時が初めてで、タクシーのおじちゃんの言葉も分からないので、道中は本当に目的地に到着できるか不安でたまらなくて......。

お寺に到着したときには「無事につけた」という安心感と「地獄寺は本当にあったんだ」という感動で涙が出ました(笑)。

「地獄寺研究家」の肩書きを得るまで


ーータイの地獄寺の研究は、大学時代から始められたのですか?

大学の卒業論文のテーマを決める際、大学時代に一番印象に残ったことを研究したいと思って地獄寺をテーマにしました。

初めて地獄寺を訪れてから、すっかり地獄寺にハマって、長期休暇のたびにタイの地獄寺を訪れるようになっていたんです。日本ではタイ語を勉強しながら、タイ料理屋さんでバイトを始めました。

バイト先のタイ人に地獄寺のことを教えて欲しいと言うと、「なんでそんなとこ行くの?」と驚かれていたんですよね。それくらいタイ人にとって地獄寺は日常に溶け込んだ存在で。

地獄寺に対する日本人との感覚の違いが面白く、そこをテーマに研究しようと思いました。ただ、いざ調べ始めるとほとんど先行文献がなくて、論文を書くには情報が足りなかったんです。

やむを得ず卒業論文では日本の地獄の立体表現について執筆したのですが、やはりタイの地獄寺をもっと知りたいし、調べたいという気持ちがずっと残っていて。そのまま修士に進んで、地獄寺の研究を続けることにしました。

地獄寺で現地の人に話を伺う椋橋さん

ーー修士の後は博士まで進まれていますよね。本格的に「地獄寺研究家」としてやっていこうと思ったきっかけはなにかあったんでしょうか。

地獄寺の研究を応援してくれる人に出会えたことが大きいです。

修士課程で地獄寺の研究を進めているうちに、「珍スポット」や「B級スポット」といったサブカルチャー界隈の方から、トークイベントへの登壇を依頼されるようになりました。

学問の場以外で地獄寺に興味がある人と交流する中で、徐々に私の研究を応援してくれる人も増えてきて。研究は積み重ねなので、すぐに成果はでないんですよね。コツコツと研究を進めていく中で、自分の研究意義を見失ってしまうこともあります。

でも、学問とは別の世界で地獄寺の発信をすると、地獄寺に興味を持ってくれた人からダイレクトに反響を得られることがあって。自分の研究は世間から需要があるんだと気がつくきっかけになりました。

応援してくれる人の声を聞いて、地獄寺研究家として頑張っていこうという意識が芽生えましたね。

地獄寺のトークイベントでの様子
会場の店名「ボクモ」(名古屋市)

共演者 鷹巣純(地獄絵研究/愛知教育大学教授)、大竹敏之(フリーライター)

地獄寺との出会いが人生をカラフルに


ーータイの地獄寺を好きになって、椋橋さんの人生にどんな影響はありましたか?

タイを訪れるようになって、性格が明るくなりました。

タイに関わるまでは、他人にどう思われているのか気にしすぎるタイプで、人前で喋ることはおろか、人とコミュニケーションをとること自体苦手だったんです。洋服もカラフルなものは自分に似つかわしくないと、黒っぽい服しか着られませんでした。

でもタイにいったら、自分とは真逆な心がオープンな人ばかりで。知り合ったばかりなのにドンドンこっちのテリトリーに入ってくるんです。でも、それが心地よくて(笑)。

タイ人と関わるようになって、周りの目を気にしなくても良いんだと思えるようになりました。それからは、人とコミュニケーションをとることも楽になりましたし、カラフルな洋服もたくさん着るようになったんです。

タイに滞在中、現地の人とコミュニケーションを取る椋橋さん

ーータイの異文化に触れて、椋橋さんの固定観念が取り払われたということなんですね。

そうですね。タイで地獄寺を研究していくうちに、「当たり前」を疑うという感覚が身につきました。

タイで調査を進める中で、日本では考えられないような文化の違いに何度も遭遇したんです。地獄寺ひとつをとっても、お寺という公の場所にグロテスクな展示があるというのは日本では考えられないですよね。

最初はそうした文化の違いにいちいち驚いていたのですが、徐々に自分の価値観は日本で生きる中で形成されたもので、タイでは通用しないということに気がついたんです。

そこからは、自分の「当たり前」を超えるものに出会っても、まずは受け入れるというマインドを持つことにしました。自分の「当たり前」と異なるものに出会うと、人はネガティブな気持ちを持ってしまったり、拒否してしまったりすることがあると思います。

でも、まずは一旦受け入れるという意識を持つようにしてからは、あらゆることに寛容になれて生きやすくなったかもしれません。

まずはなんでも好きになってみる


ーー研究の道にずっと身を置かれているということは、昔から勉強が好きだったんでしょうか?

勉強は全く好きではありませんでした(笑)。でも、昔からすごくハマり症ではありましたね。常に何かしらのマイブームがあって、それを突き詰めています。

ーーどんなマイブームですか?

最近は、素朴なパンブームがありました。素朴なパンというのは、中にクリームが入っていたり、味がついていたりしないプレーンなパンのことです。

たまたま素朴なパンを食べた時にビビッと来て。そこから毎日のようにスーパーやコンビニ、パン屋さんに並んでいる素朴なパンを片っ端から買って、食べるのを数ヶ月間続けていました。

何かにハマると、その世界の概要を知りたいという気持ちになるんです。

素朴なパンでいうと、買って食べるだけでなく、素朴なパンの中でも甘めとか、固めとか特徴ごとに分類分けして、自分の中で素朴なパンを体系化します。ある程度体系化できてくると、最終的に「自分で素朴なパンを生み出さなきゃ!」と言う気持ちになって。自分でも実際に素朴なパンを作ってみるんです。

ーー最後は自分で生み出すんですね!

だいたい作るところまで来ると、自分の中で一通り理解できたなと思って、ブームが終了します。これまでも、パン以外にプリンやシール、交通安全グッズなどにハマっていました。

小学生の時から収集しているシール

ーー椋橋さんが研究者になった理由が分かった気がします(笑)。椋橋さんは好きなものを見つけるのも突き詰めるのもプロだと思うのですが、「好き」を見つけるコツはあるのでしょうか?

好きなものを見つけようとするより、まずなんでも好きになってみるというのが大事かなと思います。

博物館で学芸員として働いているときに、展覧会を企画する仕事がありました。展覧会のテーマは毎年違うので、その年のテーマに関する資料を調べて、図録を制作して、その解説を書くというのが私の仕事内容でした。

ある年の展示会のテーマが、篆刻(てんこく)だったんですね。篆刻って現代でいうところのハンコのことなんですが、担当することになった時はハンコのことを知らなさすぎて重荷に感じていたんです。

そこで、まずハンコを好きになろうと決めました。好きなものに関してなら、仕事も苦じゃないですし、+αの成果が残せるんじゃないかなと思って。

好きになるためには、とにかく対象のことをよく考えることが大切だと思っています。「ハンコのこういうところがかわいいなあ」とか、「ハンコの歴史ってこんなのがあるんだ」とか、まずはハンコのことを考えて徐々に好きになっていきました。

ーー興味のなかったものを好きになるのって難しくないですか?

「好きになろう!」と最初から無理に思う必要はなくて。ただ、嫌いにならないことが一番大切だと思います。

誰しもが、知らない世界のものに対しては、フラットな状態なはずです。けど、よく分からないからという理由で苦手意識を持ってしまうことってありますよね。

最初に苦手と思ってしまうと、そこに興味を持つのも苦痛になってしまいます。なので最初はフラットでいる気持ちを大切にして、そこから徐々に興味を持って、調べるようにしています。知っていくと、愛着が出てくるんですよね。

私もハンコに対しては最初なにも思っていませんでしたが、知るにつれてどんどん親近感が湧いてきて。親近感を持つと、今度は好きになっていくんです。

ハンコってどんどん電子化されたりして使われてなくなってきていますが、そういうのも寂しいなと思うようになって。いつの間にかハンコを布教する側にまわっていました(笑)。

好きを追求することの難しさと希望


ーー今後も地獄寺の研究は続けていくのでしょうか。

続けます。ただ、今はいったん研究を離れて、研究の資金調達に専念しようと考えています。

研究で食べていくには、助成金をもらう必要があるんです。でも、助成金対象としては社会的に分かりやすい意義のある分野が優先されるので、地獄寺のような文系のマイナー研究が助成金をもらうハードルはとても高いんですよね。

私自身、学芸員など他の仕事と両立してやって来ましたが、それだけだと研究に十分な資金を調達することが難しくて。地獄寺の研究はこれからも続けていきたいという思いが一番にあるので、まずは資金調達のために一度就職して、状況が整ったらまた研究に戻ってくることに決めました。

研究から一時的に離れても、記事の執筆やトークイベントへの登壇は行う予定です。タイや地獄寺との繋がりを保ちつつ、研究に戻る準備を進められたらと考えています。

ーー地獄寺の研究を再開したのちの展望はありますか?

タイに住んで地獄寺の研究をしたいです。そして最終的には、タイ語や英語で本を出すことが目標です。

研究を進める中で、タイの地獄寺を学術的に権威付けたいという使命感が生まれました。

タイでは地獄寺への注目度が低いため、お寺に資金が集まらず、どんどん建造物が壊れて廃れてしまっています。芸術的にも、文化的にも素晴らしいものなのに、それはすごく勿体無いという思いがあって。

タイ人に地獄寺の重要性を示すためにも、タイ語や英語で研究成果を発表するというのが私の最終目的なんです。私なりのやり方で、自分の人生を変えてくれたタイや地獄寺に恩返しができたらと思っています。

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ライター 櫻井眞帆(まぺぽ)


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