見出し画像

私は夢に追いかけられていた

神様はいじわるだ。


テレビで活躍する芸能人を見て

「いいなあ。夢を叶えられて」

と私達は羨ましがるが、

当の本人は「プロ野球選手になるのが夢だった」

なんて語る。


家族や友人が勝手に履歴書を送っただとか、

スカウトされたから暇つぶし感覚にだとか、

きっかけは様々。


女優になりたい!モデルになりたい!タレントになりたい!と渇望してやまず、

それでも夢破れていく人はごまんといるのに、

たった一握りのそれを叶えた人達は

「なるつもりはなかった」と。


叶えたい人が叶えられない夢を、

それを夢とも思わない人が叶えている。

なんと皮肉な事でしょう。


夢を叶えられなかった人達から見て

そういう人は憧れの存在かもしれないし、

はたまた妬ましい存在かもしれない。


多かれ少なかれ、

叶えられなかった夢を

誰かが叶えていることを

「羨ましい」と思うだろう。


けれど、その逆だってあり得るじゃないか。


私が例え役者として成功しなくても、

それは一概に失敗や負けというわけではない。


もしかすると、

誰かにとっては私の生き方が

羨ましく見えているかもしれない。



周りの皆が興味や目標や夢を

どんどん変化させていく中で、

たった一つのものだけを目指して

21年も生きていた。


「役者になる」のが人生のゴールなのだとすれば、

私はもうゴールしてしまったと思っている。


いやいやどこが?

売れてないやん!成功してないやん!

って言われるかもしれないね。


確かに、

テレビに出て有名になることや

役者一本で食べられる事が "成功" ならば、

私なんかは駆け出してもいないだろう。


舞台に出ている期間は

 "当然" テレビに出るための下積みだ

と思われがちで、

その前提で大人から話をされるのは

何とも悔しい。(舞台人に失礼!)


「あの作品に出たい」「この賞を獲りたい」

だとかの具体的な目標があれば

 "成功" が明確に存在するが、

「役者になる」というのは

随分と曖昧な表現だ。


自分を役者だと思った瞬間から

誰もが立派な役者であるに違いない。


これは芸術家全般に言えること。


芸術家に "なる" 為には、

経験の有無も芝居のテクニックも関係ない。

(実際に芸術を "する" にあたっては必要だが)


言ってごらんよ。

役者とか画家とかミュージシャンなんかの前に

「私は」をつけて。

ほら、叶った。


だから「役者目指してます!」とか

「女優さんを目指してるんだね。」

なんてセリフが私は苦手だ。


目指すものではないよ、

なっちゃうもんなんだよ、って。


役者を目指している人は

目指している人のまま

一生を終えるんだろうなって。


私は役者に "なった" 上で、

役者を仕事にするのは私のやりたい事ではない

と結論づけたのである。


(なっただけでなく、

曲がりなりにも役者として舞台に立ち、

それに対してお金もいただいた上で。)


それなのに周りの人達は、

私に向かって「もったいない」

だなんて言う。


あたかも私が夢を諦めたかのように。


一つの夢を追い続けるって

そんなに偉いのだろうか。


皆から「すごいすごい」と

褒められるのが不思議だった。


私にとってはただ、

その瞬間の「やりたい!」が

たまたま21年間変わらず

役者だったというだけなのに。


そして

 "今この瞬間" の気持ちが

役者以外に向いた途端に

口を揃えて「もったいないよ」。


ほっといてくれよ、と思う。

そういう自分はどうなんだよ、と思う。

一つの夢だけを追いかけ叶えたのかよ、って。


結局ないものねだりじゃないかな。


私からすれば、

その時々で夢や目標を変化させていく事が大切で、

それをできる人もすごい。



一つの夢を追いかけてきたはずが、

やがて一つの夢に追いかけられるようになる。


そうか、私はずっと

追いかけてくる夢から逃げていたんだな。


おかしいね。

普通は

「夢から逃げる = 夢を叶えることを諦める」 

なのに。


役者という夢を叶えようと走り続けることが、

逆に「夢から逃げる」ことにもなっていた。


ちょうど

一周遅れたランナーが

トップを走っているように見える

のと似ている。


ただひたすらに走り続けたら、

どっちが追いかけて

どっちが追いかけられているのか

分からなくなった。



私はなぜ自分が役者を目指し始めたのかを

知らない(思い出せない)まま生きてきた。


もちろん何かしらのきっかけとか、

自分なりの考えがあってのことには違いない。


実は

「芝居めっちゃ苦手やのに、

役者するには芝居しなあかんやん。

えーいややー。」みたいな、

おかしな状況には

前々から気づいていた。


これまでの話を読む限り

「役者」という肩書きに憧れていただけで

中身は空っぽだ

と思われても仕方ない。 


しかし、当然ながら、

役者としての楽しみや

使命感をもっていた。


舞台に立っているときの自分は好きだし、

誰かの人生をも変えてしまうチカラに

魅了されている。


けれどもこれらは全て

役者を "続ける為の" "やめない為の" 理由。

後づけのものである。


多くの人は劇的な体験をし、

そこから夢が生まれる。


私はまず夢があって、

それを叶える過程で劇的な体験をした。


だから

夢を志したきっかけを問われるのが

何よりもいやだ。


「なると決めてたのでなりました。」

それ以外の何ものでもない。


まあでも、

幼い私が決めてくれたからこそ

経験できた数々の出来事

 ーそれこそ "夢" のような出来事たちー 

は間違いなく私の血肉となっているし、

感謝はしなくちゃと思ってる。


しかし、私はもう

「夢から逃げること」から

逃げようと思う。


一度コースから外れてみようと思う。


ここ最近多読をして分かってきたけど、

どうやら夢とか天職ってのは

私達が想像しているようなもの

ではないらしい。


一つの夢に向かって突っ走るのにも

良くない面が色々あるらしい。


とりあえずの目標は

「目標を立てずに生きること」。

(いきなりの矛盾)


来月の私の生活だって分からないのに、5年後10年後の私を今決めてどうするのだろう。


何か他の者になりたければなればいいし、

また役者を名乗りたくなったら

そのときは役者をすればいい。


ただ、しばらくは

ただの "まおり" 

として存在できたらいいかな。


おまえ誰やねん!って言われたら、

友達になりましょう!って言う。

この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?