自分らしく生きる、ノンバイナリーという選択
「ノンバイナリーです。」というと、頭にはてなマークが浮かんだような視線を向けられる。
私のジェンダー・アイデンティティはノンバイナリーなのだけど、生活をするなかで出会う人たちがノンバイナリーがどういう人なのか、みんなが知っているわけではないし、見た目が女性だから、スカートをはいているから、お化粧をしているから、髪の毛が長いからといった理由で女性扱いされ、女性を求められる場面がこれまでたくさんあった。
「ノンバイナリーって、なんだろう……?」という人は初めまして。私のジェンダー・アイデンティティはノンバイナリー(Nonbinary)です。今日はノンバイナリーについて、少しでも知ってもらえたらうれしいと思い、文章を書いています。
ノンバイナリーって、なんだろう?
ノンバイナリーは、性自認が男女の性別の二元論にに当てはまらない、ジェンダー・アイデンティティを持つ人を表現する言葉である。ノンバイナリーという言葉は人によって異なる意味を持つことがあり、基本的には、ジェンダー・アイデンティティが女性とも男性ともはっきり言い切れない人を表現するのに使われるているが、ノンバイナリーの中には、自分のジェンダーを男ともしても女としても経験する人もいれば、自分のジェンダーを男としても女としても経験しない人もいる。
私の場合、自分のジェンダー・アイデンティティがノンバイナリーだと気がついたのは3年前にLGBTQIA +について調べていたときだった。男性でも女性でもない“ノンバイナリー“という言葉を知った瞬間に、心当たりがたくさんでてきて、いつまにか抱えていた大きなモヤモヤの正体が、自分を無理やり女性の枠に押し込めていたことだった、と納得したのをよく覚えている。
ジェンダー・アイデンティティは、どれぐらい理解されているの?
多様なジェンダーやセクシュアリティの存在が認知されるようになり、6月の「プライド月間(Pride Month)」では、世界各地でLGBTQ+の権利を啓発するイベントなどが行われている。日本でも「Palettalk」などのジェンダーやセクシュアリティについて発信するメディアが数多く登場しているし、宇多田ヒカルさんなど自身のアイデンティティをカミングアウトする著名人や、LGBTQIA+のアーティストや俳優が様々な場所で活躍をしていることで、以前よりも認知されてきているが、理解されているかという話になると、また別の話になるのではないかと思っている。
厚生労働省が行なったアンケートは企業に向けたものだが、多様なセクシャルやジェンダーを持つ人について、知ってはいても理解されている割合はとても低かった。
この結果では、特に10代の子どもが性的マイノリティという理由で、いじめを受けているという。私もこのなかに当てはまるのだけれど、自分の経験を振り返ると、特に中学生になってからがとても辛かった。
私は物心ついたとき、自分が持っている服のなかで大っ嫌いだったのは花柄のフリルのワンピースで、小学校には7部丈のハーフパンツを履いて通い(お気に入りのブランドはタウン&カントリーだった)、卒業式もパンツスーツで出席するぐらい、スカートを履くのがとても嫌だった。小学生の頃はそれでもまだ友達がいたのでよかったのだけれど、中学生になってからは思春期も関係して、私はクラスで浮いた存在になっていた。
記憶は次第に薄れていくものだけれど、あの頃の孤独感がトラウマのように残っているし、みんなの認識が“男の子が持つ“筆記用具入れを使っていたときに、数人のクラスメイトに“あいつ、なんであの筆箱つかっての。変じゃない?“と言われた記憶はずっと頭なかから消せないでいる。
女性の私もなんとなくどこかにいる
中学を卒業した私は、もうあんな思いをしたくない気持ちから、男の子らしくいることをやめようと無意識に決めていたように思う。それからずっと長い間、なるべく女性のものとして販売されているものを選ぶようになった。
ジェンダーもセクシャルも境界線は曖昧で、グラデーションのように流動的に変化している、というのを表現する「スペクトラム(spectrum)」という用語があるのだけれど、成長する過程で自分のアイデンティティが変化していったと考えると、とてもしっくりくる。
(※)ジェンダーやセクシャルに限らず、特性や流動性を表す際など、さまざまな場面で使われる。
またジェンダー・アイデンティティが一つに固定されずに流動的に変化する人たちは、ジェンダー・フルイドと表現される。ジェンダー・フルイドのアイデンティは、内面的にどのように自分自身を認識し、世界に対してどのように自分自身を表現するのかに関係していて、社会からどう見られているかによって日々変化するのではなく、自分をどのように表現するかによって変化しているのだ。
私は小学生の頃に“男のこになりたい“と、男性の自分を感じていた瞬間がったので、たぶん流動のなかでは、男性に近いところにいたのだと思う。
男性女性のどちらにも当てはめなくてもいいと知ってからは、100%男性とも、100%女性とも思えなかった自分が自分らしくいれるノンバイナリーを選択している。けけれど、女性として自分を表現していた(自分を女性とカテゴライズしていた)時間が長かったからなのか、流動のなかで女性に近いときもあるなあ、とも思うのだ。なので、プロナウン(※)の表記は「They/Them」ではなく「She/They」の方が自分のジェンダー・アイデンティティを表すのに“今のところ“しっくりくる。
(※)プロナウン(pronoun)は代名詞のことで、自身のジェンダー・アイデンティティを表現するものである。「she/her」「he/him」「they/them」が多いが、代名詞はその人を表現するものなので、これ以外にもたくさんある。プロナウンについてもっと知りたい方はこちらがおすすめです。
一人でも多くの人の声に救われる
自分のジェンダー・アイデンティティがノンバイナリーであることに気がつけたのも、子どもの頃の自分は変じゃなかった、と思えるようになったのも、誰かが声をあげたり、発信してくれているからだ。私はそれにとても感謝しているし、ノンバイナリーというジェンダー・アイデンティティを自分の経験を通して伝えようと決めたのも、発信することで何かが変わるかもしれない、と思ったからである。
この文章が、自分のジェンダーやセクシャルで悩んでいる人のモヤモヤを少しでも軽くできたらうれしいなあ、と思う。そして、子どもの頃の苦しい経験は、簡単には癒やすことができないから、子どもが自分らしくあることを否定されたり、心を傷つけられたりすることがありませんように、と願わずにはいられない。
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