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海外おんな一人旅の覚書

海外旅行の敵といえば、体調不良、突然の尿意、来ないバス、ローカルフードで腹壊す、スリにボッタクリ。旅慣れてくる程に、これらはなんとなく処理・回避できるようになるのだが、一人旅の女がどうしても避けて通れないのが「ヤバい男」である。

街中のナンパなんてカワイイものである。コニチワ!ビューティフル!カムカム!なんて言われたら適当にありがと〜チャオチャオ〜👋とか返しておけばよろしい。
留学先の期末期間が終わって、旧ユーゴスラビアの国々を一人で旅行していたとき、コソボからアルバニアに行くバスで隣になったおっちゃんがいた。ハロー、どこ行くの? の域を超えてものすごく話しかけて来るし、次々にガムやら謎のキャンディーやらくれるし何より物理的な距離が近ェ……と思ったが、英語は喋れないものの日本(というか極東の異国)のものが色々面白いみたいだった。パスポートをチラ見させてあげたり、文庫本をみせて右から縦に読むんだよと教えたらいたく感心していた。お礼にアルバニアのコインをもらった。これはいい体験。


変な人に絡まれた場合でも、マゴマゴしたり相手の言うことを正確に理解しようとしたりせず、はっきりNo, sorryと言えば去って行く場合も多い。
警戒レベルを引き上げた方がいいのは、一度Noを言っても引き下がらない輩だ。たとえばコソボの城壁で優雅に夕日を眺めていたら、目の前に立ち塞がって、「イングリッシュ、アイ、ライク、ハウス、ジャパン、イエス」の連呼だけで家に来させようとする人がいた。それ以上の語彙がないのに「英語喋れる」と豪語する神経にはもはや敬服してしまうが、意味がわからないからどっかいけと言っても去らないのでDO NOT FOLLOW ME PLEASEと強めに言って、屈強なお父さんがいるファミリーの近くに移動。悪霊退散、である。


イタリアの田舎で遭遇したのは、来る予定だったバスが一向に来ず困り果てていたところで2€(安すぎる)で街まで行ってやるよという謎の男、それに続くセックスしたらタクシー代払ってあげるというトンデモ野郎(20歳)。その男も英語がわからず、最初Google翻訳で喋っていたのだが「If we greet, I'll pay your taxi fee」と提案してくる。あぁ〜…挨拶って…なるほどね…?と思ったが、一応greetってなに? というと、数秒口籠もって「Hmm...um...Boom!!」
とか言うので
「Hahahaha! No way, 舐めとんのかクソガキ(日本語)」と言っておいた(口が悪い)。皆さん、イタリアでセックスの隠語は「挨拶」だそうですよ。 ちなみに海外で英語以外に喋れる言語があるというのはまことに良いことで、小銭くれと近寄ってくる人やジプシー、ミサンガを巻き付けてお金を請求しようとする悪質な輩にも日本語で「無理です無理なの、お金ないのごめんね、今急いでるんで、いやま~~急いではないんだけどさゆったりした旅行したいから、まぁいいやそこどいてください、」とか何とか、適当なことを早口でまくし立てると向こうの方が「?!なんやコイツ…」と怯んで去って行くので大変おすすめしたい。
英語で相手に解るように丁寧に断る必要なんて無いのですよ。わたくしのように咄嗟に出てしまった暴言も、相手に伝わらなければ暴言にはならないし(本当に?)、逆上される恐れもないの。

話がそれたが、こんな感じで下心を持って近寄ってくる輩は掃いて捨てるほどいる。特に日本人女性はシャイでNoが言えなくて優しいと思われているので、とにかく毅然とした態度が大事だ。旅の土産だと思って、あえて危うげな方向に踏み込みたくなる気持ちはいつもあるのだが、そこには一線を引いて危機管理をしている。


クロアチア・ザグレブの車窓



旅行が好きなので、旅行の漫画やブログをネットで読む。すると、声をかけられて着いていった先でこんな面白いことがあった、街中で会った人の家に招かれて楽しいもてなしをうけた、みたいな話をよく読む。正直言って羨ましい。別に男性だったら100%安全なわけではないし、スリや暴漢は男女関係ないのだが、もし自分が男性だったら、と思わずにはいられない。もし男性だったら、あの時も、あの時も、あの人に着いていったのに。本当はただのいい人だったのかもしれないな。帰りが遅くなるから諦めたあそこに行けたかも。もう少し安い宿をとれた。 そもそも、こんな角度の記事を書くことだって思いつかなかったと思う。

この不均衡さは、先進国の都会でフェミニズムが盛り上がっても、機会的な格差が是正され始めても、家事育児に責任を持つ男性が増えても、圧倒的な現実として目の前にある。
わたしはその思想を鑑みるにフェミニストと言って差し支え無いと思うが、海外において男と女では背負っているリスクの質と量が違うし、性暴力をはたらく人間が悪いのに違いはないが、女は自分のために自衛をしなければならない、というのは残念ながら確かなことだと思う。それが強いられたものであって到底納得がいかないとしても、結局損害を被るのはほかならぬ自分だからである。(これは自分で思っておけばいいことで、他人が被害者に向かって言うのは絶対に違うが。)※


だからと言って怯むことはない。少し高くても安全な宿をとり、早めに帰って、向こうから声をかけてくる人間は無視しよう。
それさえ守れば楽しい一人旅…


ディストピアのように聞こえるだろうか。邪悪なものの前に屈しているように見えるだろうか。それでもわたしは旅に行くのをやめない。 理由は単純で、旅だってなんだって、生まれながらに与えられたこの身体、この存在を背負って行くしかないからだ。運命論ではない、むしろその逆である。与えられたものによってやりたいことを制限してどうする。置かれた場所で咲いている場合じゃあないんだよ!!!!!

なにかをするのに一番適している人だけがそれをできる世界こそ、ディストピアである。留学中のわたしは、心身状態・金銭面・時間的余裕・居住地どれを取っても紛れもなく「特権階級」だったけれども、脚が悪くなっても、食物アレルギーになっても、時間とお金をなんとか捻り出さなければならなくても、精神的余裕がなくて普通なら旅行なんてする気力が湧かない状況になっても、きっときっと旅行には行きたい。そうなった時の自分に宛てて書く。隣国か、隣の県か、隣町でも良いから、たくさん歩いてスーパーで変わったもの見つけて食べて、変な看板の写真など撮り、忙しない日常と山積したストレスを腰掛けにして夕日でも視よ。
何も変わらないかもしれないし貴重な休みを無駄にしたとまで思うかもしれないが、そうやって、若やかな冒険心が心の奥にあることを確かめて下さい。

これもクロアチア・ザグレブにて。
スロベニア・リュブリャナでみつけた民芸品。民芸品っていいよね
ボスニア・ヘルツェゴビナの料理、「チェバピ」。棒状にした挽肉と生たまねぎ・チーズがモチモチのパンにベストマッチ…❤
モンテネグロ・コトルはちょっと別格の景色。
セルビア・ベオグラードの爆イケ老舗パン屋さん。一番右の人におすすめを教えてもらった!


やっぱり一人旅は何ものにも変えがたい魅力がある。 友達とワイワイキャッキャしながら華々しい都市を回るのも良い。ニッチな趣味を共有する友達と推しゆかりの地をめぐる、オタク旅行も大好きだ。でも、気になった場所があればいつまでもそこに佇んでよく、カフェで意味をなさない異国の言葉にじっくりと耳を傾けながら、往来をゆく人びとを眺めるなど、異国の地で時間と空間を恣にできる底なしの自由からしか得られない何ものかが、確実にある。

旅は、旅人ひとりひとりが生まれ持った属性、これまでに鍛えられた五感、アクシデントを面白がれるタフさ(つまりは柔軟さと意志だ)、そこにいる人間への向き合いかたによってデザインされる。その意味で旅はいつも流動的であって、都市の<顔>も、自分が感じ取れることも、いま・ここ限定のものである。
余談だが留学中、パリの魅力にハマってしまって、半年の間に3回行き・計3週間弱をパリに費やした。新しさと歴史と美食、美意識と猥雑さ、それに自由で意志の強い人間の魅力が詰まっていてなんと素敵な街だろうと思ったが、パリでがっかりする人がいるという話を何回か聞いて、非常に面白いと思った。聞いてみると、汚い、高い、怖い(治安)という。書いてみれば当たり前のことだが、同じ旅行者という立場であっても、見ているものが全然違うのだ。


旅行がきらいな友人は、わざわざお金と時間をかけて疲れたり、写真で見られるようなところに行って不安や緊張を味わったりする意味がわからない、おいしいものは東京で食べられるし、と言う。あはは、一理あるよね。
でもわたしは一人旅をやめないし、それどころかもっともっと豊かな旅ができるように、自分自身を育てていきたいと思っている。

知らない土地って、わくわくするからね!

コソボ・プリズレンの夕日。
こちらも。「コソボ」と聞くとどうしても紛争のイメージが先行するが、素朴な魅力あふれる平和な街だった。一番フレンドリーに声をかけられたのもこの街でした。


※「女の自衛」という言葉からは、痴漢などの性暴力を女性自らが「隙」を作らないことによって予防すべきだといった言説が想起されやすいかと思う。しかしここでわたしが言っているのは「旅において」限定であることを留意されたい。つまり、電車で露出度の高い服を着るな、などと言いたい訳ではない。


*不定期更新* 【最近よかったこと】東京03単独公演「ヤな覚悟」さいこうでした。オタク万歳