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ひとつ前の『風の時代』・鎌倉時代の「御成敗式目」と「AI」 〜風の時代を会計から読み解いてみよう③〜


風の時代と土の時代

今回も、前回に続いて、ひとつ前の「風の時代」に起きた出来事から、
これからの「風の時代」について考えていきたいと思います。


ひとつ前の風の時代

ひとつ前(前回)の「風の時代」は1185年頃~1425年頃だそうです。
日本では、ちょうど鎌倉幕府が始まった頃ですね。

鎌倉時代の出来事を考える時には、
どうしても大河ドラマの「鎌倉殿の13人」に出演された方々の顔が
思い浮かんでしまう自分がいます。

なぜ、これから先の「風の時代」をずっと昔の歴史から確認していくのか。
理由はこちらです。

歴史は人間にとって無限のコンテンツの宝庫であって面白い。

出典:「御成敗式目」佐藤雄基著(中公新書)より

なお、歴史的には、必ずしも正確ではない文章になっているかもしれません。
正確な歴史については、教科書や本などでご確認くださいね。

承久の乱と六波羅探題

今回のテーマの「御成敗式目」は、承久の乱の後に制定されています。

承久の乱
承久3年(1221)後鳥羽上皇が鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、幕府に鎮圧された事件。後鳥羽・土御門 (つちみかど) ・順徳の三上皇が配流され、朝廷方の公卿・武士の所領は没収された。乱ののち、朝廷監視のため六波羅探題を置くなど、幕府の絶対的優位が確立した。承久の変。

出典:デジタル大辞泉(小学館)より

承久の乱の後、京都の治安維持と西国を監視する役割として六波羅探題が置かれました。
朝廷側の荘園が鎌倉幕府に没収されました。

没収された荘園は鎌倉幕府の御家人に分け与えられて、
地頭が配置されたそうです。

承久の乱によって、鎌倉幕府の全国的な政権としての基盤が整ったとされています。

御成敗式目の制定

承久の乱の後、各地で起きた所領の紛争に対して、幕府が解決を図る必要から制定された法が「御成敗式目」と言われています。

北条泰時が発意(制定)したとされています。

「鎌倉殿」を見るまでは、自分の歴史の勉強としては、北条泰時の名前を
しっかりと記憶できていませんでした。
今は、『へえ〜。そうだったんだ。泰時なんだ。』とお顔が思い浮かびます。

北条泰時
鎌倉殿とはイメージが違いました

今回、歴史の勉強では、名称だけを覚えていた「御成敗式目」について調べてみました。

「御成敗式目」は、主に武家に対する法律で、51条あるそうです。
法律としては、特段長くはないですよね。

私が注目したのは下の3つです。

  1. 民が定めた法律である

  2. 多くの武士に受け入れられた

  3. 鎌倉時代以降も、長い間、影響を与えた

1 民が定めた法律

それまでの法律(律令)は、朝廷が定めていたのに対して、
「御成敗式目」は、幕府が定めた法律であることです。
このことから、「御成敗式目」は、「正式な律令ではない」や「朝廷ではなく民が定めた法律である」と表現されている方もいらっしゃいました。

2 多くの武士に受け入れられた

「御成敗式目」は、武家の先例や道理に基づいて定められたことから、
多くの武士に受け入れられたとされています。

道理とは
1 物事の正しいすじみち。また、人として行うべき正しい道。ことわり。「—をわきまえる」「—に外れた行為」
2 すじが通っていること。正論であること。また、そのさま。「言われてみれば—な話」

出典:デジタル大辞泉(小学館)より

「道理」を大切にしているなんて、
「鎌倉殿」の北条泰時の雰囲気そのものですね。さすが三谷幸喜さんです。

私は、三谷幸喜さんが主宰された「東京サンシャインボーイズ」が好きです。
劇団員さんの中では、梶原善さんが大好きです。
(鎌倉殿では「善児」役でした。)
三谷幸喜さんの舞台「彦馬がゆく」での善ちゃんの桂小五郎役には、
強烈に惹き込まれました。
大阪松竹座に舞台「丹下左前」を観に行った時には、善さんの出待ちしました。その時に善さんからもらったサインが今でも宝物です。

道徳

3 長い間、武家の基本法令であった

「御成敗式目」は、鎌倉時代だけでなく、室町時代から江戸時代に渡り、条文を追加しつつ、武家の法令として影響を与えたそうです。
江戸時代には、寺子屋などで書道の教科書としても用いられていたそうです。

御成敗式目が制定されたのは、1232年です。
「風の時代」が始まって約50年後に作られたことになります。

「御成敗式目」が制定されてから江戸時代の始まりまで約400年もあります。その間、法令として影響を与えたというのは凄いことですね。

しばしば御成敗式目は武士の権利を保護するための法であると論じられていた。
しかし、まずこの式目の目的は、武士たちに非法を起こさせないことを目的としていたことに注意したい。

出典:「御成敗式目」佐藤雄基著(中公新書)より

御成敗式目とAIを比べてみましょう

「御成敗式目」は、それまでの朝廷が定める形ではなく、幕府により定められました。
今に例えると、国会ではないところで国の法律が定められた形でしょうか。
法律ではなく、民間で決めた社会のルールや規範、慣習に近いかもしれません。

この「御成敗式目」が多くの人に長い期間に渡って受け入れられます。

人が作った一つのルールを、
誰もが納得し、当然のことのように受け入れるというのは、
人の感情を考えた時には、そんなに簡単なものではない気がします。

ここで、
AI(人工知能)によって作られた文章は、人が書いた文章よりも、
意外とスッと受け入れている自分がいます。

私自身、内容が同じ文章でも、書いた人が誰かによって感じる温度差があったり、受け入れることに抵抗が出てしまうことがあります。
でも、AIの作成した文章は、なぜか素直に受け入れてしまうことがあります。

また、私を知っている人は、きっと私の文章より、
AIの文章の方が受け入れやすいことでしょう。

AIの作成した文章は、
専門家からすると「まだまだ」と評価される点はあるかもしれません。

しかし、AIは驚くようなペースで日々、進化をしているように感じます。

これからの「風の時代」が50年ほど先に進んだ頃には、
AIが作成したルールが社会の規範となって、広く受け入れられていくかもしれないと、「御成敗式目」が制定された経緯から感じました。

その時のAIは、北条泰時のような心を持ったAIなのかもしれません。

今回は、鎌倉時代に制定された「御成敗式目」とAIについて考えてみました。

最後までお読み下さり、ありがとうございました。



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