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自分で自分の体のためにできることを考えたら、「白湯」に辿り着きました。

2年ほど前、私はそれまでの人生の中で最もあわただしい時を過ごしていました。育児と家事と仕事と、ただただ時間に追われながら、目の前のことをひたすらこなしていく生活に、自分が徐々に壊れていくのを感じるようになりました。もちろん、子供と楽しい時間を過ごすこともありましたが、そんな時間をもかき消してしまうほど、とにかく追い詰められていました。

家族の協力もあるにはありましたが、自分でやってしまう性格が災いしたのか、頼むことになれていなかったせいなのか、うまく相手に伝えられなかったこともあり、物事がうまく進まないことからの苛立ちが、次第に自分の心身に影響を及ぼしてくるようになったのです。

それまでの私は、人に言われたことに対して、それほど感情を露にすることはありませんでしたが、2年前の私は違っていました。自分でも信じられないほど、変わってしまった自分がいたのです。時間に追われ、それほどの協力も理解も得られないと、人はこんなにも変わるものなのかと、豹変したと言っても過言ではなく、自分を客観視した時にぞっとしたのを今でもよく覚えています。

どのように変わったのか?豹変したのか?私の場合は、家族に対する思いを間接的に伝えたというもの。この言い方では何てことない普通の事のように伝わってしまいますよね。すみません。要は、離れた場所(姿の見えない場所)から大きな声で文句を言うということです。面と向かって伝えると、後々面倒なことになりエネルギーをひどく消耗し、本当に気分が落ち込むのが分かっていたので、無意識のうちに間接的に叫ぶという方法をとっていたのかもしれません。

イライラが募りに募っての叫びは、一瞬スカッとするような気がしますが、続けているうちに、冷静になってくるせいなのか、はたまたイライラがなくなって落ち着いてくるからなのか、だんだんと「私は何をやっているんだろう?」と自分が自分ではないように思えてきたのです。自分が信じられないというか、「私はこんなことしないはず」「性格悪っ!」と、自分の人格をも否定するような思いが現れてきたのです。

そんな日々が続いた後、生活環境を変えることになったのですが、ちょうどその頃です、私の体に変化が訪れたのは。時間に追われ、時折豹変し、自分を否定する生活を送っていたことがおそらく原因となって、つまりはストレスから、心だけではなく体にも変化が生じてしまっていたのです。

婦人科系に症状が見られたのですが、一過性のものだったようで、数か月後にはその症状もなくなり、心身ともにストレスフリーな状態になっていました。ストレスフリーになったとはいえ、一度体調不良となった自分の体を思うと、もっともっと自分を大切に、自分の体を労わっていかないといけないと思うようにもなりました。どんなに疲れていても、夜更かしをしても、寝れば治ると思ってやってきましたが、やはり年々「老体」になっていることは確か。健康第一、健康であれば何でもできる!のですから。

そして、そんなこんなで始めたのが「白湯」。ある日ぶらっと本屋に立ち寄った時に出会った本が、白湯を飲むことで体調がよくなるというものだったのです。もともと冷え性だったこともあり、白湯で体が温まり、あらゆる症状が緩和されるという内容に「これしかない!」「今私にできることは、これだ!」と心で叫び、即購入、そして一気読み。

「白湯」を特別なものと思えたわけですが、本を読みながら、子供の頃、風邪を引いて熱を出した時によく飲まされたことを思い出しました。食欲もなく食べることのできない状態だったので、とにかく体を温めることが大切だという親から出されたものだったのです。調子が悪い時に飲まされた「白湯」は、当然おいしいとは思えず、記憶にも残らず、体調が元に戻ると、いつの間にか頭の中から消えていってしまいました。

そして、本を読み終えた翌日からは、毎日、朝起きて、部屋の窓を開け空気を入れ替えると、台所に行き、換気扇を回し、水を入れたやかんを火にかけ、やかんの蓋はせずに10分くらい沸騰させる。そして、沸騰したお湯をいつものマグカップに注ぎ、適度な温度になるまで放置し、朝の家事をしながら「白湯」をゆっくりといただく。

これが、ここ2年の間、私が「習慣にしていること」になります。

何かを続けること、続けられることには、続ける過程に何かしら自分にとってプラスになる要素があることが多いと思います。例えば、「楽しい」、「嬉しい」「面白い」であるとか、「なるほど!」「あは!」などの発見。しかし、時には「楽しい」などの「陽」の要素よりも、「辛い」「苦しい」といった「陰」の要素から始まり、続けた先に見える景色に「陽」の要素が多分に含まれている故に続けている場合もあるかもしれません。例えば、筋力トレーニングやダイエットなど。

現に私も、「白湯」を飲み始めたのには、先にお話ししましたように、自分の体調を良い状態にしたいという思いからであって、「白湯」が美味しくて大好きだからという理由ではありませんでした。それでも続けられているのには、日常生活でちょっとした自分の体の変化に気付くことが多くなったからなのだと思うのです。

風邪は引きにくくなりましたし、冬でも体の冷えもそれほど感じられなくなりました。私よりも子供の方が「寒い、寒い」と言っているような気がします。「白湯」というものに少しは興味を持っていたようなので、「飲んでみる?」と勧めたこともありました。が、飲むな否や、あっという間に笑顔はなくなり、渋柿を食べた時のような表情に変わり、「白湯」の入ったマグカップを無言で戻してきたものです。無理強いはしません。そのうち加齢と共に、「白湯」の「陽」の要素に気付く時がくるかもしれませんから。それまで見守っていくことにします。

また、「白湯」は、その時の体調によって、「味」が変わることもあるようです。「味?」って、、、無色透明の液体に「味?」ってどういうこと?と思われるかもしれませんが、体調による味覚の変化から起こる「味」の変化、違いとでも言った方がいいのかもしれません。喉にスーッと入っていくこともあれば、口に入れた瞬間に好ましくない味、おいしくないと思うこともあります。不思議ですよね、毎日同じ水を使った「白湯」なのに。

これからも続けられる限り「白湯生活」を送っていけたらいいなと思っています。今までよりも「陽」の要素を自分なりにプラスして、もっともっと「白湯タイム」が有意義な時となるように工夫してみたいです。例えば、使用するマグカップを変えてみたり、お気に入りのものを購入してみたり、あるいは、マグカップだけではなく、「やかん」から「ケトル」調のものにしてみたり。考えるだけでも、なんだか楽しくなってきました!

みなさんが「習慣にしていること」は、何ですか?

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

**タイトル上の画像は、子供がPCで描いてくれました。白湯の入っている「マグカップ」と「やかん」です**



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