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いま、言わなければならないこと

身内の作業療法士(児童発達支援に従事)がとうとう言った。
「最近、療育を受けにくる子どもたちの言葉が出にくくなっている。出ている言葉も、発声が不明瞭になっている。周りにいる人間たちがみんな四六時中マスクで顔の下半分を覆っていることの弊害が大きいと思う。子どもは、周りの人間の口元の動きを見てその形や動きをまねることで発語発声ができるようになる。それがここ2年あまりというもの、顔の下半分を覆って無表情で生活せざるを得ない状況で、子どもの言語発達の機会が奪われている」と。
これまで言わなかった彼がいちど口を開くと止まらなくなった。以下に要旨をまとめる。

言語聴覚士は、言語指導の際にはマスクに替えてフェイスシールドやマウスシールドを用い、口元を確認できるように工夫している。
とはいえ、そもそも限られた言語指導の時間だけでは足りない。乳幼児は日常生活の中で常時観察し、社会で生きる術を会得してているのだ。見て、真似して口の形を作って呼気を使うタイミングをはかって発声してみる。赤ちゃんの喃語が次第に言葉になっていく。それなのにこの2年半近くは、常時接し目に触れる人間が皆、顔の下半分を隠している。口の形や口の周りの筋肉の動きを見て練習することができない。
そもそも乳幼児健診で言葉の遅れを指摘され、それがきっかけで発達上の課題がわかって療育につながることも多い。今の、マスク必須の社会はわざわざ発達上の課題を深刻化させているのかもしれない。
もちろん風邪症状があるのなら適宜マスクを利用すればいいが、まったくなんの問題もないのにマスクを外せない社会はどうなのか。
療育に来る子ども達の言葉が出にくくなっており、発声が不明瞭になっている。

堰を切ったように話すのを聞きながら、私は、彼が乳幼児だった頃を思いだした。口の形を作り、呼気を使って声を出し、言葉を話そうとする工夫が見ていてわかる子だった。最初は弱々しい不安定な呼気に声の色がついたような発声だった。繰り返すうちにはっきりとした発声になり、発声と発声の組み合わせで単語になっていった。呼気で声を出そうとするうちに声帯と呼気の連動が起こり、口の形との組み合わせで明瞭な声が出せるようになっていき、声と声を繋げて言葉を紡いでいく。その様子は一生懸命で、楽しそうだった。頼りなげな赤ちゃんが、少しずつ自信を手にしていくさまがありありと見てとれた。生まれたときは、泣くことでしか意思表示できない。自分を取り巻く世界を認識し、しくみを理解し、技術を会得して周りの社会と双方向に関われるようになっていく。言葉を介して相互に意思表示・理解のやりとりを繰り返す。

人間が他の動物と大きく違うのはなにか。
ひとつには、明瞭な発声や文字を伴う言語を発達させていることがあげられる。
鳴き声のバリエーション程度ではなく複雑な人間の言葉。

https://jp.glico.com/boshi/futaba/no71/con05_05.htm

私は、今このことを言っておく必要を感じる。
今のこの社会は、壮大な実験室か。
社会全体による幼な子達へのネグレクトではないのか?現状は。


誰かを責めるわけでもないし、マスクを無条件に撤廃すべきとも言わないが、このことは指摘しておかねばばならない。

頼りなげな幼な子は、無数の細菌やウイルス・微生物に曝露されながら免疫力を鍛える。一方で、見て・聞いて・学んで覚えて考えて、この世での生きるすべを身につける。
酸素の消費量は幼な子の場合大人よりはるかに多く、常時マスクは口呼吸必至である。余談だが、私は扁桃腺肥大のために子どもの頃口呼吸だった。大人になってから歯科医に口呼吸と前歯の歯並びと虫歯になりやすいことの関係を教えられた。そして続けて、「あなたの場合は、扁桃腺肥大と関係があるから仕方がない。扁桃腺肥大は口呼吸につながるから。手入れを丁寧にすることで虫歯を防ぎましょう」と言われた。

人間の浅知恵で、精緻な摂理に介入しすぎることの危うさを思う。
『人間の浅知恵』は、マスクだけではない。アルコールの使い過ぎ・界面活性剤を用いた洗い過ぎによる手荒れもそうだし、最大のものはこの1年強、『発症や重症化を防ぐために』との名目で行われている特例承認の劇薬であろう。


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