ニュージーランドでのホームステイ経験が私に残したインパクト
もう随分前の話ですが、高校1年生の夏にニュージーランドでホームステイをしました。
先日「留学したい」という職場の後輩と話していて、あらためて日本とは全く違う生活だったなぁ〜と思ったので、書いてみたいと思います。
少し長いですが、ニュージーランドやホームステイ、語学留学に興味のある方など、ぜひお読みください。
ニュージーランドってこんな国
①季節が日本と逆
ニュージーランドは南半球に位置しているため、季節が日本と逆です。私が行ったのは8月だったので、真夏の日本から急に真冬の場所に行ったことになります。ニュージーランドの冬は、日中、平均気温10~15℃で「日本の冬よりあったかい」と聞いていたのですが、日本との気温差もあってか、めちゃくちゃ寒く感じました。特に朝晩は、かなり冷えました。
②公用語が3つある
ニュージーランドの公用語は3つで、英語、マオリ語、手話です。マオリ語とは、ニュージーランドの先住民、マオリの言葉のことです。普段の会話は皆英語ですが、学校でマオリの言葉や歌、ダンスを学びます。また、ニュージーランドではマオリ文化があちこちで大切にされているのを感じました。町なかでは、マオリ伝統の彫刻が施された建物がいたるところに見られます。ほかにも、ラグビーのニュージーランド代表チーム・オールブラックスは試合の前に必ず、ハカ(Haka)という、マオリのダンスパフォーマンスをしています。見たことある人もいるかも!?
③人口より多いのは…
聞いたことのある方も多いかと思いますが、ニュージーランドは、人の数より羊の数の方が多いです。道中、牛の放牧の方がたくさん見られ、私のホストファザーが営む牧場でも、羊ではなく牛を飼育していたので、一番多いのは牛なのでは?!と思っていたのですが…。調べてみると、やはりこの中で一番多いのは、羊のようです。
私が滞在した町は、想像以上の超〜田舎!
そんなニュージーランドの中の、マタマタ(Matamata)という都市に、私は3週間滞在していました。マタマタは、映画「ロード・オブ・ザ・リング」のロケ地として有名な場所です。
事前に聞いてはいたのですが、【か・な・り】田舎でした。
家はみんな、施錠しません。そもそも「隣の家はどこ!?」「どこからどこまでがこの家の敷地!?」というくらい、家の周りに何もない(笑)。隣の家に行くのに車を使うようなところでした。
私のホストファミリーはこんな家族
牧場を営むホストファザー(当時50歳くらい?)、看護師のホストマザー(当時45歳くらい?)とラブラドールレトリーバーのセンディー(Sendy)が私のホストファミリーです。一人娘のアナ(Anna)は少し離れた都市ハミルトンの学校で寮生活をしていたので、滞在中一度だけしか会うことはありませんでした。
ちなみに、牧場を共同経営するホストファザーの妹トレイシー(Tracy)も私の友人のホストファミリーをしていたため、休日はあちこち一緒に連れて行ってもらいました。Tracyの2人の子供、ジャスミン(Jasmine・当時9歳)とスカイ(Sky・当時1歳)は、絵にかいたような金髪&青い目をしていて、とてもかわいかったです。
ニュージーランドの高校生活を体験!
滞在中は、現地の高校(Matamata College)に通っていました。3週間のうち、最初の2週間は、隣の校舎で英語の授業をみっちり受け、最後の1週間は実際に現地の学生のクラスに入ります。
でも、国語(つまり英語ですね)や数学の授業はなんだか難しくて、、、。数学は公式が分かるので、なんとなく問題は解けましたが、単語が日常生活で使うものと違うので、本当に「何言ってるか分からん!」と思ったのを今でも覚えています。
ニュージーランドの授業では、日本のように先生が一方的に話し続けるスタイルではなく、授業中先生がバリバリ生徒に問いを投げかけるんですね。それに対する生徒のレスポンスも超速くて、びっくりでした。
私が一番楽しかったのは、体育の授業でしょうか(汗)。男女混合で、サッカーをしました。向こうの女子は実にたくましい!相手が男子でもお構いなしにボール争いに行きます。
私はというと、コートの中でクラスメイトと他愛もない会話をしたり、こっそり写真をとったりしているうちに、体育の授業はあっという間に終わりました。この時間がきっかけとなり、マオリの友人やブラジルからの留学生など、色んな友達ができました。
高校へ、スクールバスで通う
とにかく隣の家にも車で行くような場所なので、生徒たちは学校へ、①スクールバスで通うか、②親に送ってもらうか、③寮生活をするかの3択で通っていました。
私は、①のスクールバスで通っていました。家の前で乗り、高校につくまで30~40分かかったと記憶しています。
私が初めてバスに乗ったときの、みんなの困惑した顔が忘れられません(笑)。あちらからすれば、ある日突然、見ず知らずのアジア人がバスに乗り込んできた、と思ったのでしょう。みんな、ただただ真顔でまじまじと見てくるのです。
私も緊張して、とりあえず空いている席に座ろうとすると、一番後ろの席に座っていた男の子、アレックス(Alex)が私の名前を呼んでくれました。実は、ニュージーランドに着いた当日に、ホストマザーが近所に住む男の子を紹介してくれていたのです。彼は、アナ(Anna)の友人でした。そして、たまたまですが、最後の1週間も彼のクラスに入ったので、彼には本当にいろいろと助けてもらいました。彼のおかげで友人関係もぐんと広がったと思います。
私がアレックスの横に座ると、ほかの生徒たちもおしゃべりを再開するという、なんだか滑稽な光景でした。
スクールバスを乗り逃す!
さて、一度、帰りにスクールバスを乗り逃したことがあります。
授業が終わると割とすぐ発車してしまう、タイトなスケジュール運行のスクールバス。そして、次の便はないので、乗り逃すと絶望的です。
分かってはいたのですが、その日私はクラスメイトと話すのが楽しすぎて、アレックスとバスに乗り遅れてしまいました。アレックスは、バスの時間が迫っていることを優しく私に言ってくれていたのですが、なぜか私はその日、クラスメイトと話すことを優先してしまったのです。
今思えば、「あの時アレックス、よく付き合ってくれたな…」と思うのですが、一緒に乗り遅れてくれました(笑)。
そして、私のホストマザーに電話をしてくれ、2人まとめてピックアップしてもらいました。
ホストマザーとアレックスには、あの時迷惑をかけたなと思いますが、それも今となってはよい思い出です。
降りる目印は、センディー(犬)
スクールバスが止まるところは、どれも似たような家に見え、毎日通っても自分の家が分かりませんでした(←やばいですよね)。
そんな私のことを察してかは分かりませんが、ラブラドールレトリーバーのセンディーがいつもバスから見えるところにいて(来て)くれました。決して車道に出るわけではなく、バスが停まる場所の10mほど先のところで待っていてくれるのです。
ある日はちょこんと座ってお出迎え。ある日はおもちゃを加えて遊びながらこちらに向かって走ってきてくれたことも。色んなバリエーションで毎日必ずお迎えに来てくれました。
バスで帰る初日、バスが止まったのに誰も下りないので、「もしかしてここが私の家か?」と窓の外をのぞきました。するとバスから10mくらい先にセンディーがちょこんと座っているのが見え、「私の家に着いたんだ!」と確信することができました。そのときは、「運転手さんも、教えてくれよ!!」と思いましたが。(笑)
それからというもの、毎日センディーがいることを確認してスクールバスを降りていました。私が降りた後もセンディーは私の方をじっと見て、しっぽをふりふりしながら、私が横に来るまで待ってくれていました。センディーのところまで着くと、私も「ありがとう~!」と耳元から首元までもみくちゃにして感謝を伝えていました。ホストファミリーは共働きで、私が帰るのが一番先だったので、いつも私に「お帰り」を言ってくれるのは、このセンディーでした。
センディーは外での放し飼いでしたが、いつも家の周りにいるわけではなく、どこか遠くへ一人で遊びに行っていることもありました。
そんなセンディーが、私がスクールバスで帰ってくるときだけ、必ず毎日家の前にいてくれたことは、なにか偶然ではなかったような気がしています。
やばい、泥棒が私の部屋に?!
私は、母屋と廊下でつながっているゲストルームで寝泊まりしていました。その部屋には鍵がありませんでした。
最初は怖かったのですが、こんなに周りに何もなければ大丈夫だろう、と慣れだした頃に事件は起きます。
ある日の夜中、ふと目覚めると、すぐそばで自分以外の誰かが呼吸する音が聞こえるのです。
「ど、泥棒!?どうしよう、襲われたら!!!」と一気にアドレナリンが出ます。
家の周りには街灯すらないので、部屋の中は電気をつけない限り真っ暗闇です。息をひそめ、自分以外の相手の音に耳を澄ませます。しばらく聞いていると、なんだかおかしいことに気づきます。
相手の息する音がどうやら人間とは思えないのです。「たぶんセンディーだな」と思った私は、気づかないうちに二度目の眠りに落ちていました。
朝起きると、センディーの身幅分、部屋のドアが開いていました。センディーが夜中、私の部屋に忍び込んでいたようです(外が寒かったのかな?)。
しかし、これは、なかなか怖かった…。
圧倒的に行ってよかった3週間
3週間という短い期間でしたが、このニュージーランドへの語学研修は、私の人生経験を豊かにし、英語を学ぶモチベーションも高めてくれました。
自分の伝えたいことは、正直半分くらいしか伝えられなかったのですが、困ったときは必ず誰かが助けてくれたので、本当にいい人たちに恵まれたなと思っています。それが「もっとこの人たちとコミュニケーションをとりたい!」「もっと英語を話せるようになりたい!」という何よりのモチベーションにもなりました。
私の、将来英語を使う仕事がしたいという思いも一層強くなり、その後その夢もかなえることができました。
大学生になり、トレイシーの家にホームステイしていた友人と2人で、再度マタマタを訪れたのですが、その時の話はまた機会があれば書きたいと思います。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
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