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忘れたい黒い「トモダチ」ビデオテープ【前編】

俳優の三浦春馬が亡くなって少し経つが、

未だに沢山の追悼コメントが毎日ネットに書き込まれている。

「あんなに若く才能のあるイケメンがなくなるなんて、日本の大きな損失」

私も三浦春馬が好きだったので、彼に対する記事や動画見ていたのだが、

ふとコメントを読んで

とても嫌な気持ちになった。

それは、

「そんなにファンだったわけじゃないけど」

という前置きの言葉。

たぶん、本人は悪気はないと思う。

でも、その一言、必要なくない??

私は、とても、とても嫌な気持ちになった。

それは、黒い「トモダチ」テープのことを思い出したからだ。


友達がいない

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Manikoは、子供の頃、

いわゆる隠キャだった。

人見知りで、友達が異常に少なかった。


友達が欲しくなかったわけではない。

色んな要素が重なって、

どんどんコミュニケーションを取るのが

下手になっていった。


私は、人生でめちゃくちゃ転校している。

小学校は4つ行った。

中学校も転校し、高校も1年違う場所に行っている。

13歳からは寮に入り、3年半くらい家族と離れて暮らしている。

しかも、その間だけで4カ国も移動していた。

また、転校するたびに、顔を見て

「大人しそう」と言われることが多かった。

そう言われると、余計に話せなくなった。


いつもめまぐるしく、環境が変わり、

隠キャにとっては、激動の人生だった。

次第に、私は絶望を感じ始め、

「私は、自分で自由に住む場所を選べない」

と強く感じるようになった。


もちろん、転校したくなかった時も沢山あるのだ。

せっかく仲良くなった数少ない友達も、

転校の度に、いなくなったからだ。

その時代はインターネットもなかったから、

過去の友達とは、自然と疎遠になった。

子供の世界では、海外と日本は、

月と地球ぐらいの距離感があった。

その中で、最も辛かったのが小学校の頃、

日本で暮らした4年半の最終章、

その最後の爆弾が、

黒い「トモダチ」ビデオテープだった。


今思えば、その時燃やしてしまえばよかった。

投げつけて、壊してしまえばよかった。

それぐらい、私の心はこのテープに傷つけられた。








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