今月読んだ本『R25 つきぬけた男たち』R25編集部
最近YouTubeで新R25チャンネルをよく観るんですが、そもそも彼らはどこからやってきた人たちなんだろうか?と、ずっと疑問でした。(^_^;)
次々とビッグな有名人が登場するので、一体どういうツテがあるんやろ?とも思ってました。
どうも首都圏で発行されてる『R25(アールニジュウゴ)』というフリーペーパーがあるそうで、本書はその中で連載されていた「BREAK-THROUGH POINT〜つきぬけた瞬間」というインタビューを文庫化したものらしいです。
ということは首都圏の方々は、YouTube観てすぐ「あ、あれを編集した人たちの末裔か」ってピンときていたのかな?
私は地方だから分かんないけど(笑)
本書には28人のインタビューが載っていますが、2006年に発行されたとはいえ、ほぼ今でも最前線にいる方ばかりです。
私は山下達郎さんの名前を見つけた瞬間、嬉しくなってそれ以上の確認せずすぐにレジへ向かいましたが、家で開いたら河村隆一さんの名前も発見してニヤリとしました。
ミュージシャンで言うと、横山剣さん・久保田利伸さん・山崎まさよしさん・玉置浩二さん・ドリカムの中村正人さん・松崎しげるさんも載ってます。
忘れちゃいけない、ヤザワもいます(笑)
そんなカッコいい大人たちにも、勘違いや思い上がりといった〝カッコわるい〟行動をとっていた時代がある。そんな等身大の姿を潔く披露してくれているところも、読みどころだそうです。
取り上げられた人数も多いですし、それぞれのインタビューも決して長くはないので、十把一絡げにまとめて感想書くのは流石に無理でした(>_<)
なので、特に印象に残ったところを引用していきます。
中村正人さん
「30歳までは、やりたいことなんてなくていいよって、よく言うんです。簡単にわかるわけがない。今やってることが夢につながらなくてもいい。ただ目の前にあるものに対して、その瞬間、瞬間を必死にやってれば、何かが次につながる。」
学生時代 色々訳あって、大学の近くまで行くのに中には入らない という謎生活をしていたマサさん(笑)夜は、一流ミュージシャンや有名モデル、スタイリストたちが遊びに来る青山の伝説の店『ガスコン』で働いた。時給420円でボロ雑巾のように使われてたそうですが、ここでの経験は、ミュージシャン中村正人になっていくためには必要だったんでしょうね。
しりあがり寿さん
「やっぱ自分のことを自分で考えないとヤバイよね。すべてテレビの向こうのできごとじゃないことを理解しないとね。いろんな価値とかことばが、今、体系だって受け止められてないような気がしますよね。いちばん大きく見えるものがいちばん近くにある、みたいな。子どもが絵を描くときのような物の見方・・・オレはもう歳だからいいけど、あとで泣きを見るんじゃないかなあ」
みんなで一斉にわかりやすいものに飛びつくのはどうだろうということらしいですが、それを言うなら2000年代より今の方がもっと顕著になってますよね。これは!っていう作品が世に登場すると、ガーッと瞬間的にみんなで飛びつくし。悪いことではないけれど、何ともいえない気持ちになる時が私もあります。
先見の明がすごいし、子どもが絵を描くときのような見方っていう表現もまた独特。
大杉漣さん
「当時出入りしてたライブハウスで『新劇』っていう雑誌を見たんです。そこに〝劇を行うにふさわしいのは、現実の生活に適さない面をもった者たち〟っていう文章が載ってた。」
これは大杉さんの言葉というより、太田省吾さんの言葉の引用ですが(^_^;) 大俳優といっても、実は最初から役者がやりたい!という強い意志を持っていたわけじゃないんですね。
20代の頃、あちこち彷徨っていたら、ものすごくひっかかる言葉に出会い、そこから一本電話をかけたことが人生の大きな選択になることもある。
この彷徨っていた時代に、同じく彷徨っていた連中がいて、飲み屋であんちゃん同士付き合ってたその相手と、後に映画の現場等で「あのときの!」と再会することが結構あったそうです。
彷徨うのも大事なことですよね、特に若い頃は。
山下達郎さん
「何年かごとに、レコーディングに使用するスタジオの機材が一変するんですが、そうすると、聴こえ方が全然変わってしまう。どの楽器をどう重ねて構築するか。音を遠くしたり近くしたり、音の奥行き、立体感・・・音像を作って歌を乗っけてどういう世界を作るかっていうのは、ほとんどが経験値の積み重ねなんですが・・・」
音を立体で捉えてる、、、やっぱりそうだったのか。
私もボーカリストの経験のある人から指摘されて気づいたんですが、これって、つまり自分の声も立体で表現しようとしてるってことですよね。
音にこだわりの強い方なので、ライブでも同じように聴かせようとしてるはずなんですよ。どういう風に喉を動かせば、どう聴こえるのかを体で記憶して、さらに条件の異なる全国のあらゆる会場でも再現する。いや、もう怖いっすわ(^_^;)
達郎さんの歌をカラオケで歌って録音して本人と聴き比べてみて下さい。どうして自分の声はこんなにのっぺりと二次元的なんだろう?ってガッカリするんですよ(笑)
若い頃は結構ツッパってたところもあるそうですが、今でもこれはおかしいと思ったらズバリとおっしゃるので、そういうところも好きなんです。
みうらじゅんさん
みうらさんは、少し前に本のレビューやってしまったので、あんまり突っ込むのやめときます(笑)
若い頃の彼のエピソードはだいぶイカれてて面白いんですが(今もか・・・)
ただ、マイブームの定義を間違って覚えていたことが分かったので一応シェアします。
〝自分だけのブームをきちんとメインブームにすること〟だそうです。知ってた?注目されるところまで持っていかないと「マイブーム」じゃないらしい(´⊙ω⊙`)
小倉智昭さん
「僕は自分の考えや意見を述べられる司会者になりたかった。だから自分の引きだしにはたくさんの資料を入れてるほうが絶対強いだろうと。やることがなかったあの時期に、それこそ新聞、本、TV・・・そういうありとあらゆるものを一生懸命読んだり観たりしましたよ。今、思うとそれが番組のオープニングトークにも生きてる。」
泣かず飛ばずの時代があったことも今回はじめて知りました。高く飛ぶ前には、深くしゃがむ準備の段階がありますよね。
堤幸彦さん
「・・・人に譲れないものを何かひとつ、見つけることですよ。それはパチンコでもいいし、マンガでもいい。音楽でも英会話でもいいんだけど、〝俺しかこれできないんだよ〟っていうことが1個みつかればね、10年くらい棒に振ったって全然いいんじゃないかな」
なんか、私がそういう部分ばかり拾ってしまってるのか、彷徨ってる時期を肯定するコメントが目立ちますね(笑)
堤さんは、『金田一少年の事件簿』を手掛けてから人にいちいち説明しなくてもわかってもらえる名刺を持てたと話します。
「〝僕はこんな作品やってました〟って説明しているうちはまだまだ認められてないってことでしょ。だからもし、20代の人で、作品を作ったり、自分で何か始めたいと思う人は、説明しなくていいことを獲得することが大事ですよ。」
映像業界の下積み時代というのは、肉体的にも精神的にもかなりキツいと聞きますよね。堤さんのディレクターデビューは演歌のカラオケ番組。本気で辞めてしまおうと思っていたものの、生活のためにちょっとだけ付き合うかと続けていた時、屈託なく笑って喜んでいるおばあちゃんを見た。これが転機になってスイッチが入ったらしいです。
北方謙三さん
「現実に革命が起こせるんだってことを目の当たりにしてたんだ。キューバといい、ベトナムといい、ちっちゃいものがデカイやつ(=アメリカ)をひっくり返したとき、権力とは何かということを考え始める。僕が18歳から23歳ぐらいまでのころは、変革の可能性を信じられたんですよ。連帯の可能性も信じられた」
「あれだけ熱くなれたんだ、戦えたんだ、死ぬかもしれないのにあれだけできたんだ・・・っていう想いが捨てきれない。その熱かったものを、今、自分の肉体で蘇らせることはできないけど、小説家という存在でだったら、物語という形で蘇らせることはできるだろうと。それで『水滸伝』を書いたんだ」
「勝ち負けなんて死ぬ寸前まで決まらない。戦うことを決めた人間にとって、死ぬまで負けはないよ」
アツイ、とにかくアツイ。
これが男の生き様か・・・
気がついたら私も肩で風を切って『水滸伝』のDVD借りてきてました。
自分、女だけど(笑)
『水滸伝』、中国では権力者が若者に読ませないようにしてたそうです。禁書って言われちゃうと、逆にどんな内容なのか気になりますよね。
私が印象に残った箇所は以上かな。
実は爆笑問題の太田さんも載っていたんですが、人の死を扱うコントについてすごく深い話をしていて、深すぎてまとめられなかった。
太田さんがどんな人なのかをもっと知ってからでないとコメントできないですね。本出してないか探してみます。
ちなみに河村隆一さんは、
「臆病さと強烈な〝個〟があったような気がしますね」
と話してました。
あのさ、イケメン枠の人って実は臆病な人多くない?
(もちろんそうじゃない人もいるけども)
どうしてそんなに恐れる?って思ってたけど、最近ではもう そういうものなんだ と納得するようにしました。
彼らは臆病だから、沢山の人に支えてもらえるようにイケメンとしてこの世に生まれてくるってことだよ、きっと(^_^;)
知らんけど(笑)
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