バイクびと。
バイクの不安定さ、快感。儚さや力強さを紹介していきます。
バイクを通しての質問をよく受けます。 相手が疑問に思っていることや、 困っていることに決まりはありません。 似た種類の質問があっても同じ質問は存在しません。 それはバイクが感性で動かす乗り物だから。 似た質問全く同じ質問がないのは、 答えに対する疑問の感じ方が違うから。 本当の質問は相手の心の中にあって、 質問する本人も何を知りたいか勘違いしていることがたまにあります。 質問する時も規制の質問の中から 自分の質問に近いものを選んでいるだけのことが多いから。 バイクは
平坦な道は進みやすい。 気持ちが少し変わっただけでも、 止まったり進んだりをやり直せる。 でも道中に川や谷、上り坂や下り坂。 暴風や氷や酷暑。 何が起きても不思議ではないですよね。 人生の中でも同じ。困難を多く感じるのは自分次第かもしれません。 でも僕は困難も楽しみとして捉えていきたいんです。 痩せ我慢でもいい。 本当に辛くてもいい。 辛いフリだけでもいい。 困難の大きさは自分の感じる量と、 周りが感じる量は同じではないです。 同じじゃないのは。 人生をどうやって
多くの個性と向き合うと、 バラバラを整える為には一定の管理が必要になってしまいます。 個性を活かすために管理する管理が自由な発想を奪ってしまうと感じています。 でも振り切るところまで行けば何が見つかるのかもしれない。 自由を優先し過ぎても個性がなくなってしまうことも… 自己発信してもらうために。僕の目的は、 みんなに自分で生きてもらうこと。 自己発信のための管理をする。 レールの上を進んでもらうのは本意ではないけれど、 スタートラインまでは届けたいんです。 社会の基
嫌なこといつでも起きる。 それは特別なことじゃないです。 自分の考えを確立しているからこそ感じられる感覚です。 全てを諦めて仕舞えば感じることのない感覚なんです。 自分が世界の中心で動かしていると考えれば、 どうしても意見が通らない事が発生します。 世界を中心で動かす。考えるのではなく本当に動かせば、 嫌なことを感じる暇がなくなります。 当然ですよね。 自分の行動が原因であり結果でもあれば、 何が起きても経験値が貯める事ができます。 誰かのせいにした時点で相手に経験値
自分の中で感じる限界。 自分自身のことだけじゃなく、 周りに起きている事象に関してもそう。 なんとなくだけど、 確証も無いけれど限界を決めてしまいます。 絶対はないはずなのに。確率が高ければ答えが決まっているかのように思っていませんか。 僕は答えが確定するまでは、 悪いことも良いことも諦めないようにしています。 結果が変わってしまう可能性は永遠に無くならないから。 時間を遡れないけど。判断する人間が同じうちは結果はほとんど変わりません。 でも、同じ事象を判断する人間
突き放した表現かも知れません。 でも誰かに頼ったり、 道具や薬に頼ったり。 一時的にはそれで良いのかもしれません、 一時的には。 本質的には何も変わらない。自分の感覚を変えるのは、自分からの行動が必須条件です。 誰かに委ねて変わっているのも、 自分で選択した結果。 でも自分で行動することの積み重ねの中で、 いろんな選択をすれば良いですよね。 委ねることも選択。 離れることも選択。 ひとつの行動だけを継続しない。心をバランスを崩すのは、 一定の生活パターンになった時の気
学校で学んでいた頃は、 なんとなく情報を入れて問題の答えを選ぶだけだった気がします。 覚えたことの中から選択して答えるだけ。 忘れていたら答えがない。 知ること。 ただそれだけで過ごしていた気がします。 今、知りたいこと大人になってからの学びは全く別物。 答えのない答えを探していくから。 自分が欲しい答えに辿り着くために情報を集めていく。 知りたいことは答えからの逆算の中に存在します。 経験の中で生まれた考察を糧に情報を力に変えていくんです。 知ることも考察することも
休みの日になると自分をリセットしないと視界が狭くなるような気がします。 自分で選択しながら生きているはずなのに、 枠組みを壊さないように過ごしていると自分の目標がぼやけてしまいます。 今できる事はやりたい事やらないといけない事がやりたい事とはズレています。 就職する時は描いていた夢があったのに… 今はそのズレがきっかけで今の夢に辿り着いたと言っても良いかも知れません。 だからこそ、今やりたいことに意識を向けて進みたい。 守るのではなく共存していこう。 やりたい事は攻
noteを書くときに意識しているのが、 無駄に否定的な言葉を使わないこと。 否定的な言葉も必要な時は存在します。 タイミングよく使うことができれば、 前向きな言葉よりも大きな効果を生み出せます。 タイミングが合わなければ、 自分に大きな負荷をかけてしまう。 優しい言葉相手を癒すことができそうですが、 使い方を間違えれば相手の自己再生力を奪ってしまいます。 言葉は態度よりも大きな力を持っている気がします。 自分を育てたり壊したり。 誰かを壊したり育てたり。 誰かが発する
我が子の成長ができているのかって感じませんか? 僕自身は自分で色んな判断ができていると思います。 結果が自分にとって正解かどうかはその時次第だと思っています。 どんな結果が出たとしても自分で判断したことだから、 結果を糧にして生きていける気がします。 僕の子供はまだまだ難しそうです。 簡単な判断僕にとって簡単な判断でも、 子供達にとっては難しいこともあります。 選ぶということは、 選ばなかった選択肢を捨て切るわけではないですよね。 それがわかっていても、 自分で責任を
みんなが持っている「個性」と言う宝物。 社会の中で協調することで宝箱に鍵をかけている気がします。 限られた選択肢の中で自分の中で感じている正解があったとしても、 変則的な選択なら否定されてしまいます。 自分だけの宝物を使わないで良いんですか?宝物なので眺めているだけで良いのかも知れません。 でも磨いて輝かせていきませんか? そして使って力に変えていきませんか? 宝物という個性を力に変えていきたいです。 個性を否定する必要はない。他人から見られる個性は相手次第で評価は
どうして良いかわからなくなる時があります。 このまま止まったままじゃダメだって感じていても、 次の一歩が踏み出せない。 いや、二歩目がでないんです。一歩はなんとなく思いつくんだけど、 そこから前に進めないんです。 今から離れる感じがするから。 何かを手放す気がする。 過去を否定するわけじゃない。 でも自分を諦めるわけじゃない。 過去を間違いだと認めてしまいそうだから。 進む方向が違う気がする。 回り道かも知れないけど。 進むことは未来を描くこと。 綺麗な未来を描
初めての場所に進むときに調べることが楽になりましたよね。 まずスマホで調べてから動き出す。 調べれば調べるほど正解に近づける気がするけれど、 答えから遠ざかることもありますよね。 情報を取り入れて吟味する事は重要だけど、 入れすぎた情報は行動するための重りにもなります。 知識を発して身軽になろう。知識を取り入れるだけではただの重りでしかありません。 得た知識を発信することで自分流の力に変えよう。 身に染み込むことで身軽になれます。 発するのは知識だけじゃない 自分の想
当たり前だけど認めにくいこと。 知らないことに気づくことができない。 別に認めたくないわけじゃないんです。 知らなくても生きていけるから気づけないだけ。 知りたい気持ち大人になっていく中で、 無意識に変化を避ける癖がついてしまうと思うんです。 生命を育てるのではなく守りに入ってしまうから。 泊まり続けたら老化が進んでしまう気がするんです。 外見は年と共に老化していきます。 でも心は若返ることができます。 諦めなければ。 変化を受け入れることが出来れば気持ちは若返ること
WBCが盛り上がってきていますね。 スター選手たちの中で輝く人たちがいます。 もちろん野球の実力が秀でているのは間違いないけど、 人間性や空気感で輝く人たちがいます。 本当の規格外は。社会の中や学校などの枠にはまらないことが規格外。 枠の中で輝くことがベストのように感じると辿り着けない世界です。 自分が枠にはまっていないことが、 悪ではないと感じます。 自分にしかできないことを社会のために。 はみ出していることだけが良いことではないですね。 規格外は、規格からはみ出
苦手なことや初めてのことに挑戦する時って心配ですよね。 失敗したくないって感じながら。 でもその心配って誰のためだと思いますか。 自分自身の失敗って大した事はないのに、 なんで普段の行動ができないぐらい心を押さえつけてしまうのだろう。 心を配る誰かのために心配するのは簡単。 答えを自分で決めなくていいから。 自分のために心配するのは難しい。 色んな感情が自分の中にあってそれを押さえ込んでいる。 そして心配の先の答えを自分で出さないといけない。 言い訳でなく答えを。 抑