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無意識に理解していること

神社なんかにいくと大きな木のそばを通ることが多いですよね。
何かのお参りに行くことで心穏やかになる気がするけれど、
木立からもエネルギーをもらっている気がします。

昔の人たちが作ったものには科学的な根拠がなくても、
みんながそれを正しいことだと感じてしていたことがあります。
現代において科学的に解析するとすごいことってよく聞きますよね。
感覚的に無意識に理解していることに目を向けてみました。

自分にとってだけの当たり前

何かの理由があるわけじゃないけどやってしまうこと。
自分の中では癖のようになっていて気づけないです。

誰かに「なんで」って聞かれることでそんなことをしているんだって感じます。
僕が言われることは「集中力がよく続くね」です。
僕の中では色んなことを同時進行で考えているつもりでしたが、
そうではないらしいです。
この差は何ですか?

視点が変われば理解の仕方が変わる

僕の中では色んなことを考えながら行動としては
1つの作業をしていることが多いです。

外から見れば僕は同じ作業をずっとしている。
内から見れば僕は色んな別のことを考えながら体は思考とは別の行動をしている。

極端にいうと体が無意識に行動しているのかも知れません。

無意識に体が理解して次の行動を決めているんです。
ご飯を食べながら誰かと会話しているって、
同時に考えているようだけど部分的に無意識に行動していますよね。

体が自動的に理解して行動していることってすごく多いです。
自分の体が一番楽にできる方法を復習しながらできるようになっていく。
歩いたり食べたり座ったり、寝ることでさえも。

自分の体は変化している

成長だったり老化だったり。
体調を崩したり、すごく元気だったり。

自分の状態の変化によって食欲って変化しますよね。
これも無意識に判断していること。

僕は疲れている時ほど食欲に逆らって食べるようにしていますが…

無意識に介入することができるのは
自分のことを俯瞰で見るようになったからです。

無意識は自分が楽な方法を選んでいることが多いから効率はいいです。
でも生きる上では非効率なことにこそ成長のきっかけがあります。
自分にとって辛いからこそ鍛えることができる。
その度合いを判断するには経験と知識が必要です。

負荷の度合い

無意識を俯瞰で見ることが負荷の度合いを調整するために必要です。
無意識の行動を整えることで自分にとって必要なことが決まってきます。

価値観や考え方を誰かと比べることで
僕は自分の無意識と向き合っています。
良いとか悪いとかではなく違いです。

子供の成長に対しても僕以外の人の見立てを理解するようにしています。
最適は最終的に自分で決めるのだけど
アドバイスを聞くという行為を子供にも知って欲しいから。

自分の無意識に目を向けてみて。

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